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2006年03月21日

リスクを取るということ

risks.bmp


リスクに関して、以前少し書いた。
血を流す、ということ。

それに関して、続記。
「主観」リスク論。

リスク、というのは、以前書いたように
「起こり得る可能性の幅」だと私は認識する。

ならば、リスクを取る、という場合は
何を指すのか?

それは
「起こり得る可能性の幅を容認する」ということだけに
留まらない。

容認するだけでは不十分なのだ。
現実は、もっとヘビィなのだ。

その起こり得る可能性の中で、
もっとも「望ましからぬ結果」を感受できる場合
リスクを取る、という。

つまり、今、一般に言われるような
「無茶する」というようなニュアンスで使われる
「リスクを取る」という行為は、明らかに間違っている。

ナンセンスである上に、誤用であり、社会的弊害である。

リスクを取るというのは、
無謀や無茶やアナーキーやアウトローという言葉とは
まったく異なるベクトルの上に存在するものなのだ。

もちろん結果的にそのようなことになるのはありえる。
しかし、前提としては
「リスクを取る」ということは、
より配慮に富んで、保身を検討し、最善策を尽くす、というような意味を持つのである。

つまり
「最悪のことが起こっても大丈夫かどうか」
ということは、あくまでも、「保身」を第一に考えた行為だからである。

この場合の保身は、保守という意味ではなく
「自分がなくならない状態を保つ」という意味だ。

つまり、最悪の事態が起こり得る場合、
自分を見失ってしまう可能性がある時は、
そのリスクを限定的にすべきなのだ。

もっとも、これは、注釈もありうる。

例えば、「飛行機に乗る」ということ。
ここに想定される最悪の可能性は
「墜落=死」である。

多くの人々にとって、その死は
耐えられないであろう。
 では、「リスクを取る」場合に
飛行機に乗ることは避けなければならないのか?

そうではない。
あくまでもリスクは可能性と共存する。
この場合、
「飛行機が墜落する可能性」を勘案して
その確率を踏まえて
「死ねるかどうか?」が重要になってくる。

つまり、0.001%の確率で墜落すると「想定」できた場合、
そのリスクを避けるかどうかは、絶対的な評価を行うと同時に、
他のリスクからの想定的な検討を行うべきである。

絶対的な評価とは
「0.001%の確率で死んでしまうが、
それでも死んだ場合、その事実を受け入れられるかどうか」
という主観的な判断である。

相対的な場合は、
「交通事故での死亡リスク」や「街中で狂人に殺される可能性」などとの比較から
選択肢が妥当がどうかの客観的判断である。

このように可能性と確率を検討し、
その結果を、全て容認できる場合に、
その起因となる行動を取ることが出来る場合に
「リスクを取る」ということが出来る。

派生して「リスクをヘッジする」というのは
元は株などの用語として主に使われていたが
今は、普段でも使うことが出来る。

リスクを回避する、ということだが
限定的にする、という解釈でも構わない。

つまり、起こり得る最悪の可能性を限定的にする、というわけである。

例えば、
「渋谷に19時の待ち合わせに向かう」という
目標がある場合に、
現状では遅刻しそうだとする。

選択肢としては
「電車」か「タクシー」が考えられたとする。

この場合、電車だと最悪のリスクは
「接続が最悪で、15分の遅刻」だとし、
タクシーの場合は
「渋滞で、何分の遅刻かわからないが
間に合う可能性もある」という可能性を想定できたとする。

この場合
「リスクを取る」ということは、
タクシーを取る、ということのようにも思える。
(なぜなら、可能性の触れ幅が、より広いから)

しかし、リスクをヘッジする場合を考えた場合、
最悪の結果として
「間に合わない」という選択肢は
絶対に避けうるべきものである。
(ただし、この場合も確率からの査定が必要)
ゆえに、その可能性があるタクシーは避けなければいけない。

ゆえに、遅刻してもいいから、電車という
リスクの限定的な方法を取るということが
リスクをヘッジするということである。
(もちろん、電車の人身事故などの可能性もあるが
それはお好み次第で、可能性に混ぜれば良い)


で、最初に戻ると
リスクを取る、ということは
いわば
「覚悟する」ということなのだ。

「腹をくくる」と考えても良い。

100万円を投資したら、
その100万円が霧散する結果を想像し、
それでも自分が許せるという痛みが必要だ。

誰かに告白するならば、
ボロクソに振られて、ケチョンケチョンにされる
可能性を認めなければいけない。

夢を追うならば、
それが無残に敗れ、夏草となってしまう恐ろしさを
知る必要がある。

それがリスクを取る、ということである。

そして、本当に「最悪の事態」が起こっても、
それを笑い飛ばせるようにならないと
リスクテイカーにはなることは出来ない。

神に怒りたいことが起こるだろう。
誰かを殴りたいことになるだろう。
酒では効かない夜もあるだろう。

しかし、リスクを取った以上、
その結果に、文句や不平、神を嘆く行為は、
自分を欺く行為に他ならない。

それが
「リスク」を取ることの本義だ。

もし、それが嫌ならば
一生靴箱の中で暮らせばいい。(c 春樹)

投稿者 kaz : 2006年03月21日 08:15

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