« 2006年05月 | メイン | 2006年07月 »

2006年06月25日

ダンスダンスダンス

azisai.bmp

最近、やたらと夢を覚えている日々で。
大抵がナイトメアと形容されるソレに属するようなもので、
いささか厄介。

夢ってのは良い夢、ナンセンスな夢を見る分には
非常に豪華絢爛な奴だが、
やんちゃをする事もあり、非常にトラブル。

ともあれ、そんなヘビィな寝起きを
毎朝してられんな、と思うわけで
やわになっている、と思うわけである。

今日は、なぜか意味もなく唐突に5時に120%の力で起きてしまい
(寝たのは3時)、
朝から、謎にパワフルな寝覚めをもてあましていた。

気がついたら、全力で脳が回っているような目覚めなわけである。
二度寝したくとも、体は5速に入っている状態。6000回転ですよ。
仕方ないので、冷蔵庫から卵のサンドイッチを取り出して
珈琲メーカーのスイッチを入れた。
牛乳を買うのを忘れていたので、ブラックにした。

そして、洗濯をして、PCで作業をしていたら、
唐突なる「何か」に襲われて、気付くまもなく落ちた。
まさに、事故のような眠りだった。

ダンスダンスを思い出す。

でもそんなことをぼんやり考えているうちに突然眠りがやってきた。
舞台の暗転みたいな一瞬の急激な眠りだった。
眠りに落ちた瞬間のことを僕はちゃんと覚えている。
巨大な灰色サルがハンマーを持ってどこからともなく部屋に入ってきて、
僕の頭の後ろを思い切り叩いたのだ。
そして僕は気絶するみたいに眠りに落ちた。

ともあれ、そんなでもっぱらの私の敵は夢であり、
ガチコンいわせなアカン。

夢でライブラリ検索。

ゴッホの名言。

一番美しい絵は寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ。

なんとリアリストで皮肉屋でクールなのだろうか。
しかし寝床でパイプくゆらすと火事になりますよ。

夢を続けましょう。

ラルフローレン。

私は洋服をデザインするのではなく、夢をデザインする

いいんじゃないかな。

そして我らが国木田独歩先生。

男女相愛して肉欲に至は自然なり。
肉欲なき恋は真実にあらずして空想なり。
醒めてあとは夢の如し。第三者の目より恋する男女をみれば、ひとつの痴態にすぎず。
されど恋する男女にとりてはその痴態も真剣なり真面目なり

なんて素晴しい文章を詠むのだろうか、とうっとりするなぁ。

しかし、こないだのボニーピンクの歌詞といい、
この「肉欲なき恋は真実にあらずして空想なり」という断言と言い、
極論は時に非常に心地よく刺さってくるもんだなぁ、と思うわけで。

J・L・カーさん

あの穏やかな日の続いた季節-すべては夢のように消えてしまった

なんとヘビィな事を言うんでしょう、と思うんだが
まぁ、万物流転とアリストテレスが喝破したように
万物は「夢」のように消えるから良いのである。

しかし、問題は
「ツワモノどもが夢の跡」といわれるように
跡が残るからそこに水溜りが出来雨がフリ
鍾乳洞が出来、観光客が訪れ、饅頭が売られだすことになるのであろう。

しかし、あれですよね。
加齢と共に涙もろくなるのは盛者必衰の如く自明のモノではないかと思うのだけど
どうだろうか。

いや、別に何かを思い出して、とかいうよりも、
単純に何かに心揺さぶられる系の。

スポーツは当然としても
あまりにも雄大な自然や、
あるいは友人の日記の一行が、なんかシナプスをスパークさせやがる場合とか
なんか諸々。
あるいは単純に目が疲れているだけの可能性もかなり大きい。
一気に視力が悪くなってしまった。とほ

やわになってるなぁ。

チベットとかソマリアとかアイルランドとかパレスチナとか
キルギスとかクルド人とかプエルトリカンとかウイグル人etcetcとかは
私の頭からいつ出て言っちゃったんだろうか。

下記、再度、ダンスダンス。

何か主張するくらいなら、言われたとおりに何でもやってやろうというような気になっていた。
その方が楽なように思えた。

やわになっている、と僕は思った。
疲れてやわになっている。昔はこうじゃなかった。
昔はもっと真剣に腹をたてていた。
ジャンクだろうが煙草の煙だろうが電気カミソリだろうが、そんなもの気にならなかった。
年をとったんだ。
弱気になっている。

この言葉って、ひどく胸に突き刺さる今日この頃で。
仕事とかじゃなくって、なんというか社会的な人間という意味で痛感する。

つまりですね、
昔は、もっとパレスチナとイスラエルの宗教問題とか、
格差問題とか、少子化への問題意識とかずっと強かったんですよ。

それが、今はどうしたことだ。
日常に忙殺されて、日々をこなすことで一杯になってるわけで。
昔は、空腹だったし、金も今よりもなかったし、何もなかったけど
ひたすら、やり場のない怒りを世界にぶつけていたような気がするなぁ。

マスメディアだとか、政府だとか、国だとか、教育だとか、甘えだとか
片端から怒っていたような気がするんだけれど。

マザー・テレサは言ったよ。(有名な言葉だけど)

愛の対義語は、憎しみではなく無関心
だと。

昔はこの言葉聞いても、ふーん、としか思わなかった。
そもそも愛ってのが肉欲だと勘違いしてしまうような頃だったからかも知れないけれど。
最近、やっと、この言葉の意味をおぼろげながら解かるようになってきたわけ。
「あなたの言う国を作るってのは、マザーテレサ云々」と指摘されて
改めて思い出したわけで。

無関心というのは、原罪としてしまうには
あまりにもevilである。

そして、無関心でもしょうがないさ、と
達観するのは、より極悪である。
諦めという概念は、時間という次元の否定であり、
同時に、故人たちが追及してきた人の可能性というものの排斥である故の、先達たちへの冒涜であり侮辱ですらある。

最後も、ダンスダンスに締めてもらいましょうか。

なにもやらないよりは動いた方がいい。
何か試してみた方がいい。
理力が僕とともにありますように。

May the FORCE be with YOU

ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
村上 春樹
講談社 (2004/10)
売り上げランキング: 11,749

投稿者 kaz : 20:01 | コメント (4) | トラックバック

2006年06月18日

LOVE IS BUBBLE

tutaya.bmp

雨の、と続けば
銀座でもなく六本木でもなく西麻布らしいけれど
本当かしら。

いわゆる現代の枕言葉でしょうか。

ツタヤの上の、
とくれば、wired cafeで
ハラレの、とくれば
パームロックビラとか
そんな話でしょうか。
詮無い話だなぁ。

今月、この歌(映画)の話がちょくちょく出て(3回くらい)

LOVE IS BUBBLE
LOVE IS BUBBLE
posted with amazlet on 06.06.18
BONNIE PINK Youichi Murata
ワーナーミュージック・ジャパン (2006/05/10)


雨宿りのツタヤで思わず買ってしまった。
遅い話題だけれど、ともかく。

ご存知、某映画のテーマソング的なものなんだけど
歌詞がソリッドなのが良い。

まずこないだ夢でエントリー書いたけど、
彼女はこういうわけである。

終わらぬ夢なんか無い 続きはお金で買うもの

クールだ。非常にコンクリートだ。
新しい価値観だ。
新緑が芽吹き、煙草が値上げされるわけだ。

そして、

money for me, pleasure for you

という。

金と快楽の比率は、どんなもんなんだろうね。
相場じゃなくて比率。
金:快楽=1:10とか?
とりあえず、10の金があれば、一の快楽が買えるかも。
逆に1快楽もっていれば、10の金。
リスクプレミアムをのっけると、5かけくらいになるかも。謎

ともあれ、

誰かの明日を支える素敵なお仕事

なわけである。

うーん。素晴らしいセンス。
ただLOVE→BUBBLEという言説であるが、
文法的には、BE動詞は第三文型のSVCであり、
S=Cであり、つまりは、Bubble=LOVEということで、
そう考えると、90年(91年)からのバブル崩壊は
愛の崩壊だったわけだな。得心得心

で、
思わず、マドンナの最高の曲
Material Girlの歌詞を
思い出してしまった。

Some boys try and some boys lie but
I dont let them play
Only boys who save their pennies
Make my rainy day, cause they are

マテリアルワールドに我々は生きるわけです。
望もうと望もうまいと。
それを避けるならば、森に帰るしかない。
蜂蜜と香草で生きていこう。
きゅうりを食べて雨をしのごう。

連想的にベタに歌舞伎町の女王を思い出した。

女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲した時に全てを失うだろう

「体」と「情」の乖離ってのは
ある種の仮説でしかないのではないかと。
つまり、反証されるまでのつなぎでしかないと。
いつ情が生まれるか知れないわけで。

で、まぁ現実主義=リアリズムってのは、
理想論と対峙するものなのか、というところが興味深い命題であり、
まぁ、国際政治的には、確かアウフヘーベン万歳だった気がするけど?

この「情」と「恋」の混同ってのは
世間どこでも見られる出来事で、
そうすると、その近接性が、実は根源が近似であるために起こるという可能性もあって。
つまり、情と恋ってのは別物ではなくて
もともと一緒のものなのかも知れないとかいう話もありえる。
まぁ、なんだって良いのだけど、
椎名さん的には体を売ることと同情は別にするのがビジネスマナーの模様です。

つまり、こういう出会いは、快楽ビジネスにおいてはレアだということですね。
リチャードギアも、もう年を取ったという事です。

Pretty Woman Roy Orbison Lyrics

Pretty woman
Walkin' down the street
Pretty woman
The kind I'd like to meet


ともあれ、我々は資本主義に生きる。
money makes you 'damm happy, mother*ucker

「金で何でも買える」と言った経営者が居たそうだけど(言質の正確性はあずかり知らぬ)、
agreeかdisagreeかと言われれば、
どうでもいいというのが答えであり、
金で何でも買えるならば、フリーザは人を殺さない。

歌の連想は続く。

NO DOUBT - JUST A GIRL LYRICS

I'm just a girl. My apologies
What I've become is so burdensome
I'm just a girl. Lucky me
Twiddle-dum there's no comparison

か弱き者、汝の名は女という話があったけれど、
話は飛躍するけど
最近は、メディアで女性とビジネスを絡ませる話が
多くて、華やかで と書こうとして
「花」で原田ライブラリを(C)+Fしたら

小林秀雄さんの有名な一言。
相変わらず名言ってのは色あせないのぉ。

花の美しさというものなどはない 美しい花があるだけだ
あるは武士道の
枕に通うとも咎なきものは花の香り、遠寺の鐘、夜の虫の音はことに哀れなり

でも実は、匂いってのは罪なもんです。
ふとした匂いで過去がフラッシュバックするものですから。
たとい、それが花の匂いだとしても。

なんちて(岡崎京子風)

とソクラテスの

ぽかんと花を眺めながら人間も本当によいところがある、と思った
花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの

というのが出てきた。ソクラテスが今いいこと言った。

そしてサントリーオールド。

恋は遠い日の花火ではない

花は良いよねえ。
あの儚さが良い。

で、さらに話はどんどん飛躍するけど、
(何も考えずに書いているから、おとしどころも見つからず)
砂漠に雪を降らすんだ、という超名作があります。

砂漠
砂漠
posted with amazlet on 06.06.18
伊坂 幸太郎
実業之日本社 (2005/12/10)

本棚焦ってたら出てきた。
これ名作です。

砂漠に薔薇を咲かすんだ、っていう本を書こうかな(適当

あとさらに話は飛躍して
ドバイやばいっすよ。
最近ドバイが熱すぎる。
ドバイ凄い。ドバイマストバイ。
ドバイヤバイヤバイドバイスゴイドバイ
ドバイズンドコドバイパラリラドバイ

さらに飛躍して思い出した。

北川社長と大木社長が
似たようなことをしてはる。

北川社長は、PC上で照明のオンオフ。
Kitagawa WORK STYLE: 電灯オンオフ画面
大木社長はPCからリモコン操作。
おもしろいものはすべて取り入れる:[自宅]ハイテクすぎ - livedoor Blog(ブログ)
面白いなぁ。


あと歌の連想は続く
女性というものを歌った歌。

ミスターさんのデルモという名曲。

コラム

いつも自己管理 ダイエット 睡眠不足
華やかな様であって 死んだ気になりやってんだ

モデルって仕事も大変、という仮説から得られる示唆は、
華やかに見えるものほど、実は汗だらけ、というアナロジー。
いわゆる、アヒルが優雅に見えるけど
水面では、ひっしこいて、ばっきんばっきん足を漕いでいるという話ですな。

あ、それで思い出したけど
今日は高木君に電話したら
元気そうで何よりだった。
やはりGOGOバーは
日本に輸入すべきだと検討(既に近似のものがある)。
てか、GOGOバーは実はどうでもよくて
タイ飯がもっと日本に入ってくるべきぞなもし。
そういえば、用事なしで人に電話するって
久しくしてなかった気がするなぁ。嘘かなぁ。
嘘かもなぁ。

今日は父の日ということで、
父ちゃんに電話したら
電話の最中に「わー」というから
「すわ何事!いざ鎌倉!」と焦ったら
サッカーを見ていたそうな。

あれだな、雅だな。

あ!あと
東京フルマラソン申し込み始まってるよ!
とりあえず申し込んどけホトトギス
祭りじゃわっしょい。

東京マラソン2007 - Tokyo Marathon 2007 -

雨だね。
ええ。最近とても雨ですね。
でも、なんか雨という概念を認めたくなくて
あまり傘を差さない。
スーツが濡れて濡れネズミ。
ぱっとしない。
でもさー、なんでネズミが濡れてちゃいけないのさ。
いや誰もいけないって言ってないんだけどね。
だらだら

肩が痛いよう。。。

まぁともあれ

Whitney Houston - Its Not Right But Its Ok LYRICS

It's not right but it's okay
I'm gonna make it anyway

ってことですな。

Make itだな兄弟。(謎、及び適当な締め)

投稿者 kaz : 23:44 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月11日

一番最初に見た夢

gobaxkhome.bmp

中島みゆきの歌にこのようなものがある。

いちばん最後に見た夢だけを 人は覚えているのだろう
幼い日に見た夢を 思い出してみないか

一番最初に夢を抱いたのはいつだったろうか。

先日見た映画陽気なギャングが地球を回すでは
「一番最初についた嘘は何?」という話があったけれど、
最初についた嘘よりも、最初に見た夢の方が
思い出すのは難しい。
(どうでもいいけど鈴木京香最強説浮上)

最初についた嘘はこうだった。

幼稚園以前だかの頃、近所の女の子2人と遊んでいて、
何かの弾みで、多分いたずらだったんだろうけど、
1人の女の子から、僕たちは隠れていた。
そして、彼女は、急に消えた僕たちに驚き、
泣き出した。

後で、彼女の親が表われて
「なんでないているの?」と聞いて、
僕は「知らない」と答えた。

その嘘をついた事を
自分の親に黙っていて、それが自分の中で罪悪感となり
とてつもなく大きく膨らみ、ずっと辛かった。
半年後、半泣きになりながらやっと親に打ち明けて
すっきりしたのを覚えている。

それで思い出したけど
(あるいは今日、けんすうの日記に書き込んで思い出したけど)ドストエフスキーの
罪と罰
やはり現代においても必読の書ではないかと思われる。

時代が超えても普遍的なものというのは、
すべからくの量だけ存在し、
その一冊がこれではないかと思える。

特に、青春時代、
それこそ若さというものをもてあまし、
世界があまりにも陳腐に見え、
エゴイズムをエゴイズムで鼓舞するような
怖いものなんてない時期にこそ、
あるいはそういう時代だからこそ、
この本は、重みを持つもののように思う
 てかヒルズ近辺に住んでいる人にとりあえず
無料配布すべきだ。

この本とは簡単に言えば
ロシア人の青年(ラスコリーニコフ)が、罪を罰してソーニャにめろりんキューになる話である。
嘘である。

anyway goes anywhere

最初に見た夢は
父親の後を継ぐことだったように思う。

地平はどこまでいってもまっすぐで
草木は萌え、そよ風が囁くような
牧歌的な時代の話だ。

あの頃から時代は過ぎて。

ベルリンの壁は崩壊し
香港は返還され
タージマハルは値上がりし
スターがバックスした。

そしていくつもの夏が過ぎた。

海、と聞くと、自然と胸が躍る。
きっと海のない地方で生まれたからなんだろう。
ちなみに大阪湾は、海ではなくデカイどぶ、というのが
通説であり共通見解でありオブジェクションは認めない。

ありし日の砂浜を思い出して、
あるいは、高校の頃の花火を思い出して
あるいは小学校の頃の蚊取り線香の匂いを思い出して、
なぜか、ゆーみんのHello, my friendの

台風がゆく頃は涼しくなる

という歌詞を思い出し、これが主題歌だったドラマは何だったっけと
ひとしきり考えたけど思い出せないので、思い出さなかった。

何が言いたいかというと
海にいきたきゃぁ、海にいきゃいーな、と思ったんですよ。
海は自分で掴み取るもんだと思ったんスヨ。
運ってのはスタックさせるものではなくスパークさせるものだと思ったんスヨ。
そうっすよ。

浪漫はどこだ?

投稿者 kaz : 17:38 | コメント (6) | トラックバック

2006年06月04日

busy beauty but baby

bussyys.bmp


忙しさ、というある種の名詞がある。
忙しい、と言えば形容詞であり、
忙しく、と言えば形容動詞だ。
命令形はないけれど、言うならばどうなるだろう?
harry up!?
違うね。
be busyかね

anyway

世の中は、忙しさで満ちている。
言語使用頻度数で言えば、

忙しいが
「20,500,000」件。
楽しいでググったら
「68,200,000」件
ちなみにエロいだと
「2,920,000」件
嬉しいだと
「80,500,000」件(うれしいとの累計)
悲しいのは
「18,100,000 」件
優しいのは
「25,500,000 」件

つまりは、世の中は、
悲しさよりも、忙しさに満ちている。
優しいことといい勝負。

で、だ。
(下記は、誰かの話やブログからインスパイアされたわけでない点を
ご了承をば。つまり、誰かが忙しいと言っていたから云々 というわけではないという
点を言いたいだけ。
そもそもこのエントリーは2、3週間塩漬けにしていたもの)


忙しい自慢だけはしたくないと考えている。
それは、他人がしてはっても、
あるいは友人がしてはっても
それは、それでまったく問題ではない。
 むしろ、他人が使っているのを聞くと
本当に忙しいんだろう、と思って、
自分も頑張れるという意味では、他人には推奨しても良いくらいである。

しかし、自分は言わんときたいなぁ、と思っている。
あくまでも、絶対的なまでに自分の中での
問題である。
自分が「忙しい」という言葉を出来るだけ使いたくない、と考えている。

なぜなら、忙しい、という観点に囚われてしまうと、
終わりがないからだ。

例えば
「2日完徹だ」
「今月は20日タクシー帰りだ」
「残業100時間越えた」
「今年入って、太陽見ていない」
「もう3時間睡眠になれた」 etcetc

でも、それを言い始めれば、
「本当に」キリがなくて。

じゃあ、
「25年間、ずっと呼吸をしているよ」という
忙しさだってあるだろうし、
そもそも、マグロさんなんかは、
一生泳ぎ続けているわけで。

それに、きっと世界で一番忙しいのは
蟻であることは間違いない。
子供の頃の記憶は、インパクトが大きい。

それになにより
忙しいというものは、
自分が仕事・日常をうまくまわせていない故に
「忙しい」と感じるわけであって、
出来れば、うまくハンドリングしたいわけで、
そういう意味で、忙しいってのは、自分には言いたくない。
もちろん、世の中、そんな簡単な起因と結果があるわけでは
ないのは知っているけれど。

それに、今は「忙しさ」が自分の中での
よりどころになったとしても、
その拠り所が、将来、自分を滅ぼすのを、
もう知ってしまう年齢になってきてしまった。

今は、その忙しさに酔うことが出来ても
2年後、あるいは5年後、
その「忙しさ」の二日酔いに苦しむことになる。

「何もかも下らん。まるっきりの糞だ。ひからびだ糞だ。
純粋に吐き気がする」という五反田君になってしまう。

とは言え、
「忙しい」というような形容詞を使わざるを得ない状況もあるわけで
そういう時は
「ドタバタしてる」「時間がタイト」とか、結局
似た言葉を使ってしまっていて、一緒なんだけれど。

幸い、私の場合
「忙しい」原因に関しては、
非常に良ろしい内容で、それに関しては
思うことはない。

ただ、単純に、
時間を時間で洗うような日々は、
人生の何かしらを磨耗して、
そして気付けば、60歳だった、ということになってしまう。
それを恐れているわけで。
そもそも、うちらの業界は、
平均寿命が、やはり短いらしく60までも望み薄なわけで。(他の業界は聞いてないけど
押して図るべし)

出来ることなら、
「忙しさって何それ?へこへこぷー」と
涼しい顔でトンチでも効かせたいわけで。

「忙しさ」って奴に捕らえられている間に、
恐ろしい程の自体で、世の中は物事が進んでいて。
ウィークデイは家にいる時間(寝る時間を除く)と、1、2時間になってしまっていて。
4月は、15日もジムに行っていたのに
5月は、7回だけだった。
とても悲しい。
(7回いけるだけでも幸せだけど、朝7時とかから行っているわけですよ奥さん。
今月は5回を目標)

でも、その日々をヘビィだとは別段思わない。
世の中で、「ヘビィ」に働いている人は
「死ぬほど居る」。
まさしく、死ぬほど、である。

幸い、周りには、マスメディアや外資、起業家、ベンチャーに進んだ友人が
少なくなく、
彼らの働きぶりに関しては、
頭が上がらない。
純粋に、尊敬に値する、と思う。
嘘偽りなく。
(もちろん、他の業界、
例えば、クリエータやエンジニアや弁護士や
官公庁等など等とかも、死ぬほど忙しいとは思うけれど
あんまり友人はいないから、想像でしかいえない)

土日が完全になかったり、
徹夜がデフォだったり、
夜のお仕事でもないのに深夜出勤が当然だったり、
会社にシャツが7着分常備されていたり
寝る時は立って寝たり、、、、
周りでの忙しさの武勇伝は事欠かない。
誠実なる意味で、ブラボウだと思う。
まぶしい。
(眩しいと思うのは、やっぱり忙しいという修行僧な事に
畏怖の念を覚えるからだと思う)

だから、自分だけが特別忙しいとは
これっぽっちも思わないけど、
日々、読書する時間が取れないのはとても辛くて。

それに、忙しさってのは
そもそも、絶対的なものであって、
相対的なものじゃない。

人がより働いているからって
自分が、多忙かどうかは
個人の判断基準に因る。
もちろん、そこにも絶対的な相対的分水嶺があるのだけれど。

1日0時間しか働かなかった学生が
いきなり5時間働くだけでも、
非常に大きな負荷が体にはかかるわけで。

そもそも問題と思うのは
「忙しい」という言葉が、非常にネガティブワード、って点である。
言葉の力を信じる自分にとっては
そういったよろしくない言葉を使いたくないなぁ、という
単なる処世術なのだけれど。

確かに、幸せっていう名詞だか形容詞だか解からない言葉より
忙しいって奴は、よりコンクリートでパワフルで、
その点は、親しみやすいのだれど。

川上弘美が、丁度言っていた。

忙しいのは不得意だ。忙しいのが得意な人というのもこの世の中には確かにいて、
そういう人は暇がぽっかりあくと、不安でしかたなくなるらしい。

確かに、そういった
馬車馬のような方々も世の中には
沢山いて、そういう人たちが
日本の高度経済成長を成し遂げ、
あるいは、時に時代を作ってきたわけで。

うーん、何を言いたいのだろう。

またもライブラリを漁る。

アンドレさんはこういってますが。

老いる事は忙しい者には身に付ける暇のない悪い習慣だ


あと、キッシンジャー。

来週は危機は何もおこらんね。私のスケジュールがもうぎっしりだ。

あ、この言葉良い。

フォンヘンデル

人間のうちでもっとも活動的な人はいつも最も欲望の少ない人であった

ということで、
まぁ、頑張っていきましょうねえ、という独り言でした。

あと、普段が「忙しい」からこそ
京都とか箱根が、「すんごい素晴らしい」事になるんだろう、と思った。

投稿者 kaz : 21:00 | コメント (8) | トラックバック