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2006年07月17日

Why so raining

mixedup.bmp

今回は雨に敬意を表し情緒編。

日曜日、夜の麻布十番はどこもかしこも閉まっていて。
突如入った予定、三連休半ばの夜。
たまたま開いていた二の橋の麓にある地下一階のその店は、因縁付きの店だった。
アンニュイ、という響きが似合うようなそんな。「本日のメニュー」の一番下に殴り書きされた
ブラジルの定食は、豆と肉で出来ていた。
ビーンズ、と頭の中で呟いた。

故人が「銀の針のような雨」と形容した霧雨が7月の街を覆い
東京タワーも、そして六本木ヒルズさえも
淡い水墨画に変えてしまう。
そして、甘い雨が現世の「リアル」って奴を曖昧にした侭に
僕らは雨の麻布を彷徨う。

閑散とした夜更けの十番の商店街を抜けて
けやき坂のtsutayaで本の匂いを身体に吸い込み。
芋荒坂の侘しさと悲しさを通り過ぎ、アマンドに至る。
夜の六本木はいつも通りに
セックスを言語とした喧騒にまみれていて、
微かな青春の芳香と夏が創る汗の色香が
ありし日の思い出を手放さないでいる人々の
無情を包み込む。

"通り雨がコンクリートを染めていくのさ"と
イニシエのメロディが街を炙り出す。
婀娜めく人々が、初夏を待つ嬌姿のまま
時が止まったように刹那の休日前夜を謳歌する。

「ニュウバイしたそうですね」
と、言われて混乱したのがひとつき以上も前になる。
ひとつき、と呟く。
文月ももう半ば。

漢字で書くと入梅。
梅雨の季節は、脆く儚い。

今年の梅雨の時期に買った傘は5本を越えた。
言うならば、おざなりの傘。
そして、その梅雨の季節も、あと一週間もすれば明ける事になる。
そうすれば、我らが時代、と故人が言った夏がやって来る事になる。

夏がなぜ良いかというと、
ただ一点に尽きる。

それは夏が夏の思い出を運ぶからである。
夏が持つあの朝の眩しさや
夜の街を包む炎天下の午後や
熱帯夜に響く風鈴の音、
主に小学校から中学校までに凝縮されて
海馬に生みこまれた夏の記憶が、
夏の音や匂いや暑さと共によみがえってくるからである。

これゆえに夏は良い。
ある夏の思い出を、薄っすらと思い出す。
残光の残っていそうな夜のcafe。

「自殺を考えた事がある?」
「ない」

即答だった。その人は迷うそぶりも見せず答えた。
そして視線をグアムスカッシュに移し、
ストローで氷をかき混ぜた。

他意なき質問だったのだけれど、
人間誰しも中学生頃の思春期に、死と生について
悩むものだと思って居た僕は、少し面食らった。
キルケゴールを読む必要はないとしても、
己が提示する死の可能性を考えた事がない、と
瞬時に声に出せるその凛とした響きに戸惑った。

プロントの冷房はいささか効きすぎて、
間違って頼んだオレンジスカッシュも
減る事を知らない。

また別の話。
不意を突かれた回答の話。

「サーフィンは好き?」
「最後は必ず波に飲まれるのが良いと思う」

これまた癖で他意なき質問をした僕なのだけれど、
想像し切れなかった感想に、狼狽して上手な返しが出来なかった。
そういう考え方もある。
サーフィンに飲まれる波の儚さと永久なる永久運動に乾杯を。
泡沫の人生に、泡沫の煌きを。

そして、また別の御話。

「届いていないよ」
と、想像を超えた回答が返って来て、またも少しめんくらった。

たまたま電話で、その「出したもの」に関して話をする事がなければ
僕は「出したものが届かなかった」事実も知るすべはなかったし、
相手も「出されたものが届いていない」という事実も知らないまま生きていたのだろう。

世の中には、そんな「混線」が沢山あるんじゃないかとふと思った。
例えばメールアドレスを間違って別の友人にメールを送ってしまったとしても
間違われた相手が、そのメールを自分で処理してしまえば
送った方は間違った事を知らない。
そして、自分は送ったと信じ、相手には届かない。

同じく、スパムメールにまぎれて
届いたメール。
うっかり削除してしまったならば。
自分はメールが届いた事は知らないし、
相手も、送ったはずだと信じきっている。

電話と異なったメールの寂しさは、このような
一方通行の可能性にあるのではないかと、ふと思った。

何かしら、とても悲しい。
相当に悲しい話。

誰にも読まれない言葉というものに哀れみを感じ
悲しいのか、それとも、どこかを彷徨う言葉の末路に悲しみを
感じるのかわからないけれど、その違いは以外と大きいんじゃないかと思った。
なんだか、日の光を見る事なく死んでいくカワウソのように、
あるいは、両性具有の中で自己完結してしまうカタツムリの哀愁のように、
それは、何かしら小動物や昆虫の憂いを思い出させた。
ペーソス、と日常では使い勝手のない言葉のない言葉の甘酸を思う。

下書きのまま保存されたメールや、
公開されないままに埋もれたブログのエントリー、
あるいは切手が貼られないままに封された色あせた手紙。
言葉が好きだからこそ、
時代のエアポケットに埋没してしまった
報われない言葉たちに追悼を祈る。
ご多幸を。

深夜3時のFRIDAYSは、
ボリュームを間違った音楽で溢れていて、
頼んだクッキーシェイクサムシングも
甘さを間違えたようなSweet加減だった。
その甘さを消すようにビターな言葉で行間を埋める。

物には時節、花の咲散、人間の生死を嘆くべからず

そんな井原西鶴のビターな言葉が
人生に何かのノスタルジアとアタラクシアを
与えてくれる事もある。
just I was looking around there on the top of steps.

4年前にインドで出会った人から
メールをもらった。
大仰に言うならば、青天の霹靂。
平たく言うならば、雨の日の懐かしい便り。
4年前の自分は何を見ていただろうか、とお決まりの自問自答を
自身に返す。人生はフィードバックとより返す波、そして揉み返しの連続である。
4年前、インドになぜ行ったのかはよく覚えていない。
多分、例の如く、三島かミシマの言葉の影響を受けて飛び出したんだろうと思う。
結局、旅ってのは見切り発車なのだ。事前準備は、そもそも旅の枕詞として似つかわしくない。
そして、インドに行って何かが変わって、何かは変わらなかったというだけの
どこにでもある転がっているような話。
でも、このような旅行の記憶というのは、自分の記憶の中のベンチマークのような役割を果たす。
あるいは、単純にDVDの区切りのような効用を意味する。
NYの頃、あるいは、箱根に行った頃、はたまたインドの頃、と自分の人生は
年ではなく旅で区切られている事にいつしかあなたも気付く。
旅で何かが変わったわけでもないのに、やはり旅は何かしら記憶の「before」と「after」を
分けてしまう効用を持つ。それは、旅が純然たる非日常ゆえに、日常は分離され
別のメモリに貯蓄される。
インドの人が焼かれている様を、ガンジス川のホトリで見ていると、そのガンガーの横でその人は
インド人にナンパされていて。で、「あ、関西弁だ」と思って、話が始まった記憶があり。
そしてモナリザというジョークにもならないセンスの店でベジタブルバーガーを
僕は食べた。それだけの記憶が、ぼんやりと頭の痒い所を締め付ける。

FRIDAYに時は戻る。
「この世に生きている価値がある人間がどれだけ居ると思う?」
「さぁ。どうだろうね」
「"ズィエロだ"」とオーデュボンの祈りのサクラの口調を真似して言う。

ユーゴは何を今見るんだろうか。

投稿者 kaz : 2006年07月17日 17:24

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コメント

雨によって思い出される事って多いですね。こちらNYは蒸し暑い季節到来です。この蒸し暑さが、私に東京と東京であったいろいろな出来事を思い出させてます。

投稿者 tomoyoーfebreze : 2006年07月18日 12:34

NYいかがですか。熱そうですねえ。
懐かしい。涙
でもNYは、やはり夏や冬より春や秋が似合いますね。
あの冷房の効きすぎた店内が懐かしい。

投稿者 原田 : 2006年07月22日 13:48

旅行かぁ
NYの思い出、私にとっては一番かも。
旅の記憶って忘れないものなんだなぁ・・・って

季節の変わり目、春の匂いが好き。
秋の紅葉なんかも最高!!
次は北海道で紅葉見ながら温泉なんてのは!?


投稿者 Maki : 2006年07月24日 09:42

NY懐かしいねえ。
もう6年?前になるかね。
不思議な空間だったねえ。

紅葉みながら温泉良いね!
マストで行こう。行こういこうといいながらいけてないのが忸怩たる思いです。
是非行こう。

投稿者 原田 : 2006年07月29日 14:05

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