あみだ
なんとなく、試みを始めている。
一発目は、「あ」である。
思いついた単語は、あみだでした。
よって、あみだについて記す。
あみだかあ。
阿弥陀という変換だが、
これは、阿弥陀如来のアミダであって、
アミダクジのアミダではないような気がする。
と、思って、ググル先生を使ったら、見つかった。
あみだくじは新しい言葉であるが、
この形式のくじは室町時代から行われていた。当時のあみだくじは放射線状に線が引かれ、
阿弥陀仏の後光に似ていたことから、
「阿弥陀の光」と呼ばれていた。現在のあみだくじは放射線状ではなく、
線を平行に引くのが一般的である。
ほう。
阿弥陀如来で、あたっていたそうだ。
ふむ。
あみだくじで、何でも決める女の子はいた。
名前は、まだない。
むしろ、なんだっていい。
けめこ、だろうか、さよこ、だろうか、はなこ、だろうが
なんだっていい。
恣意的、任意、あるいは、象徴としての女の子である。
その娘は、
気づけばアミダクジに頼った人生だった。
思い返せば最初のアミダクジは、
幼稚園だったかも知れない。
昼のお弁当を食べたくなくて
アミダクジをしてみた。
結果は、「たべない」
それ以来、幼稚園で、お弁当は食べなくなった。
小学校では、
時間割を、あみだくじで決めていた。
だから、いわゆる
「時間割どおり」の時間割でも
彼女が、教科書をきちっと持ってこれたことは
まれだった。
先生は、何度も注意したが、
いつしかあきらめた。
「やれやれ」と、呟いた。
50半ばの、頭には白髪が目立つ
男の、呟きだった。
ただ、「時間割どおり」でない授業のときは
まれに彼女が、あみだのお陰で
どんぴしゃの教科書を持ってくることがあった。
そのときは、英雄になったものだ。
「チャップリンの言う、栄光の15分はあのときだったわ」
彼女は、回想してそういう。
そういう彼女も、年を得た。
大学も、あみだで決め、
結婚相手も、あみだで決めた。
就職先も、あみだで決めた。
いつしか、誰かが彼女に尋ねた。
「どうして、そんなにあみだで決めるんだい?」
彼女は、いつもこう答えたものだ。
「あみだに聞いてみるわ。ちょっと待って」


文句なしに面白いです。
上手な作品
意味を量りかねます。





直木賞受賞作として期待して読んだが・・・
天使の牙へと繋がる著者の重要なモチーフ

