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2006年12月18日

考えるということ

thinmore.bmp

朝が好きだ。誰がなんと言おうとも朝が好きだ。

朝だと何でも出来る気がしてくる。テンションうなぎ上りである。大体9時過ぎまではその傾向が続き、昼前にはもうオーバーヒートエンスト気味である。

ともあれ、朝のコーヒーが好きだ。
朝、起きてから、とりあえずコーヒーメーカーにスイッチを入れる。あれがぽこぽこと溜まるまで待つのが待ちきれず、たまに途中で飲んでしまう。
薄い。

予約でセットできんのか。
あ、今思ったけど、コンセント側のタイマーを使えば可能だな。名案。
ブログは頭を整理させる。しかり。

「考える」ということ、について考えていた。

考える、ということをしているだろうか?

している、と君は答えるだろう。

さもありなん。では、「本当の考える」とはどういうことかご存知だろうか。

恥ずかしながら、わたくしめ、この年になるまで、その意味をわかっていなかった。

頭を使うと体力を使うとは言われている。そりゃ、まぁ、例えば試験勉強とかしていたら疲れるからね。あるいは、なんかについてずっと考えていたら、疲れるよね。

でも、いわゆる「ガチで考える」ってば、もっとそれ以上なんだと最近わかったのです。

それは疲れるというよりも、ある意味苦行。シビレルって奴です。

なんとたとえればよいのだろう。オランダ語で聖書を読んでいる感じ?

何を書いているかわからない上に、そもそも聖書に興味ない、しかも分量やたら多い、というか。

変なたとえ。

でもさ、いやー、「考える」ことを怠けていた。この26年、まじめに考えることしてなかったなぁ、と痛感した。

いわゆる湯川博士とか、考えて考えて考え抜いた後に、あの理論を夢で思いついたという話は有名だけど。

最近もどっかの本で読んだな。ブログか?筒井さんも言ってたな。

ともあれ、考えて考えて考えぬいた後はアルファー派だっけ?の状態に頭を置く。寝るとかさ。

で、そうすると、解が見つかるって奴。

それをベースに考えると、実は人間の考えている時間というのは意識しているよりもずっと多い。時間というか、量か。

よく言われるように人間の意識化されている分量ってば、無意識下の氷山の一角でしかなく。ゆえに、考えているときって、言葉で考えているじゃないですか。「えっと、あれがあれだから云々」って。

あれが考えの限界ならば、もうボトルネックすぎる問題なわけですよ。
つまり、その日本語で考えている時間というものが天井になってそれ以上の思考スピードは出せないことになる。

でも、ひらめきとか、思いつきってのは、無意識下で頭が仕事してくれているから、そういうのが出てくるわけで。

で、そう考えるとパラレルに処理しているのよね。
意識化と、無意識下。

もちろん意識上をさらにパラレルで処理することも可能かも知れないけど、マルチタスク処理は、負荷も大きいので危険。

で、何が言いたいかというと、その「意識下」の容量をまず、マックスまで広げる必要があるわけですよ。

あるいはスペックを。つまりスピード。

それってば、1つは方法論。MECEでもツリーでも、あるいはKJ法でも、みのもんたメソッドでもなんだって良いけれど。

もう1つは訓練なわけですわな。日本語の回すスピードをあげる。日本語以外を使うというのも有効か。

ア、イメージで物事考える人っているけど、これをうまく使えば
かなりの分量のデータを意識上で処理できるのではないかと思うのだよ。

二次元と三次元のデータ容量の違いは自明の通りで。

つまりさ、なんだろう。

例えば、貯金すべきか、株すべきかって考えていてさ。
普通ならば、リスク計算したり、過去の経験から、いろいろ考えるわけじゃないですか。でもさ、これ以前にさ貯金すべきか、本買うべきかという思考をしていたならば、それをモジュール化して図に置き換えるというかですね、それをしておけば、新しいこういう考えなくちゃいけないことが出た時に、それを参照できるんじゃないでしょうかと思ったのだけど、いま、思ったら、それは三次元だと、同時に処理できる分量は増えるけど、参照するだけなら、図である必要もなかった。おばかちん。

でも、多分、テキストデータを図形で記憶するというのは可能だと思うのよ。バイナリファイルを電子メールに添付しちゃうよ、というかなんというか、その逆だけど。

いやPCの話をしているのではなく、物事処理の話だけど。
つまり、嫌だったこととかってさ、説明しようと思えば口で説明できるけど、そういうのって、「いやーないめーじ」とかで記憶されているじゃん。

それってば、他人の言語にはコンバートできないけど、自分には雄弁に語る記憶で。

あ、そう考えるとにおいもそう?

つまり、ある匂いとある記憶を結びつけておけば匂いを使った記憶が可能?
香水別に世界史の年代を覚えておけばよい?謎

まぁいいや。
つまり、そういう無意識下でも思考はともかく、考えるということは意識上にあるもんだけじゃなかったんだなぁ。と。

あと、そうそう。「持続性」ね。
これが考えることと見つけたり。
わたきちの一番苦手なところ。

「ずっと」考えるわけですよ。これが考えるってことなわけで。

ああ、そうそう。こう考えたらいいかも。

いままで「考える」ってば、僕の中では方程式の1つの解をさくっと出すようなものだとおもってたんす。

でもさ、本当の考えるって、そこに存在する答えを全て見つけ出すことなだんだよ、多分。あるいは、可能な限り、というか。

だから、そこには思いつきや、経験則って奴もそんなに役立たない。

それで100個の解を出したところで、さらに101個目の解を見つけるのは、「頭を死ぬほど絞る」ということで、それってば1個しか出してない人が手探りで2個目の解を探すのと同じなんだよ。

だから、なんというか。

あ、今日は「人をゆるす」ということについてかこうとしたのn、わけのわからんことかいてしまった。

いやー、あれですよ。
人を許すってのは、心の部屋をひとつ空けることなんですよ(謎

ああTime Over
なんか最近、雑なエントリばかりでやだなぁ。

投稿者 kaz : 2006年12月18日 01:50

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