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2006年09月26日

身捨つる程の部屋はいずこにありや?

heya.bmp

部屋は、揺るぐことのない聖域である。
断固として、悠久として、不断の帰結として、自室はサンクチュアリたり続ける。
決して侵されざる我が身の母体としてのMyRoom。
Right?

自室が尤も寛げる、という事に異を唱える人はなかろう。
たとい、それが幾ら汚れていようと、messyだろうと、狭かろうと
部屋は、そこに貴方が住む限り、濁らずの住みかたり続ける。

さて。

最近、自室で呆けている事が多い。
何するでもなく、ぼーっとふやけている。
多かれ少なかれ人間といふ生き物にはそのような時間が欠かせない。

しかし、つとに思うのは、
その時間がなんと愛しいことか、ということだ。

人間を大きく二つに分けるならば
行動的な人と、行動的ではない人に分かれる、とする。
行動的な人は常に外を駆け回る。
半ズボンで虫かごとかNikonをもって。
そして行動的でない人は
自室で引きこもってオモコロを愛でる

それに良い悪いというものはない。
ただ傾向だけがあるだけだ。

しかし、実のところ、人間はそんな性別のように簡単に二分法で分けられるわけもない。
みな、誰もが誰も、時に行動的になり、
時に行動的でない人になる、というのが当然の摂理である。

つまり。

つまり、「私/僕は一人が好きだ」という事は
必ずしも、常に一人で生きられる、ということを意味しない。
飲み会やパーティなどの人がうじゃうじゃいる場所を嫌う、という傾向や
あるいは、時に自室で一人で居ることに恍惚を覚える傾向が強い、というだけに過ぎない。

そして、再度言うが、それは誰しもが持っているアンビバレントな傾向である。
明確な線引きはない。

しかし、さりとて
どちらの傾向に傾きがちか、という点で人を分けることが可能なのも事実である。

最近、周りで「Lonely」という声をよく聞く。
特定の誰か、というよりも、男女問わず2桁くらいそんな声を聞いた。
一般的には女性の方がその傾向は多いのかも知れないけれど。

世界は寂しさで満ちている、という映画を撮りたくなる程、
周りでは閑古鳥がなくように、寂しさに打ち震える子兎が
ぴょこたんぴょこたんあんよがお上手。

これは、恐らく社会的な傾向なのかも知れない。
知らないけれど。
ペットブームや、ホームパーティブーム、携帯ゲーム機の隆盛とかを
そんな寂しさ傾向の要因として言いたいのではなく、
単純に寂しさってのは、時間が出来たら生まれるものではないか、と思うわけで
世界では、金が増えた分だけ、その分、質量保存の法則として時間が増えたんじゃないか、
とか勝手に思っている。
もっとも、金と時間の質量が等号ならば金が増えれば時間も減るわけだけど、
その辺は、バファリンの半分が優しさで出来ている構造と同じで
ブラックボックス化されていて厚生省も手が出せない。

で、ともかく、何が言いたいかというと、
自室最高だね、ということである。

基本的に、マクロで分けると
男は全員「1人好き」族に属するような気もする。

特に周りの男性陣を思い返すと
中には世界が滅んで1人になっても彼は平気で理科の実験を続けているのではないか、
と思えるほどタフな人もいるわけで、そういう人は
世の中の寂しさ平均値を嵩上げしているような気もするけど
はっきり言ってどうでもいいパラグラフを書いてしまった。

しかし、最近は比較的行動派になってきているんじゃないかとも思ったり
思わなかったり。
高校や大学初期の頃は、飲み会とかに出掛ける時間と本を読む時間を常に天秤にかけて
その飲みに行く時間で、どれだけの本を読めるかを常に計算していたのだから。
そうそう、どうでも良い蛇足を思い出したのだけど、
この機会コストの概念って、万人が万人持っていると思っていたら
そうでもないというのを最近知った。
 時間は複利計算というのを以前書いたような気がするけれど。
まぁ、でも、最近は、そんな時間時間って言っていてふと
人生の価値の総量が時間で計れるのではないかと思って
ちょっと考えたのだけど、すぐに原則的には無理という結果が出て飽きた。
さらに蛇足で思い出したけど、時間という概念は、直線時間と相対性時間の二種類があるんだけど、その相対性時間の概念を把握するならば、科学書よりもトマスマンの魔の山が絶対に良いように思う。さらに蛇足を続け宇rと大学一年のころ時間に関する論文を3桁ページ書いた事があって、この直線的時間(アリストテレス的時間)と相対性時間の他に「あなた時間」的時間概念があるのではないかと提唱したのだが、どうでしょうか。南無

で、蛇足を5重ほど繰り返したので、
まるでシャンゼリゼ通りをエッフェル塔目指して歩いていたのに、ルーブル美術館にたどり着いたような凄いI Am godam Lostな感じを味わっている昨今です。

そうだ、何がいいたかったんだっけ。
ああ、Perfume というアーティストをこないだ教えてもらって。

Youtubeはこちら。
カラオケで歌ってはるのを見て感銘を受けた。
YouTube - perfume-リニアモーターガール

大分前、Yuuさんとか、けんすうとかメッセンジャーでかけてはったような気がして
何気に気になっていたのだけど。
で、それ以来、けんすうの影響もありピコピコしたのがヘビーローテになっている昨今ですが皆様、ゴキゲンいかがでしょうか。特にメッセージも伝えたいこともないのに、勢いで書いてしまいました。ごめんなさい。

さて、ルーブルからモンパルナスまで来てしまったから急いで戻りましょう。

なんだったけな
自室が良いという話?

ふむ。で、じゃあ、自分自身は、自室にどれ位篭れるかをシュミレーションしてみた。
個人的には一ヶ月位位は、誰1人に合わずにも
部屋でこもれる気がする。
勿論、ネットはなしで。
ネットはずるい。

その内訳は
食事5%、映画5%、睡眠20%、読書50%、アウトプット20%、その他10%とかだろうか。
実際、昔はそんな生活だった気がするなぁ。1日10冊とか平気で読んでたもんなぁ。
本屋で買う単位が常に二桁後半冊の単位だった大学1年の夏。

ああ、さらにどうでもいいけど
読書は常にアウトプットしないと破裂しちゃうような気がする。
今はこうやってブログという場もあるし、
日記も、19歳の頃から7年間、基本毎日書いているので、それがある種の
アウトプットになっている気もするけど。
あ、あとまめに前までは読んだ本の背表紙に読んだ日付と感想を全部書いていた。
ねじまき鳥クロニクル(下) 1998年12月4日 「このオチはずるい 云々」みたいな。

またもずれたよ。
えっと、部屋は最高、最高。Agree。Agree。

あー、でも意外と3日くらいで「嗚呼寂しい」とかなるのかも知れないなぁ。
人間、人に会わないと、独り言が多くなるらしいですよ。
独り言が多い人は、体内が寂しさで満たされているので、
供給しましょう。

で、そうですよ。
たまにさ仕事早くあがって、なんだかこのまま帰るのは
もったいない気がして、飯でも食うか、と誰かに電話しようと思うのだけど、
それよりもむしろ部屋でゴロっとしたい、と思う経験てば誰にでもあるはずで。
それゆえに逆に、その時間があまりにも贅沢で高貴。
高貴は言いすぎか。しかし、欠かされざるもの。

人間は社会的動物といったのは、アリストテレスだったか?
つまり、その言外には、人間は一人ではいきていけないという帰結が待ち受ける。
若干のジャンプはあるけど。

さりとて、人間は、スプートニクであり死ぬ時はいつも1人。良かれ悪しかれ。ついで言うと、トイレで用足す時も1人だし、眉毛を抜いている時も一人だし、あさ寝ぼけてコーヒー豆入れてないのにコーヒー沸かしてしまう時だって一人である。原則的には。

しかしですね、嘘ですよ。
こないだある方と話していてね。

その方が言うには
恋人との理想のシーンとして
旅行に行って、お互いが好きなことをやっていて、
お互い同じ空気を吸っているのが前提で
それがそれとしてきちんと独立して成立している、というようなシーンを挙げておられて、
「なるほど!」と思ったわけです。

つまり、具体的に言えば、例えばバハマに行ってね
男はビーチでガッスガス泳ぐわけですよ。
で、ビールを飲んで身体を焼いている。
彼女は、ひたすらサガンを読書して、たまにピナコラーダで唇を浸す。
お互いに会話はないわけです。
なぜならもうかれこれ数年の仲だし、バハマも3日目なわけですから。
で、お互いが独立した事象をこなしているのに、
しかし、同時に、お互いが同じ領域内に存在している。
これが、その理想像、というわけです。
成程。

また、SoWhat?的なことを書いてしまった。
なんかの話に続けないと。

えっとですね、
つまりは、そういうものではないか、と。

一人が好きという者は基本的に
Let me goというよりも、
Never Step inという感じのニュアンスの方が強い。
つまり、自由にさせろ、というよりも、侵入するな、というか。

だから、逆に言えば、侵入がなければ
それHAPPYなわけで、その時、ついに
1人好きと、さりとて1人は寂しいというジレンマが解消されたことになる。
なるほど合点。

まぁ、これが良いか悪いかは別の問題としても、
それはそれで完結した素晴らしき世界哉。

そうだ。
これまた、前誰かが言っていたが
「恋人がいる効用は、土日の予定をむりくり入れずに済む」と
仰っていた。

これは目から鱗のすってんころりんでしたよ。

つまり、まぁ、特に社会人にとって
せっかくの土日ですから
2日とも家に篭るのは宜しくない、と。
しかし、さりとて、誰かのアポとって出かけたりするのは
非常に億劫だと。
それはまさに、時に時間を埋めるためだけの行為になり
本末転倒、と。

しかし、恋人がいれば、
まぁ、基本は、その土日に予定を入れれるわけで、
非常にらくチンポン、と。

成る程、と。

そういう意味では恋人というのは
友人と違うのは、肉体的なものとか、契約的なものとかの形而下的な違いよりも、
「相手の領域に踏み込んでも良い」というメタフィジカルな点で
恋人という存在は特異たりえるのではないか、と思った次第でありますよ。

つまり、例えば、
夜中の2時に、仕事が終わって疲れて
誰かと会話したいとなった時に
友人にいきなり平日の26時に電話するのは、ヘジテイトするわけですよ。
しかし、恋人へは、その不可侵条約の撤回が可能だと。
君はそういうわけだ。知らんけど。
いや、恋人だろうが、恋人でなかろうが、あるいは肉親だろうと
26時の電話はあれですよ。
流行の言葉で言うならば、アバンギャルド過ぎますよ。ええ。

ここまで書いて、放置してたら2日も経っていた。
すでに何を書きたかったのかは愚か、
自分が書いた文章かさえも怪しくなってきた。
ブログはいっきに書かないと駄目だね。

あ!しかもリモートだからいつものライブラリが使えない。
しまつた
もう何がなんだかわけのわからんエントリになっている。
そういえば、最近、独り言というか、話している最中に
独り言になる機会が多くて困る。
所謂 尻つぼみ系?

まぁ、いいや。

んと、自室が最高、と。
なるほど。

もう週末とか、ひたすらゴロゴロするほどの快楽はありや。
ある天気の良い日曜とかさ。
意外と朝早く起きたりしてさ。
で、洗濯とか、クリーニングとか、片付けとかやっちゃうの。
普段は1杯しか飲まないコーヒーも2杯くらい入れちゃって。
思わず、紅茶なんかにもしちゃってまた。
普段は飛ばす新聞の社会面も読んじゃったりして、あれまぁ、と。
散歩とかさ。
カメラ持って近所をお散歩。
公園もいいけど、最近は萎びた所もいいとおもつた
街はNGですね。
人多いと、前提条件なく不愉快になる。
あれなんだろうね、頭痛するし。CO2の力か。
人がまばらな所。駅沿線とか、少し片田舎の商店街とか。

で、昼寝。
シエスタ。
人生の極み。
わが栄光の5分間。

そりゃ寝ますよ。
日曜日ですもの。
ガツンと昼寝ですよ。
日向にうずくまりながら
楽天で買ったビーズクッションを抱いてひたすら石のように
うとうとしますとも。

目が覚めたらハーゲンダッツを食いますとも。
ええ、そうですよ。
そうして、ぼーっとしていたら
あっというまに週末は終わりますけどね。
夜になってあわてて、週末の帳尻を合わせるように活動的になったりさ。
焼きそばとかも食べちゃいますとも。
無駄に長風呂とか入っちゃいますよ。
風呂で本とか読んじゃいますよ。
風呂上りは水ですよ。

まぁ、一興じゃないですか。

 あかんなぁ。こんなわけのわからんことをかきたかったんじゃないような
気がしますけどね。

そういえば、最近、涙もろくなっていることに気づきましたよ。
理由は何もないんですけどね。
年かね。
ふとした懐かしい音楽とか匂いで涙腺ゆるみますよ。
あと、人の写真とか見たりして。
あれ、なんでですかね。
涙腺キャンペーン中ですかね。

あと最近「再読する価値のない本を読む価値はない」というテーゼを述べる人が
いて、そういうもんかな、と思っても
再読に耐えうる本なんて、殆どないですね。
難しいですね。
むしろ地球の歩き方とかの方が再読しちゃったりして。

あと、最近思ったこと。

芸術とは、独立して存在しうるのか
あるいは理解する者がいて成り立つものか。

この命題は、昔から言われているのかどうか知らないけど
言われていても不思議ではないと思う。

ともあれ、ある写真家を見ている時に思ったんです。

絵とかもありますよね。
特に現代美術。あるいはモダンアート。
わけがわからないの多し。
絵も音楽も劇も・・・・

で、それとは別にあるように思うわけです。
いわば全員が全員理解できるようなアートと、
絶対的な何かが存在しているのだけど理解できる人が限られている世界と。

そもそも絵で見るとわかりやすいような気がするのだけど、
印象派とかの絵は、よさってわかりやすいわけですよ。
主観だけど。
もちろん、ルネサンス前後とかも解りやすい気がする。
他には、写実派とかさ。あ、レンブラントは個人的にはイマイチぴんとこない。

でもさ、
シュルレアリスムは、まだ解るとしても、ピカソとかマティスとかのキュビズムとかになってくると結構しんどいような気もするわけですよ。
まぁ、でも、背景と意図さえ理解すれば、わかりうる、と。

しかし、時に、もっとマイナーな世界。
例えば、小説だと、それこそ村上春樹の世界が全くピンと来ない人がいるようにさ。
どうでも良いけど、最近、スタンダールの「赤と黒」を読んだという方の話を聞いた。ヘミングウェイとかロシア文学を読む方は多いとしても、
妙齢の方で、スタンダールは渋い。
 個人的な記憶では、スケベな坊さんの話だった気がするのだけど
あんなの宗教的背景理解してないと絶対理解できないわけですよ。
その点で、日本人は、絶対的に、西洋文学や西洋美術を理解できないという指摘も有る意味では理解できる。
 宗教観のない人に宗教の世界は理解できないという理屈らしい。
まぁ、でも処女だろうがバナナボーイだろうが、高橋がなりや団鬼六の素晴らしさは理解できると思うので一概には言えないけれど。

ともあれ、でも、芸術というのは
そのように理解しにくいとかではなくて
まったく誰も理解しなくとも
当人だけが理解していれば、それは芸術たりえるのか?
 という個人的疑問ですよ。

これが科学とかだったらわかる。
アリストテレスやアインシュタインの当時には、誰も理解できなかったけど
(相対性理論は3人だけ理解できたんだったっけ?)
後世には理解されたように。

ああ、芸術もあるか。
ゴッホは、生前は殆ど理解されなかったんだっけ?
1枚は売れたんだったかしら。

嗚呼、そう考えると
芸術は、誰も理解しなくても、存在しえるとは言えるのか。

あるいは、後世に評価されるという可能性さえ残していれば
その反証を提示することは、原則不可能ですよね。

しかしですね
それだと、公開されないブログのエントリーはどうするわけですか。
救いがないですよ。
陽の目を見てやっと言葉ってのは、生きるんじゃないですかね。
多分、違うな。

言葉は己のためにもあるものだ。
でも、不思議ですわな
言葉って、コミュニケーションツール。
つまりは媒介、あるいは媒体なわけです。

つまりのところ、他者にメッセージを伝えるための手段。
確か、世界で最初の言葉って、何だったっけ?
「おい」だったっけ?忘れた。

ともあれ、言葉ってのは、他の人のために生まれたわけですよね。
しかし、今では、自分が概念を理解するためにも
言葉を用いる。

つまり、他者のためでないとしても言葉は自分のために欠かせざるを
えない。
これってば、本末転倒ではないか、と。

人間は考えるときは、「表面上」は言葉に頼って活きている。
つまり、自分が言葉を生み出して読み込むスピード以上に
考えをすすめることは出来ない。

もっとも、これは表層上の出来事で、
実際は、無意識下で、物凄いチューニングとかチャネリングとかゲーリングとか
行っているわけだから、
見かけだけだけど。

でも、やっぱり思いつきとかひらめきは
言葉に一度落とさないと把握しきれない部分もあるわけで。

これってば、非常に制約。
つまり、自分なりの言語で物事を理解できれば
もっと、思考プロセスはスマートになる気がするのですよ。

前述のように、言葉tってば他者のためのものでしょ。
それを転用しているだけだから無駄が多い。
そもそも言葉が出来る前ってば、人間はどうやって考え事していたんだろうねえ。
興味深い。
図?絵?イメージ?

しかし、でも、やはり絵の方が情報量が数百だか数千倍になるように
絵とかで、色んなものを考えられたほうが処理能力が早くなりますよね。
さらにどうでもいいけど、ジョディーフォスターが出ている映画
なんだったけ?SF映画。マシューマコノヒーが出ているやつ。
 あれに出てくる話で、文章が三次元化されているのを見たけど
あれ素晴らしいね。
つまり、絵を二次元に描いても、それは二次元なわけですよ
そうではなくて、文章を立体的に構築する(ホログラム的に)
そうすると、素晴らしく情報処理の効率や容量があがる。
 あれ素晴らしい。

話とんだな。
あと逆に、メッセの記号の豊饒さというんですか。
あれもすごい。
明言しないからこそ、相手の言葉で相手が理解するしかなく、
その「遊び」の部分に、より豊かな情報が存在しうる。
そう考えると携帯の絵文字も新しい言語手法なのかもね。

それたそれた。

なんだっけ。
ああ、そうだ。
言葉は他人のためのものなのに、自分の限界も、その言葉という
ものに規定される問題。

だれだったかなぁ
片山右京?うそだ。
まぁ、誰かも言っていた。
「思考は語彙に規定される」と。

新しい概念ってば、生み出すのは大変で、
同時に、伝えるのは非常に労力がいる。

例えば、「ご愁傷様です」という言葉とか、
翻訳するの、結構難しいですよね。
「お疲れ様」とかさ。
 あれは、他の言葉の代用がかなり効かない。

でも、それを表現する言葉(プロトコル)さえ知っていれば
一瞬で話は通じるわけですよ。

その点で、語彙は思考を規定するわけです。
だから言葉を知らないということは
単純に物事を知らないということと同義ではなくて、
自分のスペック(CPU的なものか)が、比較的に劣勢になってしまう
恐れがあるわけです。50ccのようなものだ。

勿論語彙だけがあっても仕方ないけど、
メモリは上げておいたほうが良いのと一緒で
エンジンは高性能にしておいたほうがいざという時に事故らないわけです。

で、言葉はどうでも良いのだけど、
芸術だ。

写真とかもさ
わかる人はわかるよ。

でもさ、良い写真といわれているものでも
理解できない写真って多いじゃないですか。

まぁ、写真マンの友人いわく、多くの写真見てれば
良い写真は必然的にわかるらしいけれど。

こないだとあるマグナムの方の写真展いったんだけど
どうしても半分くらい構図が理解しにくい点があって悩んだ。

ともあれ、そういうのって構図だとかのよさとかさ。
光とか対象のよさってばわかりやすいけど
構図っての、かなり理解しにくい概念で。

例えば、ロートレックは、有史一、構図が素晴らしい画家といわれているけど
有る程度は理解できたとしても
完璧さ、というものは解らない。
あの踊り子は、もう少し右からのほうがいいんじゃないかとか
素人目に思ってしまうわけですよ。
まぁ、いいや。

で、ともあれ、そういう理解されにくい芸術は良いとするさ。
理解する人がニッチでもいれば。
でも、まったく理解されないもの。
あるいは誰の目にも触れていないもの、ということでも良いかも知れない。

それは芸術たりえるのか。
ゴッホの例は実は、
ゴッホが書いたときはそれが芸術ではなくて
あの絵を買った人が登場した瞬間、芸術になったのではないか、とかも
思ったりするのだけど、結論は出ていない。

最近の気になる命題でした。
ではではご機嫌よう。

投稿者 kaz : 05:51 | コメント (6) | トラックバック

2006年09月20日

会話とは「聞く」と「話す」のトランザクションではない

dontsaythat.bmp


なんて速さで頭が回転するなのだろう、と圧倒される事がある。
なんてシャープでソリッドなんだ!と。
それは往々にして話をしている時が多い。

こちらが全てを言い終わる前に、答えを返される。

いや、寧ろ私が
口を開けて、最初の単語を言い終わらないうちに
こちらが何を言いたいかを把握して回答を見つけている。
そして的確に私の単語に被せられる。
マウントポジション。

いわば、言うならば
こちらが喋っている間に
「話の内容を認識」「内容を理解(認知科学的にはこれは把握とは別だったような)」「適切な回答を設定」「回答に適したデータをDBにクエリをかける」「適切な回答を見つけ出す/評価する」
「アウトプット」の6つを行うわけである。

なんてファンキー。
石田衣良の小説の1シーンを思い出した。

「ある時、彼は、パーティでテーブルの上のグラスに手をひっかけ
テーブルの上からグラスを落としてしまった。しかし、そのグラスが地面に着く前に
彼は、ひっかけた手で、そのままグラスを捕まえた」と。

つまり、それほどのしなやかさと敏捷さが、会話の其処にはある。
しかも、その回答がこちらの意図せざるを得ないものだと
尚更、感服せざるを得ない。

言葉を言い終えないうちに、把握できるのは
きっと、それまでのコンテクストやこちらの表情、あるいは間の取り方等から
理解している為に、言葉を聞くまでもないのだろう。
コミュニケーションにおいて言葉が持つ力の割合はせいぜい7%程度
という話もある事だ。言葉以外の表象される何かから、物事を理解しているのだろう。

そういう人たちは、きっとCPUが違うんだろう、と思う。
こんな時に「対話」というのは代用の効かないものだなぁ、と。
そんな畏怖するような体験は本やネットでは得られないものなのだ。

今回のエントリは対話の話なので、下記、全て友人の語を利用し文章作成。

連休中の土曜日に友人Aが言っていた。

会話とは球技である
と。

古くからのメタファーだが
それは的を得ているからこそ、今でも使われる。

つまり、会話とはサーブがあり、レシーブがあり
あるいはトス/ボレー/スマッシュ/ダブルドリブル/オフサイド/犠牲フライがあるわけである。
言うならば。

そして金曜日、別の友人Bが言っていた。

こちらの問いかけの返事がいつも混沌とした人がいる。
まるでこちらがラケットで打ったボールを足で返す人がいる。(原田一部デフォルメ) 

と。

つまり、ブッシュを突付くようなレスポンス。
問いの回答には決して届かない、ぼんやりとした言葉の塊を投げ返す。
こちらの問いを代名詞で、あるいは比喩で返す人。
つまり、「もどかしい」回答を返す人。

確かに、そのような語は、文学においては有効だろう。
しかしビジネスでは、そのような返信は
言葉のブレを生み、コミュニケーションの往復分だけ
その乗数分、ズレが生まれ続けていく。
揺れが揺れを生み、いつしかその言葉の海に飲み込まれる。

つまり、言葉においては
華美とaccuracyは両立しない。原則としては。

さらに別の友人が日曜日に言っていた語。

「旅行って好きかね?」と聞くと
「嫌いな人はいないのではないか」

という即答。

これは反語と演繹法を駆使された秀逸な回答ではある。
しかし、これを上記のズレを生む会話で返すとこうなる。
「例えば、旅行が好きというのが海外の雰囲気を味わうのが好きという意味ならば
 そのようなものを好きな人は多いと思う」というようなレスになる。

ともあれ、「コミュニケーション能力」なんていう曖昧で
抽象的で、便利で、ふざけた言葉が流行る昨今は、
しかし、それでも社会がそのような「会話」を成り立たせるための礎を欲している事の
片鱗なのかも知れない。

誰の言葉だったか。
戦争を止めることが出来るのは対話だけだ、と。

心理学で有名な話でこういうものがある。
例えば喫茶店で隣の奴が貧乏ゆすりをしていると非常にイライラする。
しかし、それをしているのが友人だと、「相対的には」イライラしない。

つまり、相手を知っているかどうかで自分の心理は相対的に揺れ動く。
それを成り立たせる方法が対話である。

ちなみに原田ライブラリには、このようなメモもある。

対話中の相手の仕草で相手の心理を見抜くホゲホゲというもの。
どっかの心理学の本から拝借した。

左の部位は相手が会話中に触っている場所

肩 相手が効き手で反対側の肩を触ると嫌な気分がおそっている。
顔 気分的に受け入れがたい衝動が襲った時
口 疲労感を感じている
目や目じり 考えることを嫌がっている
耳 何かを決断した。しかし本人にとって喜ばしい内容でない
胸のあたり 気持ちがいいときに
頭 後悔の念が襲った。自責の念。失敗に気付いた時
腕、手 話に同意できない。批判的
膝 焦燥感を感じてい

勿論鵜呑みに出来ないが時に身体は正直という可能性もありうるという話。
しかし、もしこんな話が本当ならば、モナリザは何に焦燥感を感じているというのか。
ともあれ、他にも目が右上、右下、左上、左下でどう動いているかを分析する方法もある。
これは生態的?に出ている分析なので意外とあたったりする。

そういえば、早苗(だった気がするのだが)がこのような事を言っていた記憶がある。

私が「女性の会話と男性の会話は明らかに違う何かがある」と言った(もう少し
アグレッシブな何がだったが)事に答えてこう言う。

それは違うのは当然だ。
男と女は会話の目的が違う。
男は会話の結果を楽しむ。しかし、女は会話のプロセスを楽しむのだ。
と。

それを聞いて、成る程、と妙に得心した覚えがある。
そして、お決まりのライブラリからの引用を。

ジョジョの中のセリフ


「オレの知り合いか? おや! 全然違ったあああ だが なぜ他人の部屋に入り 荷物へ手をかける?」

「ジャイロ・ツェペリを探してる どこにいる?」

「おっと 会話の成り立たないアホが ひとり登場~~ 質問文に対し質問文で答えると テスト0点なの知ってたか? マヌケ」

確かに、質問文で質問で答えるというのは
高等なテクニックの1つではなる。
そういえば、金曜日の打上でも、望がこの高等テクニックを使っていた記憶が。笑

そしてモーロア。

幸福な結婚とは、婚約から死ぬまで、退屈しない長い会話のようなものだ

誰かが、恋人の条件で
「ディズニーランドで3時間スプラッシュマウンテンに並んでいても、退屈しない人」を挙げるように。

そして、私の最愛すべき映画「パルプフィクション」の秀逸なシーン。
これを見た当時、中学生だった私は、
「なるほど、沈黙とはそういうものなのか!」と意味もなく合点した覚えがある。
沈黙を破るための会話の是非。

パルプ・フィクション(心に残るあの台詞)


ボスに頼まれて、さみしがり屋のボスの妻ミアの相手をする事になったヴィンセント。50年代風のクラブ・レストランでのふたりの会話


ミア:こういうの嫌い?
ヴィンセント:何が?
ミア:気まずい沈黙 それを避けるためにくだらない事をしゃべる?
ヴィンセント:そうだな 面白い疑問だ
ミア:好きな相手だと 話をせず 黙っていても気づまりじゃない
ヴィンセント:僕たちは初対面だから仕方ないよ


そして最後に。
ジョンブラウンの言葉

会話の名手とは、相手の言ったことを覚えてる人ではない。
相手が覚えておきたいことをいう人である

投稿者 kaz : 00:58 | コメント (6) | トラックバック

2006年09月12日

酒飲む事と飲まれる事、飲む事に呑まれる事

wordsss.bmp

ジャージの腰の紐が、ひょこんと中に入ってしまった。
片一方からの紐だけが、びょろんと垂れている。
そのまま数日、じゃぶんと放っておいたのだけど、
思い立って、片方を取り戻した。

知らぬ間に世界は秋で。
残暑が、少し強いけれど、天気が良い日にはブランチ日和の旗が煌き
さながら、これから訪れる寒い季節に民衆を先導するような自由の女神

最近、やたらお酒が飲む機会が多くて。
会社の人や友人や旧友たちや。
でも、
何度も何度も何度も言うように
私はお酒が殆ど飲めない。

ビールだったら一杯が限界で
大学の後半の頃はリミッター振り切って、やっと二杯を飲めるようになったのだけれど、
最近は、やっぱり一杯に落ち着いた。

一杯目は美味しいと思うのだけれど、
二杯目はそもそも喉を通らない。
美味しいとかではなく、喉を通らない。
 これは私の身体なりのアラートで
その時、それ以上飲むと決まって頭痛が始まる。

つまり、弱いというのではなく、飲めないのだ。
アセトアルデヒト脱水素酵素が頑張ってくれない。
飲むと頭痛がスパークしてしまう。
だから、酔えるラインは、それこそマジノ戦線のようなタイトロープなのだ。

少しの酩酊は気持ちよいのだけれど、
気分が悪くなって頭痛が始まって、宜しくない。
でも、その分、二日酔いした事は多分記憶にあるだけで2回しかない。

一度はNYに留学していた頃、
ドイツ人やアメリカ人のランス達と、馬鹿ゲームで
ひたすらショットを飲まされ続けた挙句に
セロリのおつまみを食べてしまった時だ。
セロリは禁忌である。

もう一回は多分最近なんだけど
ぼんやりとした鬱蒼とした記憶でしか残っていない。
本当に脳が「思い出したくない」と、記憶を掘り起こす事を拒否しているのだと思う。
そこの大脳新皮質に埋まっているのはわかっているのだけど、
密漁区域になっている。

記憶が無く成る程、酔っ払ったのは
多分、高校三年生の映画撮影の打上だったように思う。
スピリタスをひたすら浴びるような学生時代にしか出来ない宴。
案の定、階段から転げ落ちた。
 
その頃は、身体のアラート機能やストッパーが整備されていなくて
整備不良もいいところだった。
ワイパーさえもなかったし、ウィンカーさえもなかった。
だから飲みすぎて、ココゾという時に身体が使えなくなる。
ほんとに使えない後遺症。

そう。
で、ともあれ、なんだか社会人になって
やたらと酒を飲む機会があって。

頑張って飲むんだけど
一向に強くなる気がしない。
もともと、もう強くなる事に諦めてはいるのだけれど、
周りに飲む人がとても多くて、
なんだか悔しくて、努力をしている昨今。

そもそも、
日本酒と焼酎の味さえも比べられるかも怪しいくらいだ。
最近、やっと赤ワインと白ワインの違いを認識しつつある。
今まで人生で飲んだ「アルコール」の量を概算で計算してみたら
10リッター弱とかじゃないのだろうか。
大学1年生2年生の頃なんて、通産ジョッキ20杯も飲んでいない。多分
強いワインだったら数十本程度。
なんだか計算していて悲しくなってきた。

おかんが、そもそも一滴も飲めない人で、
オトンも、ビール一杯で真っ赤になってはる。
遺伝も遺伝、どんぴしゃ遺伝。

大学以降の仲良かった女性を思い返して見れば
「圧倒的に強い」という人が多いような気がする。
単純に酔っ払いの記憶の方が印象に強いだけなのかも知れないけれど。
でも、「殆ど飲まない」という人の記憶も強く残っているので、
結局、相手がどうであれ、酒の問題は私にとっては、そう関係ないのかも知れない。
 しかし、物理的ベースで考えれば
「肉食」の人と「ベジタリアン」の人の組み合わせのようで、
やっぱり、それはそれで問題があるんだろう、と思った。
 でも、そんなものはBull Shit!であって、
瑣末事。

私が、単純に、最近、飲めるように努力しているのは、
単純に、飲めないより飲めるほうが便利そうだから、というだけである。
さりとて、体質改善は、Easyに出来るハズもなく、
まぁすぐ飽きるんだろうと思う。

そもそも酔うと、一過性ではHAPPYでも
相対的には、UNHAPPYな事態が待ち受けることが多いと経験則上
わかってしまうお年頃になったので、
まぁ、それはそれ、と割り切るのだけれど。

でも、悔しいのは
本でアルコール周りの話が出てきても
何も共感できないし、何もピンと来ないという問題。

そうそう。
ちょうど、こないだ、会社の方に
「原田さん、朝まで飲む時とか
 酒飲めずにどうしているんです?」
と言われて。

僕としては、しらふで喋っているのがデフォルトで
そういうものだと思っていたし
自分の世界というものは、そういうものだったから
当たり前だと思っていたのだけれど、
どうやら他者は違うらしいと、齢26歳にしてやっと知った。

だから、私は二次会とか飲み会とか苦手だったんだ、と。
ひたすらウーロン茶飲んでいるもんなぁ。
酔っ払いは、話は非ロジカルで、エンドレスリピートで
しかもコミュニケーション伝達率が1割弱に落ちていて
さらにはメモリーレスで、さらには情報漏えいダダ漏れ一直線で楽しそうなだけど
そこにしらふの話は水を差すだけだわねえ。

しかも、たち悪いことに、
どうやら原田は酒が強いように見えるらしく、
酒がのめねえって言っていても信用されない。
ということで、いちいちブログで公言しておるわけです。
おりに触れて。

ともあれ、そういうことで
最近は原田は酒強化月間です。
目標、ビール3杯。

さて、最後はいつも通り、ライブラリから。

マールハガー

酒と思い出を混ぜ合わせてはいけない

オマルハイヤームがルバイヤートで。

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、また青春の唯一のしるしだ。花と酒、君も浮かれる春の季節に、たのしめひとときを。それこそ真の人生だ

読み人知らず

酒で酔うより夢で酔え

投稿者 kaz : 00:23 | コメント (5) | トラックバック

2006年09月09日

はあちゅうの手帳

diaryss.bmp

【楽天市場】【女子大生クリエイター】“はあちゅう”プロデュース 2,000部限定!!2007年はあちゅう手帳:ソリッドアライアンス楽天市場店


はあちゅうプロデュースの手帳が販売開始したそうで。
詳細コチラ
♪2007年はあちゅう手帳発売開始♪-~はあちゅう主義。~

ひょんと頂戴致したので、レビューって見る。
まず女性色が前面に出ていると先入観があったのだが、
そんな匂いが全くないので驚いた。

非常にシンプルなつくりで
余計なマスとかがないのが素敵。

あと世界地図が付いているのは
バックパッカー的に嬉しい限り。
会議中の暇つぶしに国名を覚えるという作業が可能。
(今は地下鉄路線図で代用)

あと、ある意味、バーコードや定価が印字されてないってのも
マニア的にはありですな。
それと、栞が2本ついている点とか、
罫線だけじゃなく、5mm方眼がついている点も、幣職業的には助かる。

内輪的な売り文句ではなく、これで2,000円はかなりありじゃなかろうか。
限定販売で多売しないとすると、これ利益出ているのかなぁ。と逆に心配になったり。

さて、手帳だが
わたくしとて、一介のビジネスマンとして
手帳には愛着がある。

周りの影響から
クオバディスに心惹かれた事や、先輩の眼光でモールスキンに日和ったことはあれども。

結局、いまは2つの手帳に落ち着いた。


1個は、7年前から愛用している手帳。
予定やら、ポストカードやら、カードやら、手紙やら、地下鉄論戦図やら鬼メモやらが入っていて
これが亡くなったら、比較的、数週間は立ち直れないこと有望。







手帳 プライベート用


Originally uploaded by kazuhide.


で、ビジネス用は、どこまでもシンプルなものが良くて、ハンズで買った安い手帳。
12枚+メモ程度しか中味がなくてスーツの内ポケットにも余裕。
来年度は、こいつの代わりにはあちゅうの使ってみようかと検討。


手帳 ビジネス用
Originally uploaded by kazuhide.



で、手帳ってのは、持つ人と持たない人がいるわけで。

あるいは、PDAとかにする人も多いわけですよね。
小生もミーハー体質として一時期PDA使ってたけど、
なんだか、しっくりこなかった。
使いこなせると完璧なんだろうけど、その時はダメだった。
 瞬間で書けないとか、図で書けないとかの些細なストレスが嫌だった。

で、まぁ、予定とかは、今は携帯やPCでも代用できるけど、
でも、なんだかんだ言って、やっぱり手帳開いてしまいますよね(そうですね)。

大学の授業中とか会議中とか、暇つぶしに、ひたすら色んなものを二軸で切っていても
メモっていると思われる効用。

で、結局思うのは
手帳の価値ってのは三点に集約されるのではないか

・インターフェイス
・ポータビリティ
・ファミリアリティ 的な。

つまり、使いやすさ(シンプルさ、わかりやすさとか)、
持ち運びの便利さと愛着、的な。
思いつきだけど。

手帳で原田ライブラリを検索。

ロボートマスコットの言葉。
=1910年イギリスの探検家スコットが南極点を極めた後、遭難したさいに手帳に残されたメモの一部

余はこの旅行にいささかも悔いるところなし

もし彼が手帳を持っていなければ、と考えると、
手帳は、メモ帳は時に人の歴史の上に墓標さえも築くものなのだと気付く。

投稿者 kaz : 23:28 | コメント (2) | トラックバック

2006年09月05日

メールの作法

inuinu.bmp

メールの作法、とか書いておきながら
実は何も考えていないのだけれど。

うーんとですね
メールって言わば手紙。手で渡す紙なわけですよ。
言わば私信。わたくしめの信ずる所なわけですよ。

で、今の主流は電子メールと携帯メール。

電子メールは色々ありますわな。
作法どころか、マナーから、スパムメールから。
電子メールは良いとしようと。

問題は携帯メールですよ。
私は元来、携帯メール嫌いの論陣を
かれこれ8年だか程まえのショートメールの頃から張っていたわけですがね
ツーカーだったっけ?すっかり忘れちゃったよ。

ともあれ、やっと最近、携帯メールも
重要なツール、あるいは手紙だと気付いた昨今なわけですよ。

しかし、そもそも携帯でメールを打つのが嫌で嫌で
PDAのような携帯を持っていたのだけれど
小さなキーボード自体がそもそも苦痛で諦めたわけですね。

じゃあ、携帯で打たねばしょうがないならば
その打つ時間をいかに最小限に抑えるかを考えるわけです。
携帯のメモリってあげれるのかな?
それは知らないけど、FOMA遅いね。蛇足だけど。

で、まぁ、SONYジョグダイヤル凄し、とは思うわけですけど
過去は昔。
数字打ちっていうんですか?ページャーの頃ですよ
ポケベルっていうんですかね。
すなぎもを3351220475って打つ奴ですよ
おおスゲエ。今でも普通に思い出せる。

まぁ、どうでもいいや。
今の携帯のあ行変換というかなんというか
「お」の行を出来るだけ使いたくない打ち方は
ぱっとしないわけですよね。
時間かかる。

で、数字打ちは速いんだけど
結局、まだかな打ちなわけで。

で、まぁ、いいや。

で、何がいいたいかというと、
毎週日曜日にブログUPする習慣つけていたのに
崩れたから、とりあえず1日くらいならアンダーパーということで
OKだろうと、取り急ぎ
ほげほげ書いているわけなんですけど
急いで書いているから、何が書きたいのか
検討も付かない。

たまたま携帯メールがきたから
それで書き始めただけです。
写真とか、無関係。

で、ああ、そうだ

携帯メールって、人柄でますよね
電子メールも出るけどさ
相対的なもんじゃなくて絶対的なものとしてさ。
だろ。

例えばよ、例えばよく女性から聞く話では、
男の人で、とくに年配の方で絵文字や顔文字っていうんですか?
を多様する方は、うまく行けばギャップがあって可愛い!
ってなるんだろうけど、失敗すれば
「えー」ってなるわけらしいですね。
厳しいですな。

原田としては、そもそも顔文字をどう打つのかさえ良くわかってないので
使った事がないのですが、
その分、エクスクラネーション(なんか違う)マークを多用しすぎる傾向にあり
わたくしめの辞書には、「!」「と「-」と住所しか入っていない罠。

でさ、問題は件名ですよ。
メールの件名ってさ、めんどくさくね?
あんなもんいらなくね?
テキストマイニングしてさ、なんかキーワード抽出して
かってにタイトルにしたらええやん。
tag化とかさ。
携帯メールってアナログすぎるやろ。
メタデータってあるのかな。あるんだろうな。
携帯のデータとかも入っているのかな。
そもそもPCメールとプロトコルは同じなん?
気になってきたけど、Google先生に聞くまでもないな。
どうでも良いな。

えっと、そうそう件名。

普通だったらさ、件名を入れるのがめんどくさくて
「返信」で、まえのメールの件名ぷらす「Re;」ってなるケースが多いわけじゃないですか。
電子メールだと返信は、タイトル残すのがマナーらしいけれどね。
携帯メールだとどうなんだろう。

で、ともあれ、返信でも丁寧に毎回件名を変えてくれはる方とかも
たまにいはるじゃないですか。
それって意外に凄いと思っていて、
とてもまねできない。

あとさ、絶対に最後のレスを自分にする人とかもいるわけじゃないですか。
なんといううんでしょう
「ではでは」で終わらしても「ではー」で返してくれる人とか。
で、21言ったらあかんゲームみたいに、こっちが
「ではー」で返すと、絵文字で手あげた顔みたいなのがいらっしゃったり。
あれも、素晴らしいと思いますです。なんか素敵

ああ、あと絵文字凄い人は凄いね。
あれは芸術ですね
2ちゃんのAAと双璧をなす日本人の文化っすね。

いまさら (: とかのスマイルマークはもう時代遅れなわけですね。
:P このマークとかいいじゃないっすか。
シンプルで素朴で。
しかし、今の顔文字だか絵文字だかその辺のものはなんか
五重の塔とかも再現まで出来て(知らんけど)
もうくりびつ。

あとレスでもその人の性格あらわれますわね。
基本即レスの人と
デフォルトのリードタイムが24時間の方とか。

それに良い悪いもないんだけど
結構性格が出るものなんではないかと勝手に思っている。

あと、ちょうど昨日話でも出たけど、よく
「書いている途中に送ってしまう」方とかね。
愛嬌が御座いますな。

携帯メールって凄いね。
今更気付いたよ。
だって、あれですよ。

言わば人間ポストですよ
いきなり相手の胸元にドスンと胸突き八寸なわけですよ。
ああデンジャラス

あー、だからさ携帯メールは
「待ち」のドキドキがあるとか昨日みなはしていたわけだ。

基本、電子メールの方にとっては
携帯メールのドキドキは、逆に苦手でねえ。

ぴろろろん とかなるとねえ
それがスパムだと、窓叩き割ってあれですよ。

でも携帯メールって、よくレスわすれちゃいますよね。
そんなあなたにパーフェクトソリューションを提供しましょう。

それは、携帯メールを、基本、電子メールに転送するようにする。
あるいはレスせなあかんメールは常に電子メールに転送。
これで、万事解決。

でもさー情報管理ってのは一元化できたほうが良いと思うわけですよ。
今でも多くの人がしているけど
メモを携帯でとって送るとかさ。
で、予定とかもRpadとかでメール管理が出来るわけじゃないですか。

RSSもメールで受け取れるわけだし。
そう考えると、もっとメールでいろんなものが管理できたら
ええんとちゃうの?

SNSも友人の更新とか全部メールで見れるとハッピーなのにね。
多分、3rdパーティの奴で出来るようなきもするけど。

アプリも一杯たつとしんどいから
音楽とか、メッセンジャーもメールベースになったらええやん。
メッセンジャーの言葉送るのにメール送るの。
本末転倒。
音楽とか、itunesで検索かけるよりも
探したい曲をメールの件名で書いて送れば
自分のPCにあるitunesの該当曲をメールで返してくれるとかさ。
2わんごとか、そういうモデルだね。そういえば。

どうでもいいけど
こないだベッキー壊れてなきかけた。
空メール受信の悪夢クラッシュだった。

そうね。
メールねえ。

ああ、そうそう。
メールは夜書いたらあかんね。
古来からの言い伝えどおり。

あとメールで名言ソートしたら
こんなのでてきた

携帯メールでの離婚宣言は認められないとマレーシア。イスラム法では有効 アラブ首長国連邦では有効

いつのメモだ?

投稿者 kaz : 00:12 | コメント (3) | トラックバック