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2006年05月29日

日記

somesasa.bmp


いわば前略、というような。

村上さんの小説で
「どんな陳腐な日々でも、手紙に書いてみると、
素晴らしい日々のように思えた」
と言うような話があった。

確か、ノルウェイで、直子に手紙を書く春のシーンだったように思うのだけれど。

と言うことで
愚生の止め処ない日々をブログに書くことで、
何かしら違う様に見えるのだろうかしらん、という思いで
日記を記す。

蛇足だけど、ちょうど先月だか今月だが
そのようなエッセイを読んだ。
ブログだったかも知れない。

内田百閒だかの日記を例にあげて・・・

 と思って、気になったので、本棚を漁ったら出てきた。
川上弘美のエッセイ「ゆっくりさよならをとなえる」だった。
 蛇足の蛇足だけど、ここ半年位、川上弘美に溺れている。
彼女は凄い。センスが物凄い。ハンパない。

そこで出てくる。
ほら、やっぱり、内田百閒だ。

「餓鬼道こうそ目録」という箇所を引用している。
単純に食べたものを列挙している手記のようなものである。

それに関して川上はこう言う。

災難にあったり、理不尽な人間関係に疲れきったりするたびに、
わたしはこの列挙を眺めてきた。

という。
そして、こう考える。

恋人でもなく、友人でもない誰かの食卓や、百閒の思いを知って、
どうしてこんなに安らかな気分になるのだろうかといぶかる。


この気持ちは非常に共感できて、
ブログで、他人の日常を読むのは
何かしら安らぎがあったりする。
僕だけかも知れないけれど。

昔から、そのような日記は大好きで愛読していた。

一番読んだのは、筒井康隆の日記シリーズで、
通算7回位は読んだと思う。ただの日記なのに。
腹立半分日記
村上春樹の、「遠い太鼓」や
原田宗則の日記(タイトル忘れた)、
最近では、山頭火随筆集
のものが良かった。

エッセイよりも、より日々を淡々とつづっているものが
良い。
食べた物はともかくとしても、
起きた時間だとか、行ったところだとか、怒ったことだとか。
なんだか良い。

ということで、そんな先人たちの真似なんて
おこがましくて出来ないけれど、
とりあえず日記が好きだ。

ということで日記。
日記を書くのだ!


先日、キャブでの帰り。
小雨が降っていて。

いつもは混んでいる内堀通りも
夜のある時間を境に、ぱったりと車は少なくなって。

無敵会議(アカデメディア)の帰りも、
よくここを通ったなぁ、と、ほんの昔の話なのに、
遠い昔のように感じ。
御茶ノ水から麻布までタクシーだと20分なのに、
歩くと3時間もかかって。
自転車だと40分位だったろうか。
バイクだと、20分だった。

道というのは、それなりに多くの人の
記憶を含有しているものなんじゃないだろうか、と。
 と、カフカの城を思い出したけど、道っていう小説もあったような気がする。
ジャックケルアックだったか?路上かな。
ともかく。

そして、丁度、
ロストイントランスレーションに触れた日記を読んだのだけれども、
僕も、その時丁度、その映画を思い出していた。

小雨に霧がかる東京タワーを目指しながら
ぼーっと、思い出していた。
あのホテルはパークハイアット。
waliking in the Park。
なぜか記憶はセントラルパークでの野宿を思い出して、
ついでに、5番街とセントラルパークの接点あたりにある
朝5時から空いているcafeにトイレを借りに入ったんだけど、
ついでに食べたベーグルが、悶絶する程、美味しかったのを思い出した。
「another coffee?」と。

すると、丁度ラジオからは、
ボブディランの歌が流れてきて。
にくいことに、運転手はボリュームをあげやがって。

金曜日の夜は、
お酒が飲みたいな、と少し思って。
どうせ、2杯も飲めない癖に。
でも帰りは、世間的には二次会も終わっているような時間で。
仕方ないので、家でビールのプルタブを開けた。
何に乾杯しよう、と思って、少し考えた後、
友人の誕生日に勝手に乾杯した。
勝手に呪うのが自由ならば、祝うのも自由であらんと。
彼も大人になっていく。

一週間分貯まった洗濯物を洗うには
3回まわす必要があって。
干そうにも雨が降っていて。
雨が降っているから、浴室乾燥機を始動させて。

タオルの糸クズが、靴下やらシャツやらに
ぐおんぐおんと絡まりついて、
物凄く悲しくなって。
とても冴えない。

結局、ビールは、半分も飲めなくて
自分で自分に「ほら見たことか」と毒づきながら。

仕方ないので、風呂に入ったんだけれど、
なぜか、最近回りで、風呂で本を読む人が多くて。
先輩に「本読む時間ってどう捻出してるんですか」と
聞くと、「風呂だ」と言っていて。
そして、森林のバブをいれて、45度の温度のお湯をいれて、
グレイスペイリーの本を読んでいたら、
案の定、のぼせた。
完璧にのぼせた。
まごうことなき馬鹿たれであり、
しかも、読書は何も進んでいない。

夢で誰かが出てきて、
「プールに行こう」といわれて。
どこかのクラブのプールと記憶が混じって。

夢は記憶に残る事が少ない自分にとっては、
なんだか、夢から目覚めると
頭が働かない。
ユングだったら「水は感情の揺れだ」、あるいは
「ビール飲んだら寝る前にトイレ行け」と解釈するかも知れない。

夢見る頃を過ぎても、ってな
どこかのフレーズがとても強く胸を掴む今日この頃で。


と、ここまで土曜日位に書いて、
「この日記は冴えねえ。いつにもまして冴えねえ」ということで
放置していたら、月曜日になっていたわけで。

土曜日の朝4時ごろのワタミでBOSSに、
「夜気持ち良く寝るには?ないし、朝気持ち良くおきるには?」と
聞くと、
「夢を抱きながら寝るべし」
「起きて窓開けて珈琲飲むべし」という非常に
具体的で健康的な示唆をもらい、
得心、納得、ためして合点、悦に浸りながら
雨の振る日曜日という悪魔の啓示的曜日に、
朝の5時という魂の眠る時間を歩けば、
傘を差した烏合の衆(including me)が
ぞろぞろと、どこからか湧き出てきて、
その風景を見ていると、
「嗚呼、初夏だな」とか、勝手に思ってしまったわけで。
梅雨が明ければもう夏だよ諸君。

仕方ないので、クリーニング屋さんに行った。
近所のうらぶれた商店街だ。
店のおばさん(68)は、黒い犬(通称 タワシと推測)と
戯れていて
「あら、お兄ちゃん、このサービスどう?」と
ザギンの裏通りまがいのサービスをオファリングしてくるのだけれど、
「じゃあそれで」と意思決定を失った25歳が1人。
そのサービスのお陰で、愛する「スーツがパリっとする c おばちゃん(68)」ならば、
とくたびれたスーツの幸運を祈りながら。

どうでもいいけど、
お財布携帯は死ぬほど便利なのに、
なぜ使う人はあんなに少ないのだろうか。

あれを使うだけで、
海が割れ、大地が咲け、空から天使が舞い降りる程の(ry

前略おかあさま
早々、ってな按配で生きて行きたいなぁ。

*30日 8:46
7箇所修正 やはりブログは夜書いちゃいかんな。
メランコリックになりすぎる。be クゥール。

投稿者 kaz : 23:13 | コメント (5) | トラックバック

2006年05月21日

リヴァイアサン

リヴァイアサン
リヴァイアサン
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ポール・オースター 柴田 元幸 Paul Auster
新潮社 (1999/12)
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この世で最高の本の1つ。
ポールオースターのリヴァイアサン。

ポールオールスター自体、名作ばかりの作家だけれども。

まぁ、今回の主人公のサックスってのが魅力的ですな。
永沢的ストイックさ。


彼は決して価値判断を下さなかった。
誰かを見下したり社会的地位で人を区別したりもなかった。バーテンでも作家でも彼にとっては等しく興味の対象であった。

というような人で、

サックスはつねに、話している相手が非常な知性の持ち主だという前提から出発し、
それが相手に、自分は威厳と重みのある人間なのだという思いを吹き込んだ。
そういう人間の最良の部分を引き出す持ち前の際が私にとっても、彼という人間の中で一番素晴らしく思えたところだと思う。

というような人です。
ここは、キズキ君に似てますね。

世界の様々な愚かしさは彼をうんざりさせた。


要するに頑固だただけだよ。逃げたくはなかった。
面と向かって自分の思っていることをきちん伝える責任があると思ったんだ。それをやろうと思ったら身体を張るしかない。

このフレーズを聞くと、
なぜかジャーナリストの辺見庸氏を思い出します。

お前はここで暮らすんだ。自分にそう言い聞かせた。
僕の世界の境界線は縮んでしまった。でも僕はまだ生きている。
とにかく息ができて、屁がこけて、好きなことを考えていられる。それができる限りどこにいようと同じじゃないか。

漱石の草枕の冒頭を彷彿させる。
(あの世は尚更住みにくかろう)

彼がNYへきたのは神が死んだせいだ、とサックスはあるとき私に言ったことがある。
これまたいかにも彼らしい謎めいた言い方であり、その童謡的とでも言うべき論理がみえてくるまでは、まったくのナンセンスに思える。
要するにこういうことだ。

1880年代のユダヤ人大虐殺は皇帝アレクサンドル2世の暗殺が引き金となってはじまった。
皇帝を暗殺したのはロシアの虚無主義者である。
そして虚無主義者たちが虚無主義を奉じたのは、神は存在しないと信じるに至ったからである。

考えてみれば単純な等式だが、あいだの連鎖がみえてくるまでは訳がわからない。
釘が一本たりなかったせいで王国が失われたという言い方があるが、
サックスの物言いもそれに似ている。
その死を知っていれば解かる。知っていなければ解からない。

知り合いの女の三段論法を使う人を彷彿させます。


相当の自身がなければ、なかなかあそこまで自分をコケにできるものではない。

蛇足だけど、自虐ってのは、
難しいけど、強いと思う。


お前のお父さんは素晴らしい人だったろうよ。あれで別の人だったらね。


何よりいらただしいのもこの点だった。
欲望を抱いたこと自体ではなく、その欲望を一件否定する行為を、実はそれを満たす手段として不実に使ったこと。

深いなぁ。


破局の核はここにあると思う。
すべての人間の弱さ、もろさを受け入れておきながら
いざ、自分の事となるとサックスは完璧さを追求し、どんな些細な行為においても、
ほとんど超人的な厳しさを己に課した。


そこで起きた出来事を伝えることがいまだに私にショックを与えるのは、現実というものが常にわれわれが創造しうることの一歩先を言っているからにほかならない。

非常に同意。


まっすぐに彼を見据えたまま、涙が頬をながれるままにしていた。
そこに涙があるのを認める気がないように、手も触れもしなかった。
プライドの高い泣き方だ、とサックスは思った。
苦しみをさらけ出す涙でありながら同時にその涙に屈することを拒んでいる。
リリアンがこれほど懸命に自分を失わずにいることにサックスは敬意を抱いた。
涙を無視する限り、涙を拭い去らない限り、その涙が彼女を辱めることにはならないからだ。

初めて読んだのが10代だったような気がするのだが、
このフレーズが一番、記憶にインパクトを与えた覚えがある。
こういう考え方があるんだなぁ、と。

山田詠美的でもあるけれど。


プレッシャー、孤独、だがサックスは不安をまるで相手にしなかった。
とにかくその時そ時きにやっていることに没頭しているからそういうことを考えている暇もないね。

投稿者 kaz : 21:20 | コメント (0) | トラックバック

学生時代に『株』有りですか?無しですか?

天下無双の大倉君が、おもしろさげなイベントをするそうです。

マネックスといえば。
別で5つも口座持っているにも関わらず
松本社長に惹かれて、口座を持った覚えがあります。

早稲田で謎の司会をしたイベントでも
松本さんが来てはったなぁ。

ということで、株に興味ある人は
是非、いかがでしょうか?

あと、蛇足ですが
僕も学生時代に株をやっていたクチですが、
「ありか、なしか」と言えば信用取引(特にFX)以外は、
ありではないでしょうか。
蛇足も蛇足でした。

下記詳細。

==============

<東大五月祭企画>
 LAVO内UIP presents
 「学生時代に『株』有りですか?無しですか?」

========================================================================
マネックス証券の超人気セミナー講師で資産設計第一人者の内藤忍と、株で一億円以上稼いだカリスマ大学生の梅田裕真を講師・パネラーとして、現役女性キャスターの志水洋美をコーディネーターとして迎え大学生の株式投資について語る必見セミナー。
========================================================================

[日時]:5月27日(土)AM10:00~AM12:10
[場所]:東京大学本郷キャンパス 法文1号館2階 法学部棟25番教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
[内容]:内藤氏・梅田氏の講演、両氏によるパネルディスカッション
[主催]:学生投資クラブLAVO http://www.lavo.org
[参加費]:無料
[講師紹介]
・内藤 忍(株式会社マネックス・ユニバーシティ 代表取締役社長)
東京大学経済学部卒。信託銀行で為替ディーリングや外貨資産運用を担当。その後外資系投資顧問会社のファンドマネージャー、マネックス証券株式会社を経て現職。現在もマネックス証券の勉強会・セミナーで、年20回以上の資産運用に関するセミナーの講師を務め、個人投資家への情報提供とアドバイスを続けている。
『内藤忍の資産成功ノート実践編』など、有名著書多数。

・梅田 裕真(慶応義塾大学経済学部4年)
50万円から株式投資を始め1億円にまで資産を増やす、カリスマ学生トレーダー。現在、学生でありながら某ヘッジファンドでアナリストとして活躍中。テレビでは、がっちりマンデー(TBS)、スーパーJチャンネル(テレビ朝日)、ガイヤの夜明け(テレビ東京)に、新聞・雑誌としては、会社四季報、ダイヤモンドZai ミニ株バトル(2005年2月号~2006年3月号)、日経新聞、日経マネー、プレイボーイなど出演、執筆多数。

[パネルディスカッション・コーディネーター]
・志水 洋美(フリーキャスター)
大学卒業後、1年間のOL生活を経て日産ミスフェアレディとして3年間活動。その後、セント・フォースに所属。
フジテレビ経済リポーターや日経CNBCキャスターなどを経て、現在も経済分野を中心に足場を置くフリーキャスターとして活動中。(HP:http://www.hiromi-shimizu.com/

投稿者 kaz : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月15日

Call me back

callmebacl.bmp


待つのは、嫌いではない。

例えば。

例えば、人との待ちあわせ。
待ちあわせ時間の10分前には大体着いているように思う。
そして、その待つ10分間が心地よいのだ。

時に本を読みながら待つこともあるけれど、
あるいは、ぼーっと街行く人を眺めながら待つことも多い。

待ちあわせに来た人と、
いかに時間を過ごすだろうか、と
詮無きソコハカトナク胸に移り行く由無しごとを
考えるのも、いとまほしきものである。
言うならば。

まぁ、けれども、現代人の特質として
アンオフィシャルの待ちあわせは遅れてくるのが
マナーという向きもあるから、
実際は、大体20分ほど待つことになるのだが、
「そういうものだ」と思えば、待つのは
まったく苦にならない。

しかし、逆にATMや、たこ焼きやなどで並ぶのは
5秒でさえも許せない。
スーパーに入っても、並んでいると、
何も買わずに出ることも多い。
最近では、常にジャケットのポケットに文庫本を
入れるようにしているので、
そのようなスキマの待ち時間を潰すノウハウには長けてきたけれど、
それでも、まだ「だれも訪れない」待ち時間は苦手である。
 ともあれ、そうして我々は、人生の処世術を覚えていくのだらう。

待つといえば、人だけでもない。
ゴトー以外にも、便りは来る。

そう。
例えば、昔で言うところの手紙。
今は、メールやコールバックが主流だろう。

手紙に比べると、いささか、あまりにも
簡易にやり取りできる向きには、
風情が薄れるという指摘もあるが、
さもありなん。

さりとて、突然の携帯の音や、
あるいは、メールの「you've got mail」の音には、
敏感に反応してしまう現代人の電子音に飼いならされたDNAも
ある意味、風情があるように思える。
あくまでも星新一的な、だけれども。

そりゃ、ポストを開ける、というシーンの方が
映画の絵にはなるだろう。
さりとて、喫茶店で、5分おきにメール受信の問い合わせをしている
男子高校生の、素朴さを、だれが咎めることが
出来るだろう。

「果報は寝て待て」
あるいは、「人事を尽くして天命を待て」。
故人は言う。

待つことの効用は
「待つ」までの時間を、「待って」過ごすことが出来るから、
のように思える。
トートロジーではあるけれども、そういう意味ではない。
「待つ」というのは、元来「空白」である時間を
「待つ」という持続的な行為によって、埋めることが出来る、ということである。
つまり、waitというものは、原則としてwaitingであるべきで、
それが、wavingするから、趣深いのである。

「待つ」で、原田ライブラリを調べたら、これが出てきた。

ヴォルテールの言葉。

船が入港するまで待つな。船に向かって泳げ

確かに、これも一興。
まるで、四角い穴に丸い杭を打ち込むように(c apple)
訪れる船に飛び乗るのは、クールで、高度経済成長的だけれど。
それでも、やっぱり、港で待つお姫様の方が、
現代のポスト不景気の後の姦しき世相を反映しているようにも思える時もあり。

そして、最後に中根東里という江戸の儒者の言葉。

出る月を待つべし。
散る花を追ふことなかれ。

投稿者 kaz : 07:05 | コメント (3) | トラックバック

2006年05月13日

I've fucked up

raining.bmp

飲みすぎた金曜日の夜。
渋谷から歩いて帰る朝の4時。

六本木通りは、
眠ることを知らない。
昼は、車が道を多い、
夜は、酔っ払いが道を覆う。

青山トンネルでは、
昔の喧騒と嫌悪と後悔が木霊する。
ゴーストよりも、もっと厄介な。
一度、墓地に埋まった記憶たち。

頭痛に耐え切れず、西麻布の交差点を過ぎたセブンイレブンで、
グレープフルーツジュースを買う。
お釣りの5円を募金箱に入れ、
ストローのケースをゴミ箱に入れる。
 1つ自然破壊をし、1つ偽善をする。

何度、この道を歩いたろう、と考える。
渋谷から、クロスタワーを左に眺め、
モンスーンカフェを交わす。
外国人と芸妓に溢れた西麻布の交差点を通り、
ヒルズの下に至る。
眠らないテレビ朝日の社屋を眺めながら
けやき坂下のスタバも眠ることを知る。

楽しかったな、と一人ごちながら、
気分わるい、と独りぼやく。
ipodからは、カナダの歌姫の声が聞こえる。

I'm broke but I'm happy
I'm poor but I'm kind
I'm short but I'm healthy, yeah

気がついたら、土曜日の朝で、
案の定という言葉しか似合わないような、雨の土曜日だった。

雨の日の休日は読書と相場が決まっているのだが、
読書さえも似合わないようなどんよりとした雲を
ひとしきり睨みながら、煙草が欲しいなぁ、と脳裏に掠める。

なんだか、
部屋の中も、頭の中もMessyで。
日課としてのPCを開けるも、
文字を追えず、何も頭に入ってこない。

今日はネジをまかないことに決め、
とりあえずパジャマのまま、
近所のスーパー「ポロロッカ」へ向かう。

時に、スーパーというものは癒しの力を持っている。
みずみずしいトマトとキャベツを見ていると、
なんだか、雨も許せるような気分になってくる。

そういえば昔、むかしの話だけど、
電話帳に「パセリ」という名前で登録していた女の人が居たことを
思い出す。
その人はパセリとは、何も関係なかったのだけど、
僕の中での符号としては、居心地が悪くなかった。
パセリからの電話は、よく0時前後にかかってきたものだった。
 パセリは宵っ張りなんだと思う。
そして、僕はセロリが食べれない。

くすんだ体をホグスには、料理が一番だ、
と勝手に決め込んで。

そして、久しぶりに麻婆豆腐をしよう、と思い至る。

たまねぎ1玉、ニラ、京都産の絹ごし豆腐。
そして、1リットルの牛乳と
ハーゲンダッツのマカデミアナッツの購入する。
 そして、なんとなくエビスビールを手にとって、
一度戻して、結局、黒のエビスに落ち着いた。

部屋に戻り、湿気で一杯の息がこもる部屋にひきこもる。
ティファールのフライパンに火をかけ、
換気扇を回す。

そういえば、村上龍は、お湯が沸くだけまでのシーンを30ページに渡って
書く練習をしていた、ということを思い出す。
くだらない、と口に出しながら、30ページを構造化する自分が居る。
 映画だったら、エスカレーターですれ違うだけのシーンを描いた2時間映画が
あるらしい。くだらなくなくない。
落ちたハンカチで始まる恋もあるならば、
エスカレーターですれ違うだけで終わる恋があっても良いはずで。

ニンニクと、しょうがをフライパンでいため、
軽く中華油をひく。

たまねぎをみじん切りにし、
ニラを炒める。

中火だったか、強火だったか思い出せない。
1つ思い出せないことを気付き、
そして連鎖的に、あらゆることを忘れている自分に愕然とする。

あんなにも毎日作っていた麻婆豆腐が
作れなくなっている。それを知り、
自分が、そんなにも遠くに来てしまったことを知る。
誇張して言うならば。

遠くきたならば
遠くの地なりの料理のレシピもあろう。

勘で水を足し、勘で豆板醤を入れる。
鶏がらのパウダーをいれ、酒を適当に混ぜる。
肉の代わりにツナ缶を入れ、
少し煮立たせる。
とろみをつけて、隠し味だ、としょうゆを入れる。

誰にも見られることのない麻婆豆腐が一皿出来上がる。

素晴らしい料理の要素の1つとして、
1つの鍋で完結する、ということがあるように思う。
今のところ、例外はオムライスくらいだ。

昨夜の小説に出てきた
「ブラウンシュガー」がかかる。

雨は止まない。
だったら。

だったら、「Sex and the city」のシーズン6を借りた。
そして、どうしてももいっかい見たかった「プリティウーマン」を借りる。
ジュリアロバーツは永遠だ。

春樹は
「年をとることの効用は、興味範囲が限定されることだ」と言っていたが、
加齢に反比例するように、
興味のある映画が減ってきたように思う。
良かれ、悪しかれ。

B級映画に手を出すことは少なくなったし、
ハリウッドの大味の続編を見るよりは、
昔見た映画をもういちど見たくなるようになってきた。

リアリティバイツであれ、レザボアドッグスであれ、
ウォンカーウェイであれ、スワロウテイルバタフライであれ。

雨はまだ止まない。

夏目漱石は、雨の日に向いている。
曇りの日も、晴れの日にも向いているのだけれど。

「君、私は君の目にどう映りますかね。
強い人に見えますか、弱い人に見えますか」
「中ぐらいに見えます」と私は答えた。

この答えは先生にとって少し案外らしかった。
先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。

郵便物が届く。カードの書留。
そして、今日、新聞を取りにいっていなかったのを思い出す。

ライブドアの無線LANがうちの建物にも届いたという連絡、
金曜日の夕刊、
土曜日の朝刊(アップルとソフトバンク云々)、
土曜日の別紙(マナーどうのこうの)。
そして、冊子小包(短歌ヴァーサス)、
宅配ボックスにはダンボール。そして、
日興コーディアル証券の書類、パンフレット。

世界は紙で溢れている。
神が居るのかどうかは知らないが、
紙は、世界に溢れている。

 マングローブが霧散しようが、
マレーシアの樹林が泣こうが、
明日が笑おうと泣こうと、紙は世界に満ちている。

田口さんのブログで知って、即買いしたBrita アルーナ 1.9Lで、ぐびぐび水を飲み
麻婆豆腐の辛さを消す。
甜麺醤を入れすぎた。
何事も、過度はよくないらしい。
それでも、人はまた上り、落ちていくのだろうけど。

部屋は、まだMessyだ。
部屋だけだと良いのだけれど。
携帯が鳴る。

さて、今日は、何の予定があったろうか。

投稿者 kaz : 17:01 | コメント (2) | トラックバック

2006年05月11日

地獄の季節

jump.bmp


世の中ってものを
見渡して、不思議な感覚に襲われることがある。

「なんで、こんなに世界は、きちんと回っているんだ」
ガッデム、と。

きちんと、かどうかは、甚だ主観なわけで、怪しいわけだけど、
それでも、社会や世界は事故を起さず、
そこそこ上手に回っている。
おお、お上手。
あんよが上手。

そりゃ、個人個人の人生は
クラッシュしたり、火噴いたり、
業火に包まれたりしているわけだけど、
でも結局。

でも、結局、総体的に見れば
世界は、うまく回っているわけで。
相対的に見れば、どうかはしらないけれど、
多分、タンザニアの列車から見た現地人の
焼き鳥を売るための声よりは、
この世界のステップの方が。

踊り続けるんだよ、と。

世の中ってものを
見渡して、深いな感傷に浸ってしまうことがある。
ガッデムと。

なんというか、
ヘビィな人生を歩んでいる人も、
道をそうそうは踏み外さず生きているわけですよ。

あるいは、傍から見れば
「Are U OK?」と思うような人々も
笑顔があるわけですよ。

人間の耐性というか慣性というかは、
まったくもって素晴らしき。

いや、なんというか
別段、抽象的なことを言いたいわけでもなく、
ただ、本質ってのは、
やっぱり抽象的なものなのかも知れない。

おもっきり全力で話がそれるけど、
こないだナポレオンの言葉で
「人はその制服どおりの人間になる」というのがあるのを
読んだんだけど、
ほなあれか。
コスプレ天国日本では、
30を超えた高校生とか、
バドガール祭りとかになるわけですか。そうですか。

あかん、話を戻すとですね
今日は、泉ガーデンタワーを歩いていたんですよ。

夜のあのビルは極上に美しいね。
ヒルズに負けちゃ居ない。
日建建設さんのツクリらしい。
ちょうど、最近読んだ本によると。
エメラルドグリーンよりもう少しモダーンな感じ。

まぁ、ともかくそれを眺めていてですね
思ったわけですよ。

「奇麗だな」と。


まぁ、あれですよ。
おもっきり話それすぎたせいで、
何が言いたかったか
何を思って書き始めたのかも忘れてしまって、
そもそも落としどころがなくて
こまっているだけれども。


なんか言いたいんだけど
何も思いつかないまま
書き始めると、
よくないっていうことを今理解した。
物凄く理解した。

途中で新聞よんだり
アイスたべたのがわるかったんだな。
反省を次に生かそう。
ブログを書きながらアイスはたべない。

AM/PMで買った
北海道あずきというものなのだが、
なかなか美味。

うむ。

そういえば、あれですよ。
最近、天気わるいですよ。

イギリスでは初対面の人と
話するときは
とりあえず天気らしいですが
本当ですかね。

季節の変わり目ですかね?
霧雨の効用は、東京タワーを奇麗にうつすことだって
誰かが言ってましたが
本当ですかね。

あ!
思い出した。
何が書きたかったかを。

「みんな、それなりに地獄を抱えて生きている」
というのはファクトとしてあると思うわけですよ。
これは、春樹の本の言葉ですけどね。ええ。

で、問題は、
イシューとしては、
争点としては
論点としてはですね、
あれですよ。

地獄を抱えながら、なぜ笑えるのだ?
というところですよ。


これは、特定の誰かとか
瞬間風速的なものではなく。

誰しもが
個々に
それなりの地獄を抱えているという前提が
正しいならばですよ。

YOUも笑えば、HEも笑い、SHEも
USTEDも、VAMOSも、MEも笑うわけですよ。
声高らかに。
あるいは、朗らかに。
または、清らかに。
もしくは凛々と。

それってば、凄いなぁ、と思ったわけですよ。

小林一茶の俳句ならば、こうなるんだろう。

世の中は
地獄の上の
花見かな

さりとて、
比較して「みな地獄を抱えているんだから、
自分も頑張らなくちゃな」的な、
水戸黄門的ドクトリンでもなく、
なんというか、むしろ人間賛歌。

ジョジョ的に言うならば、ツェッペリ伯爵の
「人間賛歌は勇気の賛歌ッッッッッ」なわけで。

同時に、若きころ新聞で読んで感銘を受けた
ある短歌を思い出した。
今では好きな現代歌人目黒 哲朗さんの歌。

パレットで火薬を溶いてゐることに少年はいつ気づくのだろう

投稿者 kaz : 06:20 | コメント (6) | トラックバック

2006年05月09日

スウプとクラムチャウダーの記憶

onion.bmp


Soupというものがある。
太宰治でいふところの「スウプ」というものだ。確か。

日本の食事処では、そこまでスープの重要度は
低いように置かれている気がする(気のせいかも知れない)。
#あるいは和食メインだから当たり前というはなし。

主観だけど、なんというか、
アメリカの方がスープが強気だった気がする。
(何度もいうが気のせいかも知れない)

そういうことで、アメリカでの食事では
やたらスープの記憶が強い。

スープは、時に、それだけで主食になる程のポテンシャルを秘め、
あるいは受験生に一時の安らぎを与える。
または、食の番人を務め、同時にマナーの監視をこなす。
嗚呼、スウプ。


以下、どこにもたどり着けない
どうでも良い個人的スープの記憶(あくまでも主観)

■オニオンスープ
数日煮た極上モノは、
事実を凌駕するほどの記憶を延髄に叩きつける。

■キャロットスープ
まさに「人参をスープにしましたが文句ある?」的な
まっとうな主張を前面に押し出したスープだった。

■ミソスープ
アメリカンジャパニーズ
ミソスープは、「とりあえず根菜詰め込んで味噌ぶっこめ」という
見た目なのだが、味は悪くない。味噌汁の毛皮を着た味噌スープであった。

■ヴィシソワーズ
冷たい。いわゆる冷製イモのスウプ。
このじゃがいもの濾し具合が全てを決めるわけであり、
家ですると失敗すること多し。

■コーンスープ
日本で、もっとも飲まれているスープの1つじゃないかしら。
個人的には、コーンスープの価値は、濃さよりもむしろ、クルトンによって決まる気がする。

■トマトスープ
キャンベルのトマト缶を彷彿とさせるということは、ウォーホールを作ったスープでもある。
美味いところは、極上に美味い。
日本でも生のトマト缶があるが、なかなか難しい。

■ミネストローネ
身体によさそうだけど、多分気のせい。

■チキンスープ
どこにでもある。チキンコンソメさえぶっこめば、すぐに完成。
簡単なスープの代表格。日本の味噌汁的存在感。中華風もある。いわばイエローキャブ。

■チリスープ
メキシカンの店でよく食べた。ビーンズがうまい。
もぐもぐたべる。この辛さもピンキリだが、本物の辛いのに当たると病み付きになる。
ブラジルでは、さらに豆が2倍増くらいだった。

■サワースープ
中華でよく出てくる卵のすっぱいスープ。
メイメイでよくデリバリーすると、これが大量に詰まって届けられた淡い記憶。

などなどスウプ。


■クラムチャウダー

そして、何より記憶に強く残っているのが
クラムチャウダー。
人生で一体、何十杯飲んだだろうか。
あるいは、これから何杯飲むだろうか。

クラムチャウダーの飲んだ杯から数える人生だって、
それなりの権利を有するだろう。

大別して2種類ある。
白いのと赤いの。
前者はイングランドだかボストンだか呼ばれる。
後者の赤いのはトマトベースで、マンハッタン。

スウプ。

NYはマンハッタンにある
グランドセントラル駅の地下に
オイスターバー」という店がある。
#日本の品川にも、あるみたいね。

観光客においても、あるいは、地元においても
それなりに有名で、日本で言うならば、
美登利寿司並の知名度ではないだろうか(適当)。
映画にも使われることもあったハズ。

名前の通り、
「オイスター」=牡蠣が美味く、
雰囲気も悪くない。
フロンティア時代のアメリカを彷彿させるような(イメージです)。

スウプ。

先日、
そこでの、クラムチャウダーの話になった。

「ねえ、あそこって、赤だった気がするんだけど」
「うん。そうだったと思う」

という話を交わした。


遠く離れた場所で、離れた時間に同じ物を食していた記憶を
同じ場所で、同じ時間に想像するというのは、
非常に絡み合った、不思議な記憶だった。

帰って調べたところ、面白い事実がわかった。

オイスターバーには
「ボストンクラムチャウダー」も
「マンハッタンクラムチャウダー」も
両方、メニューにあったのだ。

しかし、それでも、同じクラムチャウダーの記憶は存在した。
そして、その記憶を介した会話が存在した。
それだけの話。

示唆も、結論も、何もない。
クラムチャウダーのような、濃厚な後味も、ない。 多分。

投稿者 kaz : 06:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月07日

山に登ってきた

連休ということで、山に登った。
きっかけは、ジムで走りながら読んでいた雑誌がきっかけである。

雑誌BRUTUSが山の特集をしていたのだ。
それを見て「おお!いきてえ!」と急に思い立つ。

それまで、山なんて、概念にもなかったのに。
(かなりどうでも良い蛇足だが、
   私の地元では、山=「信太山」=「風俗街」の隠語)

ともあれ、即友人に「やまいこう」とメール打つと、
「OK」の旨を頂き、いざ登頂へ向かう。

どの山にしようかと、ぱらぱらとしらべたところ、

 ・近場
 ・そこそこヘビィ
 ・そこそこイージー

という点から、山梨県の扇山を選ぶ。
何より、富士山が見えるということが気に入った。

中央線で高尾山まで行き、そこからさらに電車で30分くらいの距離である。

当日は、快晴ですよ。
おお、もうべっぴんな空。
雲ひとつない。


高尾山までの電車は、
登山客たちで、埋まっていた。

しかし、ぽつりぽつりと駅を超えるにつれ、
順々に人は降り、
日光は、より地に届きだす。

鳥沢という駅を降りる。
改札は、自動改札ではないのに、
Suicaの読み取り機だけが置かれていた。

駅前の自動販売機で、水を買い、
登山口まで1時間弱をぶらぶら歩く。

生粋の方向音痴のため、
何度か道を間違うも、
現地のおじさんたちに助けてもらい、山へ戻る。

穴場なのかどうかわからないが、
殆ど登山客がいない。
独壇場である。

登山口には、お地蔵さんが、山を守っていた。
杉だらけで、花粉症なら、きついところだろう。
(原田は手術したので平気)

なぜか桜が散り
まるで雪のように
木々の合間を彩っていた。


登山口からは、比較的歩きやすい道を、2時間、3時間歩く。
途中、山水が染み出ている。
触ると、当然ながら、ひんやり冷たい。
山だ、と触感で味わう。

たまにすれ違う登山同士と挨拶を交し
息も切れる。

快晴と対するように
どっしりと構えた木々の存在感。
九十九折の坂道は、上が見えない。

そんなこんなでも、
頂上は標高1,000メートル程なので、
そんなに高くはない。

頂上からは、素晴らしい富士山の景色が見える。

月には雲を、花には風を。
そして富士にも雲よ。


「画家になりたいなら、富士山の絵を描くことだ。
 誰かは買うから」
 という名言を思い出す。

問題は帰りである。
「いきはよいよい、かえりは怖い」である。

ショートカットしようと思ったら、
地図に載ってない道だった。

角度的に70度。
しかも、前日の雨で地面が濡れており、
足場は非常に悪い。

しかも、「クマ出没注意」の看板。

何度か滑って死に掛けるが、
今生きているということは(maybe)、多分死なずに下山できたはず。


帰りは、「君恋温泉」というなんと読むのかよくわからない
温泉を発見し、入浴。

露天ではないのだが、当然、湧き出たお湯で、
少々熱い。

客もいず、貸切で、ゆったりと汗を流す。
「たけのことコンニャクの煮物」をサービスで頂く。
缶ビールを自動販売機で購入し、喉を潤す。


山は良い。

何が良いかというと、
街と隔離されているのが良い。
緑が美味いのが良い。
空気がすがすがしいのが良い。
歩くのが気持ちよいから良い。

良い。

原由子の
花咲く旅路」を、ぼんやり思い出した。

はるかなる空の果て
想い出が駆けめぐる
なだらかな この なだらかな
名前さえしらない 坂だけど
咲く紫は 旅路を彩どる


写真一覧はコチラ。

Ogi Mountain - a photoset on Flickr

投稿者 kaz : 08:13 | コメント (8) | トラックバック

2006年05月06日

関西弁でブログ

ジェットさんの[w]関西弁のブログたくさんあるよね?というエントリーに触発され、関西弁で書いてみる。

(cf web2.0とブログの可能性

そやけど、関西弁をしゃべるのと
書くのは、けっこうちゃうなぁ。
難しい。

すぐに、文章がでてけーへん。

あ、でてきた。
ノンストップやったらいけるな。

やっぱり、地元の友達としゃべってる感覚やな。
うんうん。

でも、わし、あれや。
泉州やから、関西弁とは
ちょっとちゃうな。

どうでもいいけど、
方言ネタって最近はやってるな。

上手い人はうまいな。
わし、関西弁しゃべってても「えせ」ってゆわれるな。
あほいうな、と。
ばりばりの関西弁やっちゅうねん。

うわー。文章にしたら、いいかんじで
はずかしい文章になってくるな。

怖いなー。

たしかに、あれや。
関西弁で、文章かくってのは
むいてへんかもせーへん。

なんも論理的にならへんもん。
まぁ、それは
単純に自分がわるいだけやって
関西弁関係ないんやけどな。

そういや、あれや。
ファイナルファンタジーは、ファイファンやで。
ファイファン」って言う地域

FFっていうたら、
FireFoxと被るやんか。
FistFuckとも被るって、おっちゃん言うてたわ。
ほんまやで。

あーーー
むずかしわー。

しかもあれや
かんじが、にあわん。

関西弁はひらがなや。
ちゃうか。
そうやろ。

イントネーションでーへんな。

ベーグルの発音は
ベーグルちゃうで
ベーグルやで。

ほら、なんもつうじらへん

パピコはパピコや。

中国語でいうなら
1じゃなくて、4や!
どや。これやったら通じるか。


あれやな。
そうかんがえると、
このイントネーションが標準語に
統一化されてしまうことを考えると
日本語にも、イントネーション記号必要やな

ドイツ語とかスペイン語みたいに
母音の上につけるコメみたいなん。

  cf アクセント付き文字の変換表(アクセント分解)


関西弁なぁ。
ブログには、やっぱりむいてへんのと
ちゃうかなー。
マックがマクドやったら
ウェブログは、ウェブロちゃうんかなあ。
なんでもええけどなぁ。
ベニスだろうが、ベネチアだろうが
ねほりはほりだろうが
なんでもええけどなぁ。

やっぱり、むいてへんわ。
なんでも「まぁ、ええけどなぁ」に
なってまうわ。

投稿者 kaz : 15:51 | コメント (6) | トラックバック

2006年05月04日

筒井康隆を知る12冊の長編

このブログに何度となく出来ている筒井康隆大先生。
私の最敬愛するお方のうちの1人。

SF作家という肩書きだが、
役者もすれば、舞台も手がける。
漫画も描けば、クラリネットも吹く。
デザイン事務所を開いていた過去もあり。

氏との出会いを少し。
初めて出会ったのは、「時をかける少女」という小説だった。
小学生のころ、ちょうど、ドラマ化されていたのだ(多分、何回目かのドラマ)。

そして、中学生のころより本気でのめり込み、全集は言うまでもなく、
20年前だか30年前前後の「筒井康隆」特集をしていた雑誌までも買いあさった(実家に貯蔵)。
大学の頃は、念願かなって、氏にメール取材をさせて頂く機会も得て、それはそれはうれしかったとさ。

ということで。


 ・2005年、原田の脳髄を刺激した小説12冊
 ・原田の股間を刺激した漫画12冊
 ・涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本
 ・90年代後半の青春を彩った音楽12曲
 ・最強の現代青春小説 12冊
 ・エンドルフィンを放出させる海外の美術館・博物館 12 上
 ・エンドルフィンを放出させる海外の美術館・博物館 12 下
 ・青春の時間を奪い去ったRPGゲーム 12本


に続きまして「筒井康隆 12冊」。
毎度のごとく、めっきり主観。
さらに、今回は短編など入れるときりがないので、長編縛り。


■12位 夢の木坂分岐点

夢の木坂分岐点
夢の木坂分岐点
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筒井 康隆
新潮社 (1990/04)
売り上げランキング: 92,236

夢の中を小説化した小説、とでも言えばいいのだろうか。
しかし、こう形容してしまえば、あまりにも陳腐。

夢の中の主人公が、そこで寝て
さらに夢を見る。
つまり、夢の階層化が始まる。
では、そこで主人公は、別の主人公になってしまう。

つまり、外側では異なる主人公を
内面では同じように描く夢の世界。
そして、その夢の不思議感を表現するための
描写。

とても不思議な小説。

■11位 敵

敵
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筒井 康隆
新潮社 (2000/11)
売り上げランキング: 69,596

断筆後の小説の1つ。
筆者の心境を反映したのが、定年されたエルダーパーソンが主人公。
突然、PCのネットに表われる「敵」が来たという話。
彼の周りに訪れようとする「敵」。

初期を彷彿されるカオスとドタバタが懐かしい。

ここだけ聞くと、
「阿修羅ガール」が出てくるね。そういえば。

■10位 霊長類南へ

霊長類南へ
霊長類南へ
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筒井 康隆
講談社 (1974/08)

某国のミサイル誤発射による地球滅亡までのシーンを描いた作品。
日本沈没なみの想像力。

もちろん氏の十八番「ドタバタ」は駆使されているのだが、
しかし、この人類滅亡をイメージするという想像力が一番見所。
「エヴァンゲリオン」のラストよりも、よっぽどリアルでシュールだと思いましたが。

未来関係では、短編の幻想の未来も捨てがたい。
ともあれ、この小説読み終えると、どっと疲れた記憶がある。


■9位  大いなる助走


大いなる助走
大いなる助走
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筒井 康隆
文芸春秋 (1982/01)
売り上げランキング: 708,532

文学賞の受賞までの裏側を描ききった問題作。
自身が直木賞候補になりながら、諸事情ゴタゴタで落とされた怒りを文学にまで昇華させた。

氏は、このように「アンタッチャブル」な世界を描く気骨あるジャーナリスト的
精神もあり、見ている方がはらはらすることがある。

これを読むと、文学賞が違うように見えるから不思議。


■8位 脱走と追跡のサンバ


脱走と追跡のサンバ
脱走と追跡のサンバ
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筒井 康隆
角川書店 (1996/12)

昨今、「ウェブ進化論」で、「あちら側」と「こちら側」の話が盛んだが、
この小説も「あちら」へ逃げようとする主人公が走り回る小説。

ドタバタ喜劇のように思えるのだが、
本質はもっと深い。
メタ構造やシュルレアリスム的構成など、SF作家としての挑戦が詰まった作品。

一気に読んでしまう。


■7位 エディプスの恋人


エディプスの恋人
エディプスの恋人
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筒井 康隆
新潮社 (1981/09)
売り上げランキング: 36,086

七瀬三部作の最終話。
七瀬は、エスパーで、相手の思考を読んでしまう少女。

これを聞くと、宮部みゆきの「龍は眠る」を思い出すが、
そこは、まったく違う世界。氏のウィットやアイロニーが存分に配置されている。

第一部の「家族八景」は、オーソドックス」
第二部、そして第三部で世界がわけのわからん明後日の方向につっぱしり
「神様的存在」が出てくる。

これを中学生だか高校生だかで読んだ僕は
自我が出来ていないまま、脳髄をえぐられたようで、
良い意味でのトラウマになってしまった。


■6位 パプリカ

パプリカ
パプリカ
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筒井 康隆
新潮社 (2002/10)
売り上げランキング: 31,042

夢探偵的少女が主人公。
これも宮部の「ドリームバスター」を思い出すが、まったく毛色は違う。

この小説のために、氏は夢の中まで降りすぎて、
あまりにも怖い夢に触れてしまい
ある朝、起きると、髪の毛が真っ白になっていたという経緯がある。
しかも、胃に穴まで開いた。

夢の持つ力を命を賭けてまで描いた鬼のような作品。
フロイトに傾倒されていた過去が垣間見える。

ちなみに、僕が「筒井本を、どれ読んだらいい?」と聞かれると
とりあえずこれは候補に入れるようにしている。


■5位 朝のガスパール


朝のガスパール
朝のガスパール
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筒井 康隆
朝日新聞 (1992/07)

新聞連載されたときの作品。

何が凄いって、あの時代に、ネットを使った文学を行っていた。
1992年発売だから、90年前後ですよ。

その当時に、その朝に小説が公開される。
そのフィードバックが、読者からパソコン通信に送られる。
それを受けて、氏が今後の物語の方向性を決める。

そして、単純にパソコン通信で、情報やり取りをするのではなく
フォーラムをつくり、そこでの流れさえも文学にしてしまっている。
荒らしが当時も出てくるのだが、
それでさえも、登場人物にしてしまうという無謀。

この構想を、現実に行ってしまったという事実は
文学史に残すべきむちゃくちゃのような気がする。
朝日新聞ですよ?

■4位 文学部 唯野教授

文学部唯野教授
文学部唯野教授
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筒井 康隆
岩波書店 (2000/01)
売り上げランキング: 14,308

象牙の塔と呼ばれている大学の世界の裏側を描いた作品。
同時に、文学の(批評の)歴史も描いており
二重構造になっている。
宮部をよく出したので、さらに出すならば「レベル7」的な二重構造。

ちょうど、このころ氏はハイデガーをしていて、
それで、さらに胃が穴を開いたという話があった。
パプリカで1個、唯野教授で1個の2個である。
命賭けすぎ。

これを読んだら、
構造主義とか記号論の知ったかが出来る虎の巻。

■3位 残像に口紅を

残像に口紅を
残像に口紅を
posted with amazlet on 06.05.01
筒井 康隆
中央公論社 (1995/04)
売り上げランキング: 19,596

文章の中から言葉が消えていくという小説。

例えば、最初に「パ」という文字が消える。
その世界から、「パン屋」は消えてしまう。

そんな思いつきのような発想を
現実に文章にして、完結してしまったという筆力がすさまじい。

間違って使わないようにキーボードに押しピンをおいて
打ったという噂まで流れたほど(実際はシール)。

博覧強記を裏付ける語彙力。
そして、滅多に描かなかった濡れ場をここでは初疲労。
しかし、使える表現が限られているので、明治文学みたい。

発売当初は、後半を袋とじにして
これを開いてない限り、「現金を返す」という無茶をした作品。

■2位 虚人たち

虚人たち
虚人たち
posted with amazlet on 06.05.01
筒井 康隆
中央公論社 (1998/02)
売り上げランキング: 44,174

今までありえなかった小説をつくろう、的なコンセプト。

・現実の世界では絶対に起こりえない事件を同時多発(例:家族が同時に別々で誘拐される)
・読者と、物語の速度が同じ(1ページ5分だったかな?主人公の意識が飛んでいる間は、真っ白なページが続く)
・登場人物たちが、自分は小説の登場人物だと認識している。
・登場人物たちは、個々別々の物語の主人公
・トイレや食事など、本来なら省かれる世界も描かれる

などなど、もうなんいうか、形容すべき言葉を持たない。
いわんや批評をや。
人間の底力というか、鬼気迫る言葉を感じることが出来る。


■1位 虚航船団


虚航船団
虚航船団
posted with amazlet on 06.05.01
筒井 康隆
新潮社 (1992/08)
売り上げランキング: 70,172

中学生のころ読了して「理解できなかった」世界。
高校のころ、やっと読めるようになった。
その頃、友達に貸すと、ギブアップした。

三部構成。
1部は、文房具が主人公。
ホチキスがコココココとしゃべります。
しかも、地の文が省略されすぎ。
小林秀雄を超えた省略。

二部は、イタチたちの世界史。
つまり、人間の世界史をイタチ化している。

三部は、その融合的。
ジョイスの手法をも利用しており、
筒井氏の日常が、個々にも紛れ込んでいる。

もうはちゃめちゃというか、メタ文学というか、SF文学の最高峰というか、
リミッター振り切りすぎ。

投稿者 kaz : 08:02 | コメント (3) | トラックバック