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殺し文句の研

殺し文句の研究
殺し文句の研究
posted with amazlet on 06.12.17
阿刀田 高
新潮社
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★★★★

阿刀田さんの本は久々だけど、やっぱりよいなぁ。中学校のころむさぼり読んだ。今回はエッセイ。以下、抜粋。

「喜劇は終わった幕をひけ」これはフランソワラブレーの最後の言葉である
「男の人ってどうして幸福な結婚をしていながらほかに恋愛をしたりするの?」
「そりゃ結婚と恋愛じゃドラマが違うからさ」
美人とシコメは知性を認められたがり、美しくもみにくくもない女は美貌を認められたがるものだ
私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらだ。第三にこの人が自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家はもう少し厳粛な風貌をしていなければならない
こんなことをいったヤツがいる。女は三度いっしょに寝るとみんな結婚したがる。心理学じゃないぜ。統計学だ
「へー誰がいったの」
と相手が効き返す可能性はかなり高い。そこでおもむろに
「俺さ」と呟く
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
人間は煎じ詰めれば消火器と生殖器で成り立っている
-これは確かフランスの文学者グールモンの言葉だ
はっきりとおごる理由がある場合にはよかろう。理由もないのにおごるのは時によっては相手に対して失礼でさえある。
ー千円や二千円のことで優越感なんか持たれてたまるか。こっちだって、そのくらいのお金持っているよなー
そう思いたくなるときも多い。
「じゃあ割り勘にしましょう」
「このセリフがなんの無理もなくサラリと言えるようでなければなるまい、と私は思う
つまりさ、70円の男がいつも60円の女を狙っていれば彼は断然もてる。
しかし80円ばかりを狙ったんじゃ、ほとんど失敗する。
もてる、もてないというのは自分の正札と相手の正札がどういうぐあいになっているか、そういうことなんだな
「ああ美しい」という。同じ言葉を発しても、その中味が20代の女性と30代の女性では少し差異があるような気がしてならない。
20代はただ美しいものを見て「ああ美しい」と継げたにすぎない。ところが30代ともなると、これまでにさまざまな美しいものを見てきて、それとの比較対照の中から桜を「ああ美しい」と感じているような響きが加わる。心の奥行きのようなものがうかがえて、それが楽しい

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2007年05月11日 13:07に投稿されたエントリーのページです。

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