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2006年03月31日
青春の時間を奪い去ったRPGゲーム 12本
さて、12シリーズ第6段。
今回は反論が一番多そうなところ。
「ゲーム」編。
そしてRPG縛り。主観だから許して頂きたいところ。
しかし、どのゲームも嵌ったなぁ。
・2005年、原田の脳髄を刺激した小説12冊
・原田の股間を刺激した漫画12冊
・涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本
・90年代後半の青春を彩った音楽12曲
・最強の現代青春小説 12冊
■12位 FFタクティクス
シュミレーションRPGの王道。
パズル要素も多かった。
ジョブを美味く使ったチェスというような。
普通にハマルが、戦闘バランスがイマイチだった記憶がある(容易すぎた)。
■11位 ファミコンジャンプ 英雄列伝
ある意味、褒め称えるべき糞ゲー。
当時の少年ジャンプでの登場人物たちが登場する。
あまりにも混沌とした世界で、むちゃくちゃ。
しかし、ある種の夢を叶えた世界。
さえばりょうと、ケンシロウが対峙する世界は激しく謎である。
調べたら1988年発売だったそうな。
■10位 銀河の三人
1987年発売のファミコンRPG。
当時にしては、しっかりとした世界観。
宇宙でのバトル。謎にアクション要素もありで、
ヴァルキリーの走り的存在。
ナレーターの女の子萌え。
■9位 ロマンシングサガ3
ロマサガシリーズは全部チャレンジしたが、
やはり、2のストーリーが一番素晴らしい。
国王となり、世界戦争起こしまくって、世界平定するという信長の野望的物語。
それが数百、数千年単位で行われる。
主人公は寿命でしにまくり。
■8位 クロノトリガー
当時はかなりインパクトがあったゲーム。
ドラクエのイラストの鳥山明とスクエアが手を組んだ。
時代を行き来するというストーリーも去ることながら、
バランス感覚が非常に優れていたゲームの記憶がある。
高速バトルは、なかなか勝てなかった。
■7位 桃太郎伝説2
当時はPCエンジンで出てきた。
桃太郎伝説自体は、元はファミコン。
御伽噺の世界をゲームにするという野心は買える。
2では、浦島太郎や金太郎も仲間に出来る。
レベル上げが大変だった。
夜叉姫とか、よく出してきたなぁ、と。
エロもお約束。
閻魔大王のゲームの合間に入る決めセリフも印象的。
■6位 Mother
もうすぐ3発売だっけ?
2では、キムタクがCMで話題に。
しかし、やはり皆にとっても1が一番記憶に強いのではないだろうか。
独特の世界観。音楽、ストーリー。
現代世界をベースにしたゆえに、呪文がエスパーという設定のように
無理した感じも否めないが、そんなの関係ないくらいにストーリーが抜群。
■5位 ヴァルキリープロファイル
当時、そこまでチェックされていなかったゲームだが
発売され次第、ファン急増。
さすがエニクス。
ドラクエと対峙させるかのようにアクションRPG的要素が強かった。
何より、ストーリーが秀逸。死後の世界で人を救っていくのだが
謎解き要素も何よりだが、泣ける話ばかり。
■4位 天外魔境 2
当時、PCエンジン CD-Rかで発売。
数年、名作RPGの地位を確保。
日本が舞台で、伊予の国や淡路などを回る。
歌舞伎丸というトリックスターが印象的。
ゲームはくそ長い。
しかし、当時はしゃべるRPGとして世界を震撼させた。
オーソドックスRPGだが、謎の難しさも戦闘バランスも抜群。
■3位 女神転生外伝 ペルソナ2罪
女神転生シリーズの外伝「ペルソナ」。
その2の罪と罰シリーズの罰の方。
本家のほうがファンが強いと思うが、個人的には
ペルソナの「スタンド的」な設定にはまった。ジョジョ好きとして。
この罰は、1と2の罪と3つのゲームで成り立っており、
非常に複雑なストーリーと伏線。
とくに同じ世界で、同じデータをベースにした罰とのコラボレーションは芸術。
しかし、すぐ全滅する。
■2位 ファイナルファンタジー5
色んな反論を承知でいえば
個人的には、5がベスト。
(ちなみに、FF11以外は全部挑戦した)
4でなくなっていたジョブシステムが復活し、やりこみ度がUP。
ストーリーは、5や7の方が評価が高いが、それでも、クリスタルの確固たる世界観は
まだここに。
■1位 ドラゴンクエストⅢ
これまた一応全部DQはクリアしたが、
3が一番記憶に残っている。
転職制度もそうだが、表と裏の世界が最初に出てきたのも、これが最初。
初めてパスワードからセーブに変わった。、
バグの裏技も暗躍。
世界地図を舞台にしているので、ジパングなどが懐かしい。
オーブの世界。
投稿者 kaz : 07:59 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月30日
最強の現代青春小説 12冊
さて、12シリーズ第5弾。
青春小説縛りの12冊。
その名も、「これが最強の現代青春小説」。
・2005年、原田の脳髄を刺激した小説12冊
・原田の股間を刺激した漫画12冊
・涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本
・90年代後半の青春を彩った音楽12曲
■12位 ニュートンの林檎:辻仁成
辻仁成の著作の中では、あまり売れた本ではないが、かなりの名作。
女性の学生がメインにすえられている。
映画部。
読んだのが10年くらい前なので、記憶もおぼろげだが
白夜行の女性版のような感じだった記憶が。
面白かった覚えがある。
■11位 コインロッカー・ベイビーズ:村上龍
村上龍の著作の中では、「69」の方が青春小説としては有名だが、
コチラのほうが小説としての完成度は高いように思われる。
若さゆえの鋭さが。
2人の少年が主人公。
後の「愛と幻想のファシズム」と繋がるところもある。
■10位 J.D.サリンジャー:ライ麦畑でつかまえて
永遠の青春小説ですな。
この方は、他界したんだっけ?まだ生きていた記憶があるが。
最近は、春樹も翻訳した。
原文で読むとスラング沢山。
■9位 波の上の魔術師:石田衣良
株式小説として有名。
エンターテイメント小説としての見本のような痛快さ加減。
■8位 僕のなかの壊れていない部分:白石一文
賛否両論。
個人的には好き。
駄目男に見えるけど、結構、深遠な人生のテーマに悩む男の生き様。
■7位 夜の果てまで:盛田 隆二
恋愛小説としての方が有名。
北海道と東京が舞台。
年上の女性の人との恋愛話。
胸が痛い。
■6位 山田詠美:ぼくは勉強ができない
これも、永遠の青春小説の1つ。
中高生のころは、あるクラスターにおいては、これがある種のバイブルだった。
■5位 パレード:吉田修一
同居する若者たちに起こる日常の物語。
しかし、日常を書かせたら吉田さんはべらぼうにうまい。
最後が衝撃。
■4位 パイロットフィッシュ:大崎善雄
アジアンタムブルーは賛否両論だが
これは、基本的に評価が高い。
悲しい話と捕らえても良い。
■3位 砂漠:伊坂幸太郎
伊坂ヤバイ。天才。
その中でも、青春ものとしての最高傑作。
登場人物が秀逸。
砂漠に雪を降らすんだ。
■2位 ムーンパレス:ポールオースター
NYが舞台。
ポールオースターの筆力に加えて、
青春の王道を行く若者の悩みや痛みを描き出す。
どれだけ読み返したことか。
■1位 ノルウェイの森:村上春樹
説明不要。
とりあえず読め、と。
現代における共通のマテリアルとしての最高峰。
投稿者 kaz : 09:58 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月29日
レイシックだかレーシックだか
どこぞの疑問系の名前を持ったITの会社の社長が
先日、レイシックをしたといっておりましたが。
※レーシック=近視強制手術
原田は、去ることの3年ほど前、
ブラジルで行いました。
日本では、当時、30万だか40万だか。
今は知らん。
でも、ブラジルだと
7分の1の値段で出来るという話でした。
実際のところ、800ドル前後だった記憶が。
朝検査して
夕方手術。
1日、眼帯して
翌日からは、リオのカーニバルへ出陣。
一緒の宿に泊まって同じく
レーシックを受けた人は、
そのままカーニバルで、
パンチの効いたブラジリアンに殴られて
角膜はがれたそうなので、
いがいと危険。
でも、0.01くらいから
1.0 1.2へバージョンアップ。
原田2.0への序章とあいなりました。
きっかけは、同じ宿に泊まっていた
マリさんとかが
していたため
「面白そう!」ということでチャレンジしたわけです。
ちなみに宿は
世界三大宿のひとつ
サンパウロのペンソン荒木。
くそバナナの宿。
コンタクトもめがねも対応できない
海でのダイビングでとか、
あるいは風呂上りで、かつメガネが障害になるベッドの上での作業の際とか
やはり裸眼最高。
でも、あれってば
やはり25歳後半くらいからのほうが
良いとのこと。
それまでだと、さらに視力がさがる可能性が。
あと、よくいわれるのが20年後
どうなっているか解かりませんね
確かに。
まぁ、そもそも20年後
生きているかも未定。
投稿者 kaz : 17:47 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月28日
すごいデート 3
すごいデート編最終話
■待ち合わせの場所
デートをする際に、最初の関門が待ち合わせである。あなたは、無事にデートの約束を取り付けた。しかし、待ち合わせで失敗すれば、全てが終わりである。心してかかるように。THE END。DEAD END。END OF THE WORLD。出口のない入り口がないように、手口のないスリがないように、待ち合わせせずに、行われるデートは存在し得ない。チャックも開いている。ゆえに、ここでの流れは非常に重要である。まず、時間と場所を決めなければいけない。時間は、適当で良い。都合の良い時間が一番。ファジーなのはこまる。19時ごろとかは危険。日没ごろとか、丑三つ時とかも危険。あと日本時刻が基本。あと、中途半端な時間は、混同の元になるので避けなければいけない。出来れば、19時や、19時半などの30分刻み。ギリで許せるとしても、15分刻みだろう。プロの営業マンは、「19時7分に伺います」などと言って、インパクトを与えると同時に、時間で逆に拘束させるという技があるらしいが、それはまた別のお話。問題は、待ち合わせ場所である。渋谷で待ち合わせの場合、「ハチ犬の前」が、吉本新喜劇ばりのベタベタさとして光輝いているが、それが許されるのは、原則グループの場合であり(渋谷に詳しくない人へも対応可能という意味で)、デートの場合は出来る限り避けたい。なぜならば、単純に会えないからである。いくら待ち合わせのメッカとは言え、あんなにも沢山のPeopleが、勃起しながら待ち合わせをしていると、待ち合わせゲームの様相である。もっとも、相手が渋谷を殆ど知らない場合は、有効である。このようなお決まりの待ち合わせ場所は、大体、どこの町にもある。新宿だと、東口の交番前だったり、銀座だったら数奇矢橋の交差点だったり、六本木だとアマンドだったり、新橋だったらSLだったり、梅田だったらBIGMANだったりするわけである。ええ、もっともです。でも、もう少しマイナーな町だったら、待ち合わせに困る。妥当なのは駅である。駅。駅だと、とりあえず場所が限定されるために、間違うことが少ない。とはいえ、新宿のような阿呆のようなデカサの駅だったり、銀座のように「銀座一丁目」と混同してしまう駅の複数性だったりするなど、世の中はトラブルで溢れている。そのような困難を乗り越えて、はじめてデイトは成立する。今は携帯があるから、非常に便利である。時間も場所もザックリで良いのである。ああ、素敵な世の中。携帯さま様。あと、女性は往々にして時間に遅れて表われるものであるが、あれは確信犯であり、目くじらを立てても仕方がないので、10分は待つことを肝に銘じなければならない。女性はどうも、予定時間の5分か10分後を待ち合わせの「本当」の時間と考えているらしく、その辺の体内時計の時差の謎は、まだ解明されていない。人によっては、30分から60分の時差が存在するようだ。待ち合わせには、ipodや本が必須であろうことは、言うまでもない。ただ、たまに、約束の時間より前に表われるという秘書検定5段レベルのノウハウを持ったミューズが居るので、相手が遅刻すると決め撃ちするのは危険である。
■いざ目的地へ
さて、無事に相手と待ち合わせ場所で落ち合えたとしよう。おめでとう。それだけで、とりあえずデートの8割は完了であるとジョイスは言っていたような気がするが、多分、違う。次に行うべきは、目的地への移動である。あなたが男の場合、「エスコート」が必要である。エスコートとは何か?ということだが、何もしない。適当に書いてみただけである。目的地は、食事場所だと仮定しよう。その際に、待ち合わせ場所から、15分以内が好ましい。キロ数にして、500メートル前後だろうか。これは、人間が15分以上歩くとイライラするという心理メカニズムに基づくが、もちろん、でたらめである。しかし、飯屋だと予約を入れておく必要もあるわけで、その場合、待ち合わせ場所からの歩いて到着する時間と、さらに相手の遅刻する時間も込みで、店の予約を時間指定しなければいけないわけで、これは非常に厄介である。一番、手堅い手段は、遅刻の時間を込みで、余裕をもって予約いれるわけであるが、相手が1時間以上遅刻すると、そんな方法も無駄になる。他は、普通に店の電話番号をチェキっておいて、随時、予約の時間をずらすという方法もあるが、店によっては利かない。ああ、時間とは、かくなる厄介なものなのである。店で直接待ち合わせという楽チンな技もある。
■プランニング
そういえば、友人で、「デートのプランニングは完璧にする」という人が何人か居る。店だけを押さえるだけではなく、二次会も、その間のコースも、料理も、全て決めこむという鉄人が。それはそれで宜しいかと思うのですが、往々にして、そんな場合、トラブルが発生して、にっちもさっちもどうにもいかなくなるのが通説である。例えば、店が突然の閉店だったり、相手がいきなりBSEになたったり、YKKを買収したり。あとどうでもいい話だけど、飯屋に行くとオーダーめんどくさいよねー。特にわたくしめなんざ優柔不断なわけで、何も決められない。まるなげである。ただ、一般的には、ホスト側(誘った側)が、相手の趣向だけ汲み取り、あとはさくさくっと決めるのが良いらしいが、知ったこっちゃない。酒ものめねーっつってんだろボケ。
■GO!GO!
デート最中にすべきことは、課題解決に向かって走るだけである、とジョンソンが言っていた。グループディスカッションや、討論と同じである。その辺に関してはめんどくさいので省く。会計は、割り勘だとかゴチとか食い逃げとかあるが、もう好きなようにするよろし。飲みすぎると色々危険な世の中なので危険。起きると知らない人とタクシーに乗っているという現代の怪奇現象とても怖いあるね。終電に関してのデッドヒートも、また一興。でも、世の中にはタクシーという便利なものもあるので、東京では、地方よりも終電に関して、あんまりバトることも少ないのではないだろうか。あ、逆に車が少ない分あるのかな。不明。ともあれ、上記のあたりは略略略。
■女性にとってのデート
一般論だが、男性よりも女性がデートに誘われるケースの方が多いとのことである、沖縄開発省発表。つまり、ポーカーで言うならば、女性が、「コール」する立場であり、「レイズ」するかは自由。とりあえずツーペアかスリーカードあるならコールはしておこう。あるいは、ベタだが、ドラ受けを切ってきたら、とりあえず降りるようにしよう。とりあえずモモヒキは脱いでから来るようにしたほうが無難である。なんならスタンガンあたりを持っておくのも一興。
以上、一般論。伝聞推定。
体験談は一切削除なので、くれぐれも宜しく候。
投稿者 kaz : 07:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月27日
そういうことでアール

ドカンをドカンと蹴飛ばして
コカンをカコンと蹴飛ばして行くわけである。
言うならば。
はなもげら、はなもげら
ニッカポッカにポロロッカ。
な、わけである。
言うならば。
月曜は良いね。
週が始まる匂いがする。
マンデイだぜ!って勢いがある。
日曜日の翌日だぜ!っていう矜持がある。
言うならば。
ファックの代わりにサックス吹くわけである。
選択する代わりに洗濯するわけである。
言い換えるならば。
ならば、世に花が咲き、
桜が散るも一興。
一驚するにも、桜を愛でるが一興。
月に雲、花に風と故人は謡うのだ。
ゴキゲンだなぁ。
と、人は言う。
まぁ、いずれにせよ、
人をケナスよりは、褒めたいし、
怒るよりは笑いたいわけで。
日曜日の朝は
演歌よりもボサノバらしく、
月曜日の朝は、
ラテよりもエスプレッソらしく。
そういうことだ、言うならば。
投稿者 kaz : 10:11 | コメント (4) | トラックバック
処女はまぐわりに関して語りえないのか
「語りえぬものについては、口をつぐまねばならない」
と言ったのは言語学者の大家ヴィトゲンシュタインだ。
もっとも、これは、「わからないことに関しては黙れ」という意味ではなく、
「言葉として、ある対象として存在し得ないことに関しては、
言及するのが、そもそもとして不可能なのである」的な
ニュアンスだったような気がするが、忘れた。
でも、彼の本は箇条書きで読みやすいけど、理解はしにくいが
とりあえずカッコイイ。
さて、それはともかくとして。
以前まで考えていたことはこうだった。
日本国民の権利である国政「選挙」に行かない者は、
日本の政治に関して、文句を言う権利はないのではないか?
ということだった。
つまり、自分が、その結果を決めるためのプロセスに参加もしてないのに、
その結果に関して文句をいえないのではないか、ということだった。
これを某日記に書いたら、色々反論を拝聴したので、それ以来
少し考えていた。
似たものとして
「年金」を払っていない者は、
年金制度に関して文句を言う権利はない、
とも思っていた。
だから、僕は嫌々ながら、ナンセンスとしりつつも年金を払っている。
制度にケチをつけるのは、制度の中に居る者の声が一番
説得力があるからだ。
このような一種の極論を演繹すれば
「恋愛をしたことのない者は、恋愛について語れない」や、
「社会に出たことのない者が仕事に文句を言えない」というような
様々な使い方が可能である。
さて、この仮説は、妥当かどうか、というところだ。
正解も間違いもなく、一種の信念的なものだから、
結論は必要ないのだけれども。
ただ、個人的には
やはり、「言葉」というものの力は外部より内部から発せられるほど
相対的に力を持つ傾向にあるという経験則から
どうしても、上記の考えを持つにいたるわけである。
普遍性を全面的に肯定することは出来ないけれど。
だから、日本の社会に文句言うならば
一度くらいサラリーマンになろうと思って、
就職をしたという経緯もある。
(就職活動しようとした契機がそれであって、現状の仕事へのモチベーションは
それではない)
就職活動はクソだ、と言えるのは
それを経た者なのである。
もちろん、権利なんてものは、そもそも誰にもないのかも知れない。
「僕は、君に許してもらう権利なんてないけれど、
僕は君が好きだ」というのは、何かの小説のセリフだが、
そのセリフに関して、彼女はこう答える。
「誰も権利なんてないのよ。誰もそんなのわからないわ」というようなことだった。
誰しも、何に対しても権利なんてないのかも知れない。
もっとも憲法では、保障されているけれど
そんな話をしているわけではない。
参考
三大義務は勤労、納税、子供に教育
三大権利は生存権、教育を受ける権利、参政権
限度も境界もあるのはわかる。
例えば、上記の仮説を肯定するならば
我々は「死」に関して何も語りえなくなってしまう。
それでも、やはり、外野の声は
あまりにも安全な位置から発せられた何もリスクを取らない声ゆえに、
時に、か細い。
というようなことを考えていた若き日々。
以上。おちなし
投稿者 kaz : 06:19 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月26日
Friends
昨日はありがとうございました。ぺこり。
さて、
いや、そりゃね、
人は、誰しも、誰も傷つけたくないし、
傷つけられたくもないんだろうとは思う。
原則的にね。
つまり、性癖的な逆説はあっても
「遺伝子の保護」という観点から言えば、
個体の維持は、プライオリティ1だからね。
種の保存を上位に持ってくることもあるけど、
まぁ、それは仮説だし。
で、でも、
生きている以上、そのようなことは避けられないわけで、
時には、まさしく「山の手線」のように出会って、また別れてなわけで。
あるいは、春樹的に言うならば、
「人工衛星」のように、出会って、別れてのスプートニク。
聴くところによると、スプートニクは「旅の道連れ」だそうですが。
言いえて妙。
靴箱の中で生きられないならば、
靴箱の中以外で生きるしかなくて
それは、ベン図でいうならば
靴箱の外で生きるしかないわけで、
しかし、対偶を考えるならば
生きられないこともないのは、靴箱の中ではないわけで。
そういうことです。
友達からの影響というのは、
思う以上に大きいように思う。
例えば、ふと「この本おもしろいよ」と
進められると、
僕の場合、その本を買う確立は、5割以上だと思われる。
とりあえず携帯にメモるのはマストである。
あるいは、友達がカタツムリの生態に詳しいゆえに
それに興味が出たり、
あるいは、友人が淋病だから自分も興味がもったりというような
ケースは、数限りない。
で、何が言いたいかというと、
友達賛歌をしたいわけではなく
別段、何かあったわけでもないのだが、
メディアの力よりも、マスメディアの力よりも
友人の声のほうが近いならば
やはり、口コミはハンパないというのも
納得。
ということを言いたいわけでもなく。
ということで、
「おもろい本あったら教えてけろ」と
言っているだけです。
投稿者 kaz : 19:14 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月24日
僕らは孤独になっていく

ジャストアイデア。
=みきりはっしゃ
メッセンジャーで、自分が今
聴いている音楽を公開できるという件に関しては
以前の通り。
で、IRCなんかだと
「自分が今、検索している語句」を公開することもできる。
友人たちに。
他には、アメリカのSNSでは
「今の気分」をアイコンで表明できるものがある。
hotplaceという日本の携帯SNSでは
自分が、いまどこに居るかを教えてくれる機能がある。
「友人が近くを通りました」的なアラートも。
ブログのプラグインでは、
自分が撮った携帯の写真をUPDATEして
公開できるものもある。
それらを勘案すると
自分の行動を伝えることが
すでにコミュニケーションとなっているわけです。
相手が見ていようと、見ていまいと
「見ようと思えば見える」という行為ですな。
あくまでも、レスポンスを強要しない
プル的なアナウンス。
昔から、あると言えば
あったのかも知れない。
例えば、「キスマーク」
これは「私はさっき、ファックをしてきましたよ」という
情報を相手に伝えるわけである。
「目元にクマができている」
あるいは
「目元がはれている」
というような様態から、
「疲れているので休ませて」とか
「悲しいから泣いてきたの」とかいう情報を提示し
「やさしくして」というような情報をアフォードするわけである
(少し誤用なアフォード)。
それが、より明文化されただけの違いなのかしら。
ただ、情報を「口頭」で伝えるという
手段は、「プル的」アナウンスが主流になることによって
少なくなっているのではないのか。
あ、こないだ、町を歩いていて思ったこと。
人々は、より孤独になりたがっている。
例えば、あのipodを見て下さいよ。
町を歩くと、各々が各々の音楽で
各々の世界に入り込んでいるわけです。
カナル式のイヤホンなんて、外部の音を
全部シャットアウトです。
で、ニンテンドーDSの隆盛。
これも、もちろん、自分の世界への逃避ですよねえ。
もちろん、電車の中での行動なら
読書と変わらないのだけど
ニンテンドーDSのほうが「本」よりは
メディアとしての認知度と普遍性が弱く、
また、追体験を原則的には許さない行為ゆえに
よりソリッドな行為なのではないかと。
そして、携帯電話。
言うまでもなく
「時間があれば携帯メールをピコピコ」
あるいは、待ち合わせで
「電話でしゃべっているフリ」などなど。
パーティでさ、手持ち無沙汰なって
ひとりぼっちなときは、携帯は便利ですよ。
「今、携帯で連絡とっているんだよ。
ひとりだけど寂しくないよ ふふん」的な
ナンセンスな情報で自分を保護できるから。
ただ、それってば
旅行者の「煙草吸っている」ふりをしながら
見知らぬ旅人に話しかける行為と代わらないような
気もするわけで、
つまりはどういうことかという
自己欺瞞でありながらも、未必の故意。
そうして、
個々はより自分の世界に下りていくと同時に
友人たちには、消極的な方法で情報を提示する。
というアナクロな分析をするつもりは毛頭ない。
単純に何が言いたいかと言うと
デートとかしているときに
トイレに立って、
テーブルに戻ってくる時に
相手が携帯をいじっているのを見ると
何かしら寂しげな気持ちになるよね、という話。
自戒も込めて。
投稿者 kaz : 15:25 | コメント (2) | トラックバック
RYDEEN
Y.M.Oはやはり偉大だなぁ。
RYDEENは偉大だなぁ、
という話をした。
Amazonのコメント見たら笑った。
Sony Music Direct (2003/01/22)
売り上げランキング: 2,115

このアルバムと並ぶ和製音楽は、後にも先にも「BGM」だけ…
急いで買え
急いで口で吸えどうでもいいけど
カラオケで周り(3つくらいのクラスター)が一番よく歌う電気グルーヴは
「NO」なのだが、それは普遍性があるのだろうか。
もっと歌いやすそうなシャングリラはスルーですか、そうですか。
投稿者 kaz : 15:12 | コメント (0) | トラックバック
卒業式だった
昨日、卒業式だった。卒業生の皆様、おめでとうございます
もう25歳。
人より、三年間も遠回りして来たことになる。
大学にも5年間在籍したことになる。
高校を出て、米国に留学して大学入って、中退して帰国して浪人して大学に入って入学して 休学して復学して・・・。
(cf 原田和英の履歴書)
卒業まで遣り残したことも
大量にあるような気がするが、
もう早く働きたい気持ちで溢れていたりもするわけで。
先輩たちが旅立ち、後輩たちが増えていくのは、嬉しい反面、寂しくもあり。
あ、ちょうど、先日、塾生新聞の取材を受けた。
全塾協議会以来だから2回目の塾新。
相手が自分よりも自分のことを調べて下さっているというのは
感動だった。感謝を込めてリンク。
で、学生時代のメディア関連メモ 一部。
最近、このブログも、まとめに入っているなぁ。
新聞取材―原田和英さん
| 日経新聞 |
| IT media |
| ソーシャル・ネットワーキング・サービス 縁(えん)の手帖 |
| 招待状、届きましたか? SNSで始める新しい人脈づくり |
| IT media |
| 産経新聞 |
| asahi.com |
| ITmedia News:素人だらけの“IT劇団” ネットの力で超満員 |
投稿者 kaz : 14:16 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月23日
ブログの効用
ブログを書く意義は様々あり、
同時に弊害も、多々あるのだろう。
実名で書くか、匿名で書くかも
過去には、業界を騒がせていた。
仕事のことは書けない人も多く、
書いてクビになった人もいる。
僕も春からは、仕事のことを一切かけない世界なので、
(というか、そもそも論で、続ける体力が残っているのだろうか)
飯のことしか書けなくなる可能性もあるわけで。
それでも、やはり
ブログの効用はある。
ひとつは、やはりアウトプットの力だろう。
そして、その意見に対する賛成や反対などの意見。
それは非常に有意義である。
同時に、特定の人々へのアナウンスが容易である、という
こともあげられる。
特に、メールなどと違いレスを必要としないプル的(厳密な意味ではなく)
なものなので、気が楽である。
ブログを書くときは、
大体、10人か20人程度の
読んでくれているという人を頭に思い浮かべて
書くことが多い。
でないと、書けないからだ。
多くの人に見られていると思うと
書きにくいことも多い。
実際のところ、ここのブログは
ユニークビジターで、毎日平均1,000人弱前後だと思う。
決して多くはないが、何も考えずに書けるほどには少なくもない。
ちなみにリピーターは、その半分弱。
(一見さんが残り半分。でもけっこう適当な
アクセス解析なので、よくわからない)
しかし、反響を見るのに、
SNSなどとは違い、ブログだと
アクセス解析を利用するか、
あるいは、コメントから判断するしか方法はない。
(細かいのだと他にも色々あるけどおおむね)
それゆえに、コメントはとてもありがたい。
改めて御礼をば。
一般的に、読者の1%だったっけ?
がコメントする、という定理があった気がするが
おおむね、そんなものかも知れない。
リアルで会った時にブログに言及されることもあるが
尚更、ありがたいご意見。
書くことが大好きな私にとって
ブログを毎日続けることは
まったく苦ではない。
今でも、ノンストップで、100本ほどの
エントリーを書けるほどのネタは
ストックされてある。(checkpadに)。
ただ、やはり書くということは体力を使う。
配慮も使うし。
スポーツと似た匂いさえも感じる。
30分ほど、ぶっぱなしで、キーボードを
打ち続けたりすると
突然、ランナーズハイのように
テンションがあがり、意識が高揚してくる。
その時に、もうキーボードは外部ではなく
身体の延長である。
(メディアがソレと言ったのは、誰だったか?)
思考とアウトプットのタイムラグが
限りなく小さくなり、意識の混濁が
そのまま表明される。
ラリる状態である。
恍惚。
このような、わたくしみたいなウジ虫が
毒にも薬にもならないエントリーを書いても
たった1人でもいいから見てくれるだけで、
なんか書きたくなるのだ。
不思議なことに。
うむ、ほんまに読者は数ではない。
誰か、である。
先日、大学の研究所の修了式(卒業式ではない)で
送辞で「Know Who」の重要性があげられていたが、
まさしくその通りだと思う昨今。
今回もゴミエントリーでした。
さて、今日は卒業式だ。
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2006年03月22日
90年代後半の青春を彩った音楽12曲
12シリーズ、第四弾。
本、映画、漫画とくれば、音楽。
ということで、「青春音楽」縛りの12本。
いつもどおりガチ主観。
でも、ある程度普遍性(ベタな曲)を狙うようにもしたつもりですが、
自身の体験的に、80年前後生まれ辺りが一番共感してくれそうな
気がしますが、どうだろう。
邦楽洋楽を6曲づつ。
・2005年、原田の脳髄を刺激した小説12冊
・原田の股間を刺激した漫画12冊
・涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本
・12人の天才たちのエピソード 前編
・12人の天才たちのエピソード 後編
■番外 荒井 由実「卒業写真」
ゆーみんの歌と言っても良いのですが、まだ「荒井」さんだったころの曲。
1975年だそうだ。
生まれる前だなぁ。
今でも、卒業式ではよく歌われる。
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くで叱って
あなたは私の 青春そのもの
■番外 Madonnna「Material Girl」
我らがマドンナのマテリアルガール。
この歌詞自体が、高度経済成長を彷彿させ
バブルを思い出させずには居られない。
物質社会の到来、すなわち資本主義のクライマックスである
世紀末を生きる我々だったのですよ。
でも、時代的に少しずれているので番外。
Living in a material world
And I am a material girl
■番外 尾崎豊「卒業」
まぁ、説明不要ですわな。
若くして夭折した天才の代表作。
卒業式じゃなくても、
若さをもてあませた若者たちが
この歌を信じて
バイクを盗んだり、学校のガラス割ったりと
地球に優しくない歌ではあります。
でも、これも時代が少し前ということで番外。
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま、
暗い夜の帳りの中へ誰にも縛られたくないと
逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした15の夜
■番外 Bob Dylan「Blowin' In The Wind」
Bob Dylanの名曲中の名曲。
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」のタイトルも、確かこの歌から
ヒントを得てたのではなかったか。
でも、これも時代が1つ前なので、番外。
The answer, my friend, is blowin' in the wind
■12位 trf「survival dAnce~no no cry more」
なぜ「trf」のこの歌かというと、
当時、この歌が、「ぼくらのドラマシリーズ」で
内田ゆきが主役を演じる「17歳」というドラマの主題歌で使われていたから。
1993年くらい???
同時に一世を風靡させた小室ファミリーの代表、trfの名曲ということでチョイス。
no no cry more 消せない青春 悔やまずに この夢こそは! この恋こそは! このチャンスだけ逃したくないよ
■11位 Squeeze「Tempted 」
先日、青春映画「リアリティバイツ」の話をしていて、
「何がいいといえば、音楽だよ」ということを言われ、
ふむ、確かに。と思ったわけです。
僕も映画みた翌日にサントラ買ったし。
その中で、ウィノラが車を運転して
事故るシーンでかかっているミュージック。
BGMではなく、ウィノラが友達と歌う音楽ですな。
原田の努力により語学学校の教材にさえなった。
パジャマと歯ブラシもって出かけよう。
Memories of it still keep calling and calling
But forget it all I know I will
■10位 小沢健二 「痛快ウキウキ通り 」
青春にオザケンは欠かせないことには同意してくれるのでは
ないだろうか。特に70年後半から80年前半生まれ辺りの人は。
そういえば、数年前の卒業式でも、先輩がBGMでかけていたような。
フリッパーズよりも、ピンの方で。
名曲揃いだが、「今夜はブギーバック」と悩んだ末に
「痛快ウキウキ通り」をチョイス。
プラダの靴が 欲しいの
そんな君の願いを叶えるためマフラーを巻いて
街へ出る恥ずかしいながらも ウキウキ通りを行ったり来たり
■9位 Bob Marley「three little birds」
中学生のころ、「レゲエ」に目覚めたヤンキーどもが
ひたすら、ボブマーリをかけていた記憶がある。
ラスタカラーに、インセンスの強烈な匂いを漂わせ、
パンチがある奴はドレッドに。
海に行く時はマストでしょうしねえ。
その中でも、特にゴキゲンな「three little birds」を。
"Don't worry about a thing,
'Cause ev'ry little thing gonna be alright."
■8位 久石 譲「君を乗せて」
ご存知、天空の城ラピュタのテーマソング。
作詞は宮崎 駿。
天才、久石さんはこの頃から、宮崎映画を担当していたんですなぁ。
「Kid Return」の音楽も悩みましたが、やはりコチラ。
音楽会で歌った人々も多いのではないだろうか。
男と女のパートがあるんだよね、確か。
あの地平線 輝くのは
どこかに君を 隠しているから
■7位 Beach Boys「Surfin’ Usa」
Beach Boysはいつも陽気に僕らと共に居た、
というほど普遍性や恒久性が高いビーチボーイズ。
ちょうど、20世紀末のドラマ「ビーチボーイズ」というものも
青春ドラマとして名高い。
反町と誰かと広末とかが出ていた奴。
BGMはコレが使われていたかは覚えていないけれど。
どの曲にしようかとも思いましたが
アップテンポな奴を一発。
これをかけると、とりあえず誰しも口ずさむか、踊りだす。
If everybody had an ocean
Across the u.s.a.
Then everybody’d be surfin’
■6位 THE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」
THE BLUE HEARTSは永遠ですね、と誰かが言った。
甲本兄は永遠で御座います。
個人的には、「三代目魚武濱田成夫」と通ずるところを
感じるのだけど、下手なことを言うと怒られるからやめよう。
90年代の彼らは、
今で言うならば、サンボマスター的存在じゃなかったかしら。
最近でも「りんだりんだ」関係が映画化されたし、
「情熱の薔薇」が流れれば、誰しもが涙するし、
青春を具現化した彼らざんすね。
栄光に向って走る あの列車に乗っていこう
裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう
土砂降りの雨の痛みを 傘もささず走っていく
やらしさも汚らしさも むき出しにして走ってく
■5位 Ben E. King「Stand By Me」
10人中、8人9人が知っている曲ではないかしら。
映画の「スタンドバイミー」で使われた名曲。
この映画のサントラでは、「ロリポップ」の方がインパクトはあったけれども。
カラオケで熱唱する方は後を立たない。
そして、誰しも口ずさめる青春。
帰らぬ若き日々。
If the sky that we look upon
Should tumble and fall
Ot the mountain
Should crumble to the sea
I won't cry, I won't cry
■4位 ユニコーン「素晴らしい日々」
奥田民生の最高傑作の1つであり、
ユニコーンの最高傑作の1つ(他は「大迷惑」も最高傑作)。
最近、CMかなんかで使われているの?
テレビ見ないのでわからないのだが、どこからのブログで拝見した覚えが。
主観で言えば、高校の時に作成した卒業式の映像のBGMは
ちょうどコレだった。
この歌自体は、1990年代前半なのに、今聞いても色あせない。
なぜか女性で好きな人が多数のような気がする。
泣ける。
懐かしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる
■3位 Carpenters「Yesterday Once More」
天才脚本家「野島伸司」の名作ドラマ「未成年」で
日本に復活したカーペンターズ。
ちなみに、この野島青春三部作の一作目
「高校教師」は森田童子の僕たちの失敗という
救いようのない名曲がフューチャー。
そして、二作目の「人間・失格」では、
サイモン&ガーファンクスの「冬の散歩道」という
いぶし銀のセンスでついてくるセンスが光っていた覚えがある。
「Top of The World」が一番有名だが、
青春といえば、
「Yesterday Once More」
エヴリィシャラララ、エブリウォウウォウなわけです。
every sha-la-la-la
Every wo-wo-wo
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they’re starting to sing’s
So fine
■2位 サザンオールスターズ「素敵な夢を叶えましょう」
「サザン入れるなら、Mr.ChildrenやBzも入れろ」と怒られそうですが、
数に限りがありますよってにご寛容。
サザンも曲数が多いが、
その中で、あえて、少しマニアックなこの曲を。
それでも最高傑作の1つ。
何かのドラマで使われていたハズ。
アルバム「SAKURA」に入っている。
シングルカットはされていないはず。
主観全開ですな。
時代的には結構最近。
1999年くらい?
別れと夢を歌う歌。
友人はこれを聞いて涙流していた。
ちょうど、夜のお仕事を少ししている時に、
先輩がカラオケで、この曲を歌っていて
むちゃくちゃかっこよかった覚えがある、と誰かが言っていた。
夏の夜に咲く花火が僕達を
繋ぐ最後の絆だと誰かが言った
■1位 The Beatles「Let it Be」
1位は、不動の「Let it Be」。
人生の悠久なるテーマソング。
まさに時代を生み出したといっても過言ではない
「かぶとむし」さんたちの最高傑作。
闇の中で苦しむ僕。
その横で、マミィは、
叡智の言葉を呟くわけです。
「Let it Be(あるがままに)」という魔法の言葉を。
ちなみに、Let it Beの訳は様々ありますが
あるがままに、は、桑田けいすけ御大の訳。
日本でいうなら、歌姫、美空ひばりの「時の流れのように」を彷彿させます。
突然ピアノから流れ出してきて、
涙腺を緩ませるこまった曲。
てか、The Beatlesは青春の曲ばかりですよね。
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom, let it be.
Let it be, let it be.
Whisper words of wisdom, let it be.
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2006年03月21日
或る休日
朝、目覚ましなる時計の鳴る刻より前に目が覚め。
やうやう窓の外は、光を灯しつつゆくらん。
"けふは、休日なり"と人の言う。
さもあらん。
静寂が街を支配しける。
何の休日かしらんと。
自転車を漕ぎ漕ぎ、ジムへ向かいたるは我。
ジムたることの良いは、本を読みつつ走れる点にあるやうに思う。
人生も走りつつ、読みつつ過ぎゆけむ。
何がしの「陽気なギャングが地球を回す」に
快哉を叫びながら、走る走るさんじゅう分。
汗もかきかき、恥をかきかきウェイトリフティングに取り向かう。
"線が出てきたやう"と稚児。
そこのけそこのけ筋肉のびゆく。
プールでは、数往復し、顔見知り足る叔父きと
会釈を交わし。
六本木を、ぶらぶらと過ぎ行けば、
今日は、野球なるもののフェスティバルのやうだ。
バルでは、美国人と日本人が杯を乾かしあう休日。
眺めているだけで、心があつたまる。
嗚呼、そういえば、今日はSO901iなるものの
発売日であつたように思い出す。
にじゅうさんじゅう電話しつつも、
"在庫はなからん"との人の言う。
やむなく今日の空は快晴。
ipodからは、島歌が流れ行く。
でいごが咲き乱れ、風を呼ぶ。
今日は快晴。
天気晴朗なれども、波高し。
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リスクを取るということ

リスクに関して、以前少し書いた。
血を流す、ということ。
それに関して、続記。
「主観」リスク論。
リスク、というのは、以前書いたように
「起こり得る可能性の幅」だと私は認識する。
ならば、リスクを取る、という場合は
何を指すのか?
それは
「起こり得る可能性の幅を容認する」ということだけに
留まらない。
容認するだけでは不十分なのだ。
現実は、もっとヘビィなのだ。
その起こり得る可能性の中で、
もっとも「望ましからぬ結果」を感受できる場合
リスクを取る、という。
つまり、今、一般に言われるような
「無茶する」というようなニュアンスで使われる
「リスクを取る」という行為は、明らかに間違っている。
ナンセンスである上に、誤用であり、社会的弊害である。
リスクを取るというのは、
無謀や無茶やアナーキーやアウトローという言葉とは
まったく異なるベクトルの上に存在するものなのだ。
もちろん結果的にそのようなことになるのはありえる。
しかし、前提としては
「リスクを取る」ということは、
より配慮に富んで、保身を検討し、最善策を尽くす、というような意味を持つのである。
つまり
「最悪のことが起こっても大丈夫かどうか」
ということは、あくまでも、「保身」を第一に考えた行為だからである。
この場合の保身は、保守という意味ではなく
「自分がなくならない状態を保つ」という意味だ。
つまり、最悪の事態が起こり得る場合、
自分を見失ってしまう可能性がある時は、
そのリスクを限定的にすべきなのだ。
もっとも、これは、注釈もありうる。
例えば、「飛行機に乗る」ということ。
ここに想定される最悪の可能性は
「墜落=死」である。
多くの人々にとって、その死は
耐えられないであろう。
では、「リスクを取る」場合に
飛行機に乗ることは避けなければならないのか?
そうではない。
あくまでもリスクは可能性と共存する。
この場合、
「飛行機が墜落する可能性」を勘案して
その確率を踏まえて
「死ねるかどうか?」が重要になってくる。
つまり、0.001%の確率で墜落すると「想定」できた場合、
そのリスクを避けるかどうかは、絶対的な評価を行うと同時に、
他のリスクからの想定的な検討を行うべきである。
絶対的な評価とは
「0.001%の確率で死んでしまうが、
それでも死んだ場合、その事実を受け入れられるかどうか」
という主観的な判断である。
相対的な場合は、
「交通事故での死亡リスク」や「街中で狂人に殺される可能性」などとの比較から
選択肢が妥当がどうかの客観的判断である。
このように可能性と確率を検討し、
その結果を、全て容認できる場合に、
その起因となる行動を取ることが出来る場合に
「リスクを取る」ということが出来る。
派生して「リスクをヘッジする」というのは
元は株などの用語として主に使われていたが
今は、普段でも使うことが出来る。
リスクを回避する、ということだが
限定的にする、という解釈でも構わない。
つまり、起こり得る最悪の可能性を限定的にする、というわけである。
例えば、
「渋谷に19時の待ち合わせに向かう」という
目標がある場合に、
現状では遅刻しそうだとする。
選択肢としては
「電車」か「タクシー」が考えられたとする。
この場合、電車だと最悪のリスクは
「接続が最悪で、15分の遅刻」だとし、
タクシーの場合は
「渋滞で、何分の遅刻かわからないが
間に合う可能性もある」という可能性を想定できたとする。
この場合
「リスクを取る」ということは、
タクシーを取る、ということのようにも思える。
(なぜなら、可能性の触れ幅が、より広いから)
しかし、リスクをヘッジする場合を考えた場合、
最悪の結果として
「間に合わない」という選択肢は
絶対に避けうるべきものである。
(ただし、この場合も確率からの査定が必要)
ゆえに、その可能性があるタクシーは避けなければいけない。
ゆえに、遅刻してもいいから、電車という
リスクの限定的な方法を取るということが
リスクをヘッジするということである。
(もちろん、電車の人身事故などの可能性もあるが
それはお好み次第で、可能性に混ぜれば良い)
で、最初に戻ると
リスクを取る、ということは
いわば
「覚悟する」ということなのだ。
「腹をくくる」と考えても良い。
100万円を投資したら、
その100万円が霧散する結果を想像し、
それでも自分が許せるという痛みが必要だ。
誰かに告白するならば、
ボロクソに振られて、ケチョンケチョンにされる
可能性を認めなければいけない。
夢を追うならば、
それが無残に敗れ、夏草となってしまう恐ろしさを
知る必要がある。
それがリスクを取る、ということである。
そして、本当に「最悪の事態」が起こっても、
それを笑い飛ばせるようにならないと
リスクテイカーにはなることは出来ない。
神に怒りたいことが起こるだろう。
誰かを殴りたいことになるだろう。
酒では効かない夜もあるだろう。
しかし、リスクを取った以上、
その結果に、文句や不平、神を嘆く行為は、
自分を欺く行為に他ならない。
それが
「リスク」を取ることの本義だ。
もし、それが嫌ならば
一生靴箱の中で暮らせばいい。(c 春樹)
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2006年03月19日
完璧な日曜日の作り方

日曜日の朝が好きだ。
逆に土曜日の夜は嫌いだ。
なぜか焦ってしまう。
あまりにも珠玉すぎるものは、時に手から零れやすいに過ぎる。
ハイロウズの名曲で
「日曜日よりの使者」という曲がある。
歌詞は意味深で、各々の理解あるのだろうが、
すなわち、そういうことである。
日曜日ってのは、
それぞれに、ふさわしく、しかるべく、存在するわけで。
春樹的に言うならば
「ネジをまかない」という日曜日と形容するような。
そこで、主観に入るわけだが、
個人的に、やはり日曜日といえば、ブランチであろう。
ディナーでは決してない。
同行者(カンパニア)は、やはり異性が好ましいだろう。
同性とは平日のブランチに行っておくれ。
土曜日の夜が過ぎて、
朝、寝坊して目覚めるわけである。
横には異性。
寝ぼける頭。
ドリップ式の珈琲メーカーがあれば
ベターが。
なければ、インスタントでも良い。
エスプレッソマシンはベストではあるが
日曜日の朝には向かないような気がする。
スタバで売っているような、
どでかいマグカップにたっぷり並々と
注いだ珈琲に、ミルクが日曜日の朝にはふさわしい。
ブラックだと胃をいためるし、
砂糖を入れるには、日曜日の朝はいかんせん
十分にSweet過ぎる(謎。
そして、珈琲を飲んでから、ブランチに出かけるわけである。
出来れば、ブランチは、パスタか、サンドイッチがベストであろう。
和食は、日曜日にはふさわしくない。
それは、正月にでも食べてなさいってなこった。
日曜くらいは昼から、アルコールも良かろう。
そして、2時間ほど、ゆっくり食事をして、
午後は、散歩である。
どう考えても、それ以上の日曜日の15時前後の妥当な使い方は
見当たらない。
人が多いところに行くのは
日曜日の持分ではない。
それは、平日マターである。
日曜日は、ブランチを食べた店から歩いて
公園や近所を、散歩するために
待ち受けているのである。
カメラを持っているならば写真を撮ればいいし、
歌が歌えるならばボブマーリでも口ずさめばゴキゲン(c ミスチル)である。
そして夕方からは、
スーパーで、食材を買って
サザエサンを見ながら料理である。
昼が遅かったので、軽めが好ましい。
そして、早めに夕食を切り上げ、
カムチャッカ半島に夕日が昇るころ、
さっさと布団に入って、
新しい週を迎えに行くのである。
とはいえ、完璧な日曜日は
毎週訪れるべきではない。
時がくれば、日曜日は、必然たる帰結を伴い
妥当な日曜日の教えをもって、
日曜日なる上で、日曜日となりえるのである。
間違っても、日曜日をするのではない。
くれぐれもお間違えなきよう。
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2006年03月18日
サルバドールダリとは
ダリは、画家だ。
しかし、画家である前に狂人かも知れない。
20世紀のはじめ、スペインで生まれた。
詳しくは、Wikipediaを見ると早い。
シュルレアリスムの大家。
画家でもあり、彫刻家でもあり、アーティストでもあった。
(ちなみに、シュルレアリスムに関しては、この本が参考になる)

わたくしめは、ダリマニアである。
彼が大好きだった僕は、スペイン語の授業でレポートがあると
すべてダリで書いていた記憶がある。
ダリの洋書もかなり集め、世界中で、四箇所のダリ専門の美術館を回った。
彼の生まれ故郷であるフィラゲスのダリ美術館はもとより
ロンドンのビッグアイの袂に開催されていたダリ展、
あとは、アムステルダムともう一カ国(ベルギーだったかなぁ)のを回った。
もちろん専門美術館ではないシュルレアリスム(主に現代Art美術館が多かったが)に
強い美術館にもしげく足を運んだ。
そこで解かったのは、
ダリは天才というよりも逸脱だ、という
事実である。
彼は逸話だらけだ。
そのいくつかをご紹介。
下記は、色んなHPや本などからの引用。
引用元は、数年前の論文からの抜粋なので、紛失してしまいました。
ごめんなさい。
■食べ物
ダリは、
ロブスター、ウニ、カタツムリ、卵が大好きだった。
それらの共通点は?
そう。外側が固い。
彼は言う。
「私は、知性で把握できる 明確に一定した形のものしか食べたくない」
#ちなみに、それの関係で、有名な作品「記憶の固執」では時計がぐにゃぐにゃとしている。
コレ
![]()
■夢
「6歳の時 私はコックになりたかった。
7歳で、ナポレオンになりたいと願った。
それ以来、私の野心がますます大きくなる一方である。 」
そしてこう言う。
「以来私の野望は、誇大妄想と一緒に絶えずふくらみ続けた。
私はひたすらサルヴァドール・ダリでありたいと願った」
■発狂に関して
ダリは当時の精神科医たちに常に入院をすすめられていたという。
追いかけ回して来る医者たちにダリはこう宣言したという。
「私は気が狂っていない。なぜなら私は気が狂っていないからだ」
あるいはこう言った。
「狂人と私の唯一の違いは、私が狂人でないことである」
■シュルレアリスト
印象派の画家のほとんどがキュビスムやフォービズムと、方向転換する一方、
モネだけが処女作から最後の作品まで印象派の画家で在りつづけたように、
ダリは、生涯シュルレアリストで在りつづけた。
「シュルレアリストと私の違いは、私こそがシュルレアリストであることだ」
「精神は碾き臼のように絶えず廻りつづけ、
ルネサンスの男達の普遍的好奇心をもっているのだ」
■天才
ダリの人生のテーマは、如何にして「天才」になるか、だった。
そして彼は、自ら「天才であることを」演じ始める。
他人に、決して内面をさらけ出そうとはしなかった。
「毎朝目覚めの時、私は史上の喜びを知る。すなわち、サルヴァドール・ダリである喜びを」
「もし人から天才だと思われたいのならば、いかなる時も"天才のふり"をし続ければよい」
「私は自分が天才であるという事を自覚している」
彼は結論をこう記す。
「サルヴァドールよ。君は真実を知っている。
君が天才を演じるなら君は天才になるのだ」
■ガラ
ダリの絵を語る上で忘れてはいけないのは妻のガラの存在。
ダリはこの妻について
「彼女こそ、わが勝利、わが妻たる運命の女性であった。
ガラよ、そなたは現実である」
といって全身全霊でガラを愛した。
■カタロニア出身
ダリの全作品を貫いている重大な固定概念は、
彼がカタロニア出身であることに由来する。
カタロニア人は自分が食べ、聞き、さわり、嗅ぎ、見ることのできるものしか
信用しないといわれている。
ダリはこの唯物主義的で美食的な遺伝的特性を隠そうとはしなかった。
「私は、自分が何を食べているかはしっている。
しかし、自分が何をしているのかは知らない」
■映画
ダリの映画。
シュールさ全開。
蟻。
■死
私自身にとってエロティシズムは常に醜く、
美的な者は常に神聖で、死は美しくあらねばならないのだ」
■美とは
「ミノトール」という雑誌でのダリの論文の締め。
「美とは可食的なものであろう。さもなくば存在しないであろう」
■天国
天国、混乱した悪魔の息吹のような人生をかけて、
私の魂がずっと探しつづけてきたもの、
天国、それを理解できないとはなんと気の毒なことか。
女性の脱毛したわきの下を始めてみたとき、
私は『天国』を探した。
無私の群がる新だハリネズミの腐敗した一群を松葉杖でつついたとき、
私は『天国』を求めた。
■
「私は道化ではない。
しかし、この異様にシニカルな社会は無邪気にも、
狂気を隠すために真面目さを装っているだけの人間を見抜けないのだ。
何度も繰り返すが、私は狂人ではない。
私は明晰な洞察力を持っており、今世紀に私ほど英雄的でかつ傑出した非凡な人物は、
ほかに存在しない。
ニーチェだけが-かれは気が狂って死んだが-
私に匹敵する人物であり、私の絵がその明白は証拠である」
■主張
ダリは自分が「完全なるインポテンツである」と主張している。
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2006年03月17日
価値観って奴は。

私事ながら(とはいえ、このブログで私事でないことは存在しない)、
最近、自分の価値観がかようにも変わることに、戸惑いを覚えるほど
なので御座います。
一時期、流行った言葉で、「アイデンティティ」というものが
御座いますね。
流行といっても「だっちゅーの」だとか「ぶっちほん」とかの類ではなく、
むしろ、吉本公明の「転向」とか、浅田関連の「ニューアカ」とか、その類。
アイデンテテー、
日本語で言うならば、「自己同一性」とか言ったりしますが
ピンと来ない言葉。
英語の「アイデンティファイ」の名詞化とすれば
わかりやすいのだけれど。
心理学者エリクソンの言葉だそうだ。
で、まぁ、それはともかくとして、つまり、
その本義はともかくとして、日本で一般的に解釈される
そのような
「自分が何たるか」的なもの。
もう20を超えたら、大体理解しているつもりだったのだけれど、
まだまだなわけですね。
おそらく、一生わかりきることはないと思うのだけど。
三田さんの「僕って何?」が安保あたりの、ちょうどその辺の微妙な機微を
書いた本を書いていたのは有名で、
昔より、そのような「自分探し」は、永遠のテーマだったわけである。
で、そんな哲学じみたのは、
酒の肴にするとしても、
もっとわかりやすい例で言えば
「自分はどんな異性が好きなのか?」とか
「どういう人生を望むのか」とか
「幸せをどう定義するか」とか、
そういった曖昧としながらも、それなりに人生において
クリティカルな命題は存在するわけです。
それを、ひとは価値観と呼ぶかも知れないし、
ある種の価値観ではあるわけで。
そういう価値観の変容。
多分、社会に出る前という状況も大きいのかも知れませんが、
時の力も大きいのであろう。
もちろん、周りの人々からの影響なども含め、
社会的な座標を知っていく過程も、それに力を及ぼすのであろう。
最近では、友人と話してきて出てきたのが
「女はセックスすると、色んなものが減る」というが、
男だって、減ってもおかしくはないのではないか、という提案でした。
なるほど、と僕は腕を組むわけですが。
確かに、「ありえるな」と。
身体ってものを媒介にして、
精神的なものが磨り減る可能性はありえる、と。
まぁ、それも、ひとつの価値観の変化ですわな。
「減るもんじゃないし」と思っていたものが、減ると知る。
例えば、だけれども。
もちろん、逆に変わらない癖というようなのもあるわけで。
例えば、昨日も指摘されたのだけど
「相変わらず、やる気があるのかないのか、わからない
しゃべり方をするなぁー」と。
いやー、個人的には、やる気で満ち溢れているのだけど
しゃべるにはエネルギーが必要で、
いつも、省エネのしゃべりかたになっちゃう。
で、「もごもごもご」と。
最近、よく注意され、直そうと思うけどなおんない。
だから、癖よりも、価値観のほうが
より変わりやすいのかというと
そんな安易な結論でもなくて。
そもそも自分というものが本当に
「社会的動物(c アリストテレス)」ならば、
社会の中で定義づけられるべきものが「自分」なわけだから
明確な絶対的な独立たり自我が存在し得ないのではないか、
とも考えてみたり。
「自分をわかる」なんてメタ認知できるのは、
そもそも自分が立つ位置が自分な以上
幻覚でしかないのではないかしらん、とかも
思ってみたり。
いや、そんな深く考えているわけじゃないんだけど
こんなにもカラフルに世の中の「色彩」に変わられると
どうしても、戸惑ってしまうというか。
嗚呼、またも何もオチもないまま
ジャストアイデアで書いてしまった。
ごめんなさい。
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2006年03月15日
すごいデート 2
すごいデート編の2。
■誘い方
デートをするには、「なんとなく」では発生しない。そんな山火事のような自然発生していたら、世の中はデートバブルのデートインフレが起きてしまう。しかるべき手段で、しかるべきプロセスを得たのちに、しかるべき交渉を勝てたものが、「デート」の権利を得るのである。それは、まさに、「コロッセオ」のバトルを彷彿とさせる世界であろう。しかるべき手段として、考えられるのが、口頭での誘いや電話、メールなどでの誘いである。手紙でも良いが時間がかかるのが難点だ。まじめに他の手段も検討しておくと、モールス信号がまっさきに挙げられる。しかし、相手がそれを解読する手段が必要だ。他には、ハムという無線手段があるが、これも相手が受信できるかが疑わしい。常に世界は、レセプタードリブンで回っているのであろう。言語は、相手が理解してこそ、初めて存在しうるのである。他の方法としては、夢に出る、家の壁に落書きする、伝書バトなども様々あるが、やはり、コストの面から言って現実的ではない。しかし、現実的ではないというものの、それゆえに、それが価値がある場合もあるので、完全に否定することは出来ない。夢に出る場合は、相手が寝ている時間を見計らって、ひたすらデートの交渉をイメージしながら、相手のお家の方角に向かって邦楽でもかけながら法学を学びつつ、念じれば良い。以上。で、まぁ、手段は、若者の間では、携帯メールが世の中は一般的なのかも知れない。レスポンスの速さや受信側の利便を考えても、妥当な判断だといえる。しかし、おもっきり主観で言えば、携帯メールは、文字数が限られるので、誘い文句に引用とか前文とか注釈とか翻訳を入れる場合は向いていないかも知れない。電話だと、さらに早いレスが期待できるが、相手の事情を勘案して電話しないといけないので、めんどくさい点もある。まぁ、インパクトを狙うなら、夜中の2時とかに電話してもいいが、時にその効用と成功率は比例しないという事実を知るいい経験になるだろう。一番、シンプルなのは、別の機会であっている時に、デートに誘う方法であるが、ナチュラルであり、自然にやさしいコストゼロである。しかし、その時点で、ある程度ふたりきりになる必要があるし、それに、その時点でデートに準じたものをしている場合に限定されることもあり、これは機会を見つければ一番成功率は高そうに思えるが、その分、機会は少ない。そういえば、メッセンジャーで誘うというIT世代の申し子の方法もあるが、相手がタイピング遅ければドキドキしないといけないので、時に、もどかしく、まいっちんぐ(c まいっちんぐマチコ先生)であり、本望。
■誘う文句
文句としては「デートせえへん(関西弁である必要はなんらない)」と、ストレートに行くのが傍流だと総務省の経済白書に載っていた。主流は、何かしら別の「名目」を装ったデートの誘い方である。そのほうが相手を説得しやすく、また、NGでも自分のダメージが少ない。例えばギリシア神話から脈々と続く手法だと「映画のチケットが2枚手に入ったんだけど、いかない?」という方法がある。これは相手の映画の趣味などを把握する必要があるが、名目としては妥当である。もっともこの場合「チケット2枚あって、もう1人誘う必要があるのはわかった。しかし、なぜ私なのかわからない」とコンサルタントならば、その論理的不備を突っ込むであろう。その場合「君のFalling love(c Globe)だからさ」と言っても良いが、往々にして返答に窮する。しかし、そんな質問をしてくる野暮や方には別な手段を用いた方がいいかも知れない。映画以外にも、舞台やコンサート、遊園地や水族館など様々なチケットは有効に働くであろう。さらには、「アウトレットのクーポン券」という謎のツールや、さらに高等なものになってくると「道玄坂イルカホテルの10%(テンパーと読む)割引券」などを使ってもいいが、いずれにせよ、その場合、相手の趣向に添った場合でない限り、避けた方が無難である。なぜなら、「ホテルの割引券があるから行こう」というのは「卵を買ったからすき焼きをしよう」というようなものであり、それは僕がさっき実家で、たまたますき焼きをしこたま食ったから思いついたメタファーである。さらに、熟練度を要する文句として「君とデートがしたいのだ」と剛速球のような誘い文句もあるが、いかんせん、相手のガードを高めるだけであり、攻撃をボディに絞った場合か、寝技をしかけるためのタックルを狙う場合でない限り、クランチに持ち込まれる可能性があり、これも相性次第である。
■飯いこう
「今度、飯でも食いにいこう」というフレーズは、様々な小説や映画やポルノやビニ本やカリビアンで使われているフレーズであり、もっとも普遍性があり、かつ攻撃力がある言葉の1つである。なぜなら、食事というものは、相手が物質でない限り、死ぬまで必要とする行為であり、同時に、話をするに際して最適な行為であり、さらには、仕事終わりの時間からの行為としても、もっとも妥当なポッカリだからである。食事と性行為は密接に関係していると村上龍は言っていたが、デートにおける性行為は、「原則的」には、定義に含まれないので、そこまでの考察は必要がない。ただし、食事、という行為は、「同じ釜の飯を食べる」という行為であるゆえに、よりお互いの関係を近くさせるという効用があると、誰かが言っていた。ただし、蟹は避けたいものである。ご存知の通り、蟹を食べているときには、会話が成立しない。眼前の蟹の身を取るという行為に全力を使うために、口や耳のスペックが下がるからである。尚、よく言われる話だが「焼肉を一緒に食べているカップルは、すでに性交渉済みである」という謎の不文律が存在しているが、原田シンクタンクの周りの市井の方々へのヒアリングの結果、その的中率は6割程度である。ただ、確かに、あの匂いや、肉をむさぼる、箸で橋の端を走る行為というのは、何かしら隠微であることは疑いの余地がないことであろう。これからの結果から、「今度飯行こう」という文句は、非常にニュートラルで便利な言葉であることがわかる。その場合、「いい店を知ったんだ」とか「行きたい店があるんだ」とか「何なに料理好きでしょ」的な、ナンセンスながらもプライドを守った冠をつけることは、「しかるべき手段」のひとつと考えておいても損はない。ただ、その場合、自分の中に飯屋ライブラリがなければ、使いにくい点ではある。いきなり「マクド」とか「よしぎゅう」などにデートを誘う行為は、あまりにもK点超えの高等技術であり、初心者にはオススメできない。
投稿者 kaz : 16:04 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月14日
すごいデート 1

凄くニッチな市場で、
「すごいシリーズ」が人気あるので、今回もソレで。
今回は、すごいデートシリーズ。
・すごい就職活動 1
・すごい就職活動 2
・すごい就職活動 3
・すごい彼氏をつくる方法 1
・すごい彼氏をつくる方法 2
・すごい彼氏をつくる方法 3
■デートとは
デートと聞くと彼氏・彼女とのデートを思い浮かべる人が多いかも知れない。しかし、デートは彼女に限らないこともあるそうだ(色々なものからの逃げ道としての引用元を明記しない伝聞推定)。例えば、男女二人で食事をするだけで「デート」と呼ぶ人もいる。呼ばない人もいる。デートに明確な定義はない。コンセンサスとして「デート」が一般的に共通認識されている対象として、その言葉が使われる場合があるだけである。故に、食事をしたからといって、ホテルがパッケージに含まれている必要もなければ、ディズニーだからとて、デートと言う必要もない。今回は、より幅を広くとり、「異性とどこかに出かける場合」をデートと呼ぶ。同性でも構わないのだが、それに関する小生の知識は虚ろなので、あえて異性に限定する。ただ、場合によっては応用可能だろう。さらに、今回も言い訳しておくが、このように偉そうに書くということは、これは「現実としては、何もデートに役に立たない」エントリーであることを忘れてもいいが、明記しておかなくてはならないだろう。そして、デートに含まれる希望的定義としては、そのデートに「何かしらの意図」が含まれていると、よりエキサイティングでスリリングで刹那的なデートを楽しむことが出来るだろう。しかし、何の意図がなくとも「会話」=情報交換だけを目的にしたものでも、それはデートと呼んでもいい。しかし、はっきり言って、そんなのは老後に井戸端でしてくれ、ってなことを誰かが言っていた。また、デートにおいては「異性」同士ではあるが、複数でも良いと思われる。ダブルデートという言葉もあるくらいだ。女1男2だと、古典的用法だとドリカムになり、女3男3だとしかるべきして合コンになる。まぁ、しかし、やはりトイメンのサシの異性のデートが一番、一般的に流通しているデートであることは、確率の問題から言って妥当な結論のように思われる。
■相手をどうするか
さて、デートするには相手が必要である。ひとりでも構わないが、それは一般的には分裂症とか空想病とかの言葉で呼ばれる行為になりえる可能性があるので、公約数的問題から、今回は、2人ですることとする。ということで、すなわち、それは相手が必要であるという帰結が導き出される。その場合、異性だからとて、オカンでも構わない。構わないが、甚だしくどこにもたどり着かない行為であり、よしんば、そこに「何かしらの意図」が含まれていたとしても、それは今回のエントリーの範疇として手に余る。ということで、世代は特定しないが、出来れば血縁関係のない関係であることが望ましい。もちろん、妹や従兄弟のお兄さんが相手でも、これまた構わない、全肯定なのだが、色々と社会的に厄介な事情が出てくるので、今回は触れない。保身的対策である。ということで、一般的に多いデートの相手とは、プラスマイナス10歳以内の同世代の異性とのデートであろう。尚、相手が犬でも構わないし、例の如く「くわがた」でも良いのだが、それも、僕の筆力では、到底及ばない世界なので、そういう世界は、村上龍とか町田康先生に任せることにしたいと思う。あと、さらに言えば、「ダッチワイフのキヨコちゃんはアカンのか、ゴルァ」と怒られる時のために、そのような「物質」相手の可能性も言及しておくと、それはそれでいいんじゃないかと思う。しかも、遊園地だと入場料が1人分で済むし、飯も食わないでの、尚更効率的である。地球に優しい観点からも推奨しても良いとは思う。ただし、様々な法律的問題(権利は1個人に属する)から考え、起こり得るべき問題に対する覚悟は必要ではあるだろう。
■デートの時間
デートするということは、「動詞」であるために、必然的に時間を要する。時間を必要としない他動詞は存在しない(多分)。ということで、時間を決めなければいけない。一般論で言うと、デートは、夜が多い。なぜなら、社会人は、日本の貴重な資源であり、大きな人口比率を占めるため、彼らが昼は仕事をしている傾向が強いからだ。もっとも、夜中のお仕事の方々にとっては早朝までのデートなども存在するだろう。タクシーの運ちゃんや、看護婦さんなどは、昼間のデートでもオールOKに違いない。さらには年中発情期花びら大回転の学生さんにおいては、いつでもデートが可能な時間割であり、すなわち、ひたすら消費すべき青春の貴重なる時間は無為に過ぎ行くからこそ、そこにバリューが存在するわけである。ということで(論理的接合性なし)、デートが恋人の場合は、休日の場合もあるだろう。土日が休みの社会人が多いからだ。恋人でない場合は、ファーストステップでいきなり伊豆やディズニーに行くことは、心理学的観点から言ってすくない。そのため、消去法から、平日のディナーをご一緒に的サムシングのケースが多いのは、自明の断りであり、文句は言わせない。ただ平日とは言え、これまた肉体的制限により、週末のケースが多いというのは、「当たり前」であり、話を進ませるための適当な仮説である。つまり、「ハナキン」=「花の金曜日」=「花びらが大回転して、金が乱れ飛ぶ狂喜乱舞な曜日」=「花びらどころか、色んなビラとかヒダとか皮膚とかがビッグサンダーマウンテンして、金どころか、銀やプラチナやパールまでも乱れ縮れ混合混同し、酒池肉林の狂喜乱舞雪月花の五月雨切りにトマホークやYO!B!」なわけである(無駄に満腹でテンションが高い)。
■デートの場所
さて、デートの場所であるが、あなたが死人ならば、墓場が多いだろうし、あなたが猟師ならば、山が多いかも知れない。ラマ僧ならばチベットがロマンチックかも知れないし、あなたがカブトムシならばクワの木とかがいいかも知れない。そういうことで、個々のパーソナリティから場所は帰結すべきものではあるが、しかし、「個々」とはいえ、2人以上でするものだから、必然的に妥協点が必要となってくる。たとえ、あなたがイルカだからとて、和歌山の串本のデートが最適だとしても、相手がパンダの場合、雲南省の竹林がベストかも知れない。この場合、妥協点としては、中間地点ならば、山陰地方とか、台湾とかになってくるが、地理的中間を取る必要は必ずしもない。特に、一般論でいえば「誘われた方」に都合の良い場所にするのが、ジェントルマンとしての、投げやりな優柔不断を解決する方法である。ただし、誘った方がビジネスマンで、誘われた方が時間が無限にあるように思われる学生の身分の場合、時間的効率性から言って、誘った方の場所に寄ることもある。ということで、場所はどこだって、僕は知ったこっちゃないので、好きなところで、すれば良いと思うのだが、さりとて、都内在住の学生の「今度、飯でも食いに行こう。メキシコシティに」と言ったところで、あまりにも現実身がないどころか、着信拒否される可能性も高くなってしまう。そのため、現実的な問題としては、相手の生活地より「1時間から2時間以内の場所」が、良いだろうと思われる。とはいえ、その1時間が、コルコンドの場合は、日本からグアムくらいまで行ってしまう勢いなので、電車かバスか徒歩かタクシーなどを含めた場合が良いように思われる。蛇足だが、友人は東京から大阪間を車で2時間というガイキチの記録をたたき出したが、こういう頭の悪い数字を座標にするのは、論拠を必要とせずに、どう考えても間違っている。
投稿者 kaz : 14:30 | コメント (2) | トラックバック
2006年03月12日
12人の天才たちのエピソード 後編
※どうでもいい私信ですが、しばし家不在してまして色々失礼。
■6位 手塚治虫
彼を天才と呼ぶことに非を唱える人はいないだろう。
日本の漫画黎明期をつくった1人。
ブラックジャック、リボンの騎士、アトム、火の鳥などなどなどなど
今でも愛される作品を作り上げた。
個人的には「クロスロード」で読んだこの名言に震えた。
30分も眠ると、辛くなるから、10分で起こしてください。
生き急ぐわけではなく、すべきことをし続けた人だった。
■5位 アインシュタイン
個人的に、凄いインパクトを受けたのは、
量子理論の不確定性理論(原理)(だったよね?)を受けての
アインシュタインの言葉。
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実に対して、 アインシュタインは、「この世に、偶然的なものなどありえない」という立場だった。 そして、彼はこういう。
神は賽を振らない。 ※(賽=サイコロ)
何が凄いって、この言葉がカッコイイから凄いってわけではなく、
こう言い切れてしまうことが凄いんだと思うのですよ。
アインシュタインは、それこそ全生命を賭けて、全人生を賭けて
世界の法則を知ることにあらゆるものを費やしたんだろうと思います。
想像でしかないけれど。
その彼だからこそ、やっと言える言葉というか。
実際の問題としては、この場合はアインシュタインの考え(隠れた変数理論)が「現状では」間違っているとされている。
つまり、「不確定」なものが存在するというわけです。
しかし、それを前提にしてさえ、
アインシュタインのこの何かを信じきれる強さというものは
天才ゆえの何か見えてしまった者しか持ち得ないんだろう、と思うわけです。
彼は名言だらけの人ですが、
最近はこれが好きです。
I never think of the future - it comes soon enough.
私は未来のことなど考えない。もう、すぐそこまできているから。
■4位 筒井康隆
我らが天才「筒井康隆」大先生。
IQ180越えだとか。
で、どっかにも書きましたが、彼を評するに最適のエピソードが。
あるパーティ会場で、ワイングラスが倒れたとする。
そこで、推理作家は、なぜ、ワイングラスが倒れたかを考える。
筒井康隆は「どうして倒れたならば面白いか」を考える、というもの。
他にこんな挿話も。
小説で「排泄物」を書く必要に迫られて
彼は、自身の排泄物を皿に取り、
それをテーブルの上で割り箸を使い調べていたところ
奥さんが見て食べようとしている、気が狂った、と考え
「救急車を呼んだ」という実話。
彼の凄さに関しては、今まで何度も何度も書いてきましたが
いくら書いても、いい足りない。
彼の本を読めば、僕の説明なんて風の前の塵に同じ。
■3位 アリストテレス
アリストテレスは、万能の人という印象が。
系譜としては、ソクラテス、プラトンの流れを汲んだ哲学者なのだけど、
彼は科学などにも精通していた(記憶がある)
wikipediaによると
「天文学、気象学、動物学、植物学」や論理学、倫理学の開祖だそうな。
もっとも有名なのは、「唯野教授」の本にも出てきた
「第一動者の神の証明」。
世界には、古来より神の証明が何度も行われてきたわけだけれども、
その中でも、もっとも有名な証明の1つ。
しかも、紀元前にですよ。
彼を天才と呼ばなければ
この世には天才はいないことになってしまう。
■2位 真賀田四季
森博嗣さんの小説に出てくる天才。
僕が以前、「はてな」で、「天才の出てくる小説を教えてくれ」と聴いたら
まっさきに出てきたのがコレだった。
bk1はてな 天才が主人公(あるいは、準じた役割)の小説を教えて下さい※推理小説は除く例: ・「博士が愛した数式」 ・「アルジャーノンに花束を」 ・「グッ・・
美少女天才。
純粋なる天才。
頭が良すぎる。
物理、数学、化学などなど一般的に言われる理系の天才。
彼女が始めて登場する小説は
森さんのデビュー作でもある「すべてがFになる」
確か、18歳くらいのころに読んで、涙出るほど感動して
他人に勧めまくったのに、ことごとく拒否られた記憶があるので、
マルチに受ける小説ではないのかも知れない。
体裁は、推理小説なのだが、
もっと読み物としてのパワーが凄い。
で、この四季は、
リミッターを振り切った天才で、
その後、森さんの小説で、たまに出てきて、
最終的には「四季 四部作」で主人公となった。
(この四季四部作は最近まで読んでなかったのだが
最近、某方に進められて読んだら死ぬほどはまった)
で、これだけなら、別に面白い天才ではないのだが、
彼女にこんなエピソードがある。
彼女は、もう他の人としゃべるのを辞めてしまった、という。
なぜなら、他の人が馬鹿だからではなく
どう質問すれば、どう答えるかが全て、彼女はわかってしまうのだ。
つまり、相手のパーソナリティを瞬時に把握し、
そこから演繹される回答の可能性を全て網羅し、
トレースできるのだ。
それは物凄い考え方だと思った。
人間の思考の不安定さも閾値をマックスまで広げることで
許容しえる可能性があるのだ。
■1位 レオナルド・ダ・ヴィンチ
もうこのエントリーを書こうとしたときに
1位に来たのは、真っ先にダビンチだった。
有名なところだが、
彼には出来ないことがなかった、と言ってもいいかも知れない。
彼は「モナリザ」などの絵画やアートで有名だが
彼の本領は、そこだけに留まらない。
(芸術だけでも、絵画、彫刻、建築、土木に手を出していたとのこと)
レオナルド・ダ・ヴィンチ - Wikipediaにも詳しいが、
彼は、科学などの面でも、信じられない知識を持っていた。
そして、あくなき探究心があった。
それだけでも十分なのに
スポーツに関しても万能だったそうだ。
2メートルくらいは、ジャンプできたという嘘のような話も聞いたことがある。
レオナルドは生きていた時代より500年ほど先行していたともいわれる。
という声も、あながち嘘ではないだろう。
どこで読んだか忘れたのだが、ダビンチは
この15世紀に、「宇宙船」の絵を描いていたという。
もう、宇宙人ではないか、と思ってしまうのである。
ベタな1位で申し訳ないですが、
これはやはり外せず。
投稿者 kaz : 12:21 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月07日
12人の天才たちのエピソード 前編

世の中には、数多くの「天才」と呼ばれる人たちが居る。
とはいえ、60(億人総人口)÷A(年による偏差)÷60年(平均余命)×4,000(年の歴史)
という母数から言えば、相対的には少ないわけですが。
例えば、このような人々。
ニュートン、アインシュタイン、ジョン・ノイマン、エジソン、孔子、ガロア、ボビーフィッシャー、コペルニクス、エルデシュ、ポールホフマン、メンデル、ダーウィン、カント、ヴィトゲンシュタイン、ハイネ、カフカ、プルースト、ベートーベン、ベーブルース、グロティウス、ファインマン、バフェット、モーツァルト、ピカソ、ライス、サマーズ(ハーバード)、キュリー婦人、ゲイツ、ドストエフスキー、ベル、ピタゴラス、チャーチル、コンラート・ローレンツ、村山聖、ヴェーバー、Wディズニー、アンデルセン、ヒトラー、ジョンレノン、シュレディンガー、ハイゼンベルク、フロイト、ソクラテス、バルガスリョサ、フーコー、ホーキング、リリーフランキー、マードック、田中角栄、ライプニッツ、ケインズ、ファインマン、マックスウェル、マイケル・ファラデー、トム・クルーズ、マックスバトラ、岡本太郎、ナッシュ、湯川英樹、スピルバーグ、ペレ、チャーリー・パーカー、羽生善治、etc
あるいは、2chより。
228:世界最高のIQ(女性、著述業に従事)
200~220:シャロンストーン(200)、大前研一(216)、並
180~200:村井秀夫(元オウム真理教幹部)(180)、クリントン(182)、ゲーテ(185)並
160~180;レジー・ジャクソン(大リーガー)(160)、シュワルツコフ司令官(170)、アインシュタイン(173)並
140~160:マドンナ(140)、ヒトラー(150)、岩崎ひろみ(154)並
120~140:平均的東大生(120)、ガリレオ(125)並
100~120:平均的白人(104)、平均的極東アジア人(110)、平均的ユダヤ人(115)、平均的日本人(115)、J・F・ケネディ(119)並
~100:山下清(68)、酒鬼薔薇聖斗(70)、ブッシュ父子(97,91)並
あるいは、こちら。
1 J.S.ミル 190
2 ゲーテ 185
3 ライプニッツ 185
あと、名作「アウトサイダー」という本によると
天才とは「見えてしまう人たち」ということだそうだ。
この本は知的エキサイティングするので、個人的にはおすすめ。
ドストエフスキーとか、画家とかが色々分析される。
世界中で売れた哲学書。
ということで、12シリーズ第四弾は、「魅力的な天才たちのエピソード 12」。
天才たち、ではなく、エピソードというのが逃げ場。
おもいきり主観。いけいけ主観。どんどん主観
・2005年、原田の脳髄を刺激した小説12冊
・原田の股間を刺激した漫画12冊
・涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本
■番外 永沢さん
いやー主観すぎて恐縮ですので、一応、番外に。
村上春樹「ノルウェイの森」の影の主人公、永沢さん。
でも、彼は天才というよりも努力家っぽいけれど。
彼のセリフは全てが名言だと言って良いのですが、
別でエントリーを書くことにしませう。
■番外 河合我門(未成年)
野島伸司の三部作の1つ「未成年」の中の登場人物。
河合我門扮する東大生。
どうでもいい天才だけど、個人的には好きだった。
浜崎あゆみ演じる女の子と付き合うことになるわけですが、
試験最中に漏らしたりするハイクオリティな天才なわけですが。
その中で、
延々の長丁場の演説があるのですが、
僕は、それに濡れた若い頃。
ああ恥ずかしい若い頃。
■番外 ダリ
あまりにも好きなので、別項。
■12位 Qタランティーノ
いや、彼が天才かどうかは、かなり判断が微妙。
しかし、「ある種の天才」であることは、間違いないのではないかしらん。
映画でいうとキューブリックの方が天才肌っぽいけど、まぁ主観なのでよかろう。
自分の趣味を、あそこまで前面に打ち出して
作品をつくるのは、狂気の沙汰ではない。
一躍有名にした「パルプ・フィクション」は賛否両論だったが、
あれを理解できる人とできない人で、世代は二分されるように思う。
落あい信彦(ノビー)が、この映画を糞と言っていたが
彼は「カサブランカ」がベリーグッドであるという。
いや、カサブランカがいいのは否定しないけどね(あの歌うシーンでは泣けたし)、
それと、これとはまったくレイヤーの異なる作品ですし、と思われる。
「キルビル」が有名だが、むしろ、
初期の「レザボアドッグス」ファンが一番多いように思える。
他にも、フロムダスクティルドーンの
意味のわからないドタバタ演技(銃で穴をあけた手)や、
フォールームスの衝撃的な最後。
ジャッキーブラウンの空回り。
もう、どれをとっても天才らしい破天荒ぶり。
ナチュラル・ボーン・キラーズは忘れられガチだが
彼の原作。オリバーストーンだったけ?が監督したのを
こきおろした。
あとトゥルーロマンスの原作も名作。
岡崎京子的。
■11位 夏目漱石
前にsunnyと文学談義をしていて
やはり「夏目漱石」は凄い、という話で盛り上がった。
sunny曰く
「『こころ』の文章には、技巧やテクニックを使おうという意図がないのに
文章が物凄く素晴らしい」という話で、
「ああ、確かに」と思ったわけですが。
そこで思い出したのが有名な
「夢十夜」の1つのエピソード。
彫刻家の運慶が、仁王の像を刻んでいた。
若い男が、「無造作に彫っているのに、たいしたものだね」というと、
「いや、違う」と答える。
運慶は、自分のセンスで彫っているのではない。
最初から仁王様は木の中に埋まっているのだ。
それを、運慶は掘り出しているだけなのだ、と。
なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない
夏目漱石の文章とは、まさにそのようなものなのです。
そこに、すでに物語が存在していて
彼はそれを掘り出している。
それが夏目漱石の凄さだなぁ、と思うわけです。
そして「則天去私」という言葉。
この境地は、ある種の悟りですわなあ。
個人的には「草枕」がベスト。
■10位 李白
李白を出すなら、王維は?孟浩然は?杜甫は?という向きもあるだろうが、
主観だから仕方ない。
「望天門山」、「望廬山瀑布二首」、「洞庭湖」「月下独酌」「峨眉山月歌」
「秋浦歌」「黃鶴樓送孟浩然之廣陵」、「早發白帝城」など有名な作品も沢山。
その中でも白眉はこれ。
「山中對酌」
兩人對酌山花開
一盃一盃復一盃
我醉欲眠君且去
明朝有意抱琴來両人対酌すれば山花開く
一盃一盃復た一盃
我酔ひて眠らんと欲す君且く去れ
明朝意有らば琴を抱いて来たれ
こんなエピソードも。
晩年の李白は、当途付近の長江の采石機という場所で、月明りの下、一人舟を浮かべて大好きな酒を飲んでいました。
李白は、酒を飲んでいる内に、ふと、水面に映る月を掴んでみたくなりました。
そして、手をのばし水面の月を取ろうとして、そのまま水に落ちて死んでしまいましたそうです。
■9位 リアリティバイツのイーサンホーク
前も書いたので恐縮ですが
映画「リアリティバイツ」の役柄。
名言だらけ。
「皮肉の定義は?」とウィノラに聞かれて
「言いたいことを逆に言うこと」と即答するシーンが萌える。
あと、雑貨屋でバイトをしていてクビになるのだが、
それは店の「チョコバー」を食ったから。
その食った理由が「チョコバーは俺に借りがある」という名言。
すべからく名言。
映画の監督よりも、この役柄がイカス。
「人生とは、貝殻の中身である」
その心とは、貝殻の中身とは「Nothing」ということ。
■8位 芥川龍之介
こないだ後輩と話していて
彼女が言うには
「歴史で絶対に外せない日本の文豪は芥川龍之介だ。
彼には、代わりが決していなかった」というようなことを言っていて、
ああ、確かに、と納得した覚えが。
彼の著作は、もう、ハンパない発想力。
SFを超越し、時代を超えたパワー。
恍惚たる文体に、脈々たる語彙、旋律たるプロット。
もう完膚なきまでの筆力。
辞世の句というか、辞書というか、自殺した動機が
「ぼんやりとした不安」というニヒルさは天才ゆえ。
また、こんなすさまじい名言も。
好人物は何よりも先に天上の神ににたものである。
第一に歓喜を語るのによい。
第二に不平を訴えるのによい。
第三に、いてもいなくてもよい
■7位 ロバートキャパ
これも主観ばりばりなので、反論のある人も多かろう。
しかし、やはり彼は捨てがたい。
ロバートは写真家の名。
有名な写真では、スペイン内戦の「崩れ落ちる兵士」。
撃たれた瞬間の写真が、あまりにも「インパクト」がありすぎて
やらせでは、とまで言われた。
そして、ジャーナリストは人命と伝えることのどちらを優先すべきかという
永遠のテーゼを体現した。
名言は多くあるが、その中でももっとも有名な1つ
「君がいい写真を取れないのは、半歩踏み込みが足りないからだ」
は、鳥肌が立つ。さむいぼでも良い。
なぜなら、彼の恋人(パートナー)は、
スペイン内戦で、戦車に踏まれて死んでいるのだ。
それを踏まえても、その言葉を言える。
もう彼を生粋ジャーナリストといわずに何をか言わん。
彼の最後は、彼らしく(というと御幣があるが)
ベトナムで、地雷を踏んで消えた。
続く
投稿者 kaz : 15:44 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月06日
肩甲骨をゆっくり伸ばすならこの旅先

さて、旅先シリーズ第三弾。
・旅の醍醐味を知るなら、この12ヶ国(都市)
・刺激を浴びるなら、この12ヶ国(都市)
ゆったりするならこの町編です。
旅行は、ゆっくりするために行く、という人もいらっしゃいませう。
いつもどおり、おもっきり主観です。
反論もあろうかとは思いますが。(チベットとか、フンザが抜けてるし。)
行ったところしかかけなかったので、申し訳ない限り。
■12位 サンタモニカ(アメリカ)
ロサンゼルスより2、3時間の距離にある小さな町。
いや、小さいと言っても大きいのですが。海沿いにあり、
おしゃれな町が並びます。ロサンゼルスは海沿いに多くの町があり、海沿いを
滑走するだけでも気持ちよいのですが、ここは遊園地までもが海沿いにあるため
景色が、それまたメランコリックで。
同居でお世話になった友人がこちらの学校に通っておられましたので、
朝よく送っておりまして、個人的感傷も多く入っております。
そういえば、「ブラピがベンチで座っていたよ」というような、のどかな風景も散見することが出来ます。
フルーツシェイクを飲みながら、サングラスをかけて歩けば
あなたはもうサンタモニカン。
■11位 ヴェニス(イタリア)
まぁ、ゆったりするなら、ということで水が重要なわけです。
ゆえに、この水の都は外せない。
某ジョジョによると「ベニスなのか、ベネチアなのかはっきりしろ!」ってな話ですが、
まぁ、Venisです。
仮面マスクの祭りでも有名です。
街中は川と町の迷路で、ど級の方向音痴の僕としては
いずくんぞ迷子にならんや、ってな按配で、ヘビイでした。
地図がまったく訳に立たない。
ちょうど、トリエンナーレがやっていて、芸術的にも素敵でした。
宿代は高いですが。
■10位 宮古島(日本)
海といえば、沖縄@日本。外せないでしょう。
近場という強さもありながらも異国情緒全開。
シーザーに、沖縄民謡、ゴーヤチャンプル、
そして、あの季節を間違ったかのような暖かさ。
東京から、関空から1本づつ直通便が出ています。
島は小さな島ですが、それでも、車がないと移動はしんどいです。
安い宿も多いので、パッカーにとっても魅力的な島。
■9位 ヘルシンキ(フィンランド)
3年前の旅行記より抜粋。
フィンランドでは、あてもなく街を周る。
大道芸が、そこかしこに見られる。
ジャグリングから、楽器、手品。
歩行者天国には、カフェと緑がならび、
その合間を縫うように、エンターテイメントが繰り広げられる。
私が欧州で感じたことの一つ、
「先進国に存在するもの」の筆頭が
大道芸であり、もう一つは性ビジネスである。
どこの国においても、大きな街には、
歩行者天国があり、そこには大道芸人がいるのである。
これは、アフリカや中東では、そこまで多くは見られなかった。
公園のベンチに座りながら、木琴が奏でるライムライトに耳を傾ける。
空には、青空が広がり、公園には、緑が広がる。
犬を散歩させる婦人がいて、新聞を読む老人がいる。
携帯を鳴らすビジネスマンが通り過ぎ、
スカートを翻しながら、お姉さんが信号を待つ。
欧州には、先進国としての「システム化された社会」が
ちゃんと機能している。
歯車が、定刻どおりに時を刻む。
電車は来る。店は開く。ネクタイを締める。
コーヒーを飲む。ミネルバの梟が飛ぶ。
そういうことだ、言うならば。
■8位 カサブランカ(モロッコ)
西アフリカを回る際に拠点となるのが。、このモロッコ。
首都はラバトなのだが、カサブランカの方が有名だったりする。
白い建物たち、そしてサハラ砂漠からの砂の風。
食事は、ツボに入った謎の美味しい料理を沢山食べた。
言語は現地語、フランス語、アラビア語が
しゃべられていたように思う。
お陰で、もめて警察に言ったときは、事情聴取が
胃腸炎になりそうなほど大変だった。
ちょうど、スペインの対岸にあるということでスペイン語が
できる警察官が1人居て、なんとかなった。
いくら、フランス語、アラビア語を勉強してきたからと言って
まだその当時は、警察相手に喧嘩できるほど語彙はなかったのだ。
(後に西アフリカや中東で散々使うはめになり、罵倒語は覚えざる得ない状況になった)
ユースホステルもあり、空港もあり、大きなホテルもある。
そういえば宿で泊まっていたら、
謎のタレント@モロッコに捕まって英語の練習をさせられた。
市場ではボールペンが盗まれた。
でも、いい町だ。
■7位 北京
「え?北京?」という向きもあろうが、北京は
なめたらいかんぜよ。
あの巨大な建物たち。整備された道。
その周りにあるまばらな自然。
そして、道を入り込めば「フートン」と呼ばれる
中国の古くからの町並み。
もう、気を抜かざるを得ない居心地のよさ。
中山公園などの有料の公園は、
沢山の緑と自然の動物がいて、
読書に最適だった。
食事は美味いし、歩いていると楽しいし。
■6位 カンクン(メキシコ)
メキシコのリゾート。
キューバに行く時の拠点でもある。
リゾートエリアは、ヒルトンだかリッツカールトンだかだらけだが、
シティエリアには、安い宿や、暖かい店が軒を連ねる。
旅行者などは、勝手にヒルトンのプールで泳いでいたりした。
海風が最高に気持ちよく、食事は安く美味い(それでも、リゾートなので少し高い)。
■5位 ポカラ(ネパール)
ネパールといえば、カトマンズかポカラ。
ポカラはレイクサイドとマウンテンサイドがある。
つまり湖がある場所か、山向けの場所がある。
インドから逃れてきた旅人たちにとっては桃源郷のような按配。
チーズケーキが、ジャーマンベーカリーで食べることが出来るのだが
卒倒しそうなほど美味い。HOTで。
自転車で町をまわり、疲れるとパイナップルシェイクで喉を潤す。
暇になれば、山を登るのも良いだろう。
チベタンの市場に行くのも良いだろう。
■4位 キーウエスト(アメリカ)
アメリカ最南端の島。
ヘミングウェイが愛した島。
島に渡るには、フロリダから永遠と続く海の上に1本だけかかる道を
快走する。島は大きい。
夕日が世界1美しい島のひとつと言っても過言ではない。
水平線に沈む夕日。
海があり、夕日があり、他に何が要るだろう?
食事は、マヒマヒというなんちゃら魚や、
キーライムパイが名産。
■3位 プーケット(タイ)
タイのほかの島の方がリゾートに適しているのは知っているのですが
まぁ、ここはプーケットで。
去年の夏の時点で、復旧は大分進んでいた。
ビーチは、パトンなどよりも少し離れたビーチがべらぼうに良かった。
タイは言うまでも日本人の口に合う食事で、
人びとも旅行者慣れをしているので、英語や日本語さえも通じる。
ホテルとビーチの往復ならば
何も言うこともない。
■2位 ハワイ(アメリカ)
買い物天国ハワイ。
海にも行こう。僕は2回行ったくせに、ビーチはいったことがないという
不届き者。
アメリカ大陸より遠いくせに、アメリカ臭は全開。
でかい人々たちに、でかい食事。でかい島に、でかい町。
ハワイアンミュージックはべたべたながらも外せない。
ピナコラーダとビーチボーイズで、あなたは即席村上春樹。
オープンのレンタカーを借りたいところ(ムスタング推奨)。
ダイアモンドヘッド、ワイキキ、DutyFree。
■1位 京都(日本)
いや、そりゃ京都でしょう。
ゆったりするならば。
四条に祇園、嵐山。
鴨川流れて
清水寺、八坂神社、三十三間堂、etcetcetc
見所は永遠に。
豆腐も美味いし、
景色も最高だし、
言葉は濡れるし、
非の打ち所がないでせう。
ただ、やはり「一見さんお断り」が町全体を覆っているような
気がしなくもない(被害妄想)ので、
通に紹介してもらうのが素敵でしたと思ったり。
投稿者 kaz : 07:09 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月05日
すごい彼氏をつくる方法 3
すごい彼氏の作り方、最終回。
・すごい彼氏をつくる方法 1
・すごい彼氏をつくる方法 2
・すごい就職活動 1
今回は、様々なテクニックについて考えてみたいと思う、と偉そうなことを書いておきながら、なんら参考にならないゴミエントリーであることを最初に言い訳しておくふりをして、あまり何も考えていないのが正解。
■男性の弱点
イメージしてほしい。貴女はどういう時に「胸キュン (c) Y.M.O」になるだろうか。それは恋をしたときだ、という人もいるだろう。しかし、同時に、こういう時もそうではないだろうか。それは、動物を見た時である。先日のアカデメディアでも「チワワ」や「動いているパンダ」を見ると、心が安らぐというコンセプトを使ってよい写真をとるというアイデアがあった。それと同じことである。つまり、貴女は、子犬を見て心をときめかすわけである。恋のソレとは違う、という向きもあるだろう。しかし、「ああ、もう、キュン」ってのは一緒なわけである(論理的整合性無視)。ということで、それは、実は男にも当てはまる。男は、一般的に甘えられることに弱い。ちょうど、昨日の飲み会で「女はベタに弱い」という話をしていたが、男もそれは例外ではない。「甘え」や「わがまま」に弱いのだ(注:しかし、ものには程度というものがある)しかし、「どう甘えて見ればよいかわからない」という人もいるかも知れない。そういう場合は、とりあえず真夏にも関わらず「イチゴパフェが食べたいー」と、人差し指で相手の肩をつつきながら、言って見よう。まず殴られるかスルーされる。あるいは、ボディタッチはどうだろう。「ねむたくなってきちゃったもごもご」とか、ほざきながら、二次会のカウンターで、甘いカクテルなんぞをいじくりながら、相手の肩に頭を預けてみればよい。しどけなさ全開、しばきたさ全開。その場合、男の回答とすれば、「いざ鎌倉へ」か「すわ一大事!」か「うぉーめんどくせー」か「So What?」、いずれにせよ早急なる回答を得ることが出来るので、リトマス紙として試してみる価値があるのではないだろうか。要はTry&Errorだと「友人が」言っていた。
■セックスは先か後か
先日、某方が投げかけてきた質問。「ねえ、女にとって付き合う前にセックスを先にしてしまうのは、あり?なし?」というような質問だった。はて、と私は一般論を考えたが、ケースバイだろう、という陳腐な結論に落ち着いた。そういう人もいれば、そういう人でない人もいる。あるいは、そういう事態もあれば、そうでない事態もある。極論してまえば、「身体の相性なんて、ノープロブレム」という菩薩のような方もいれば、「はじめに言葉があった。セックスもあった」とマタイ伝の伝道師のような人もいる。ただ、いずくんぞ男をや。周りの男の声を聴くと、「断られたら、もうそれ以降はアプローチしない」というとりあえず絶好球だけにバットを振る狩人の人や、「逆に燃える」というマゾのような、あるいはチャレンジャーな人も居た。ただ、いずれにせよ、性の関係というものはフロイト先生によると避けられないものなので、布石は必要だと「五月にある人(c)リリー先生」が言っていました。
■男の性癖
男だけが集まれば、必然と女性の話になるのは、源氏物語からの歴史である(雨夜の品定め)。ちなみに、女性が2人だと嬲る(漢字が)になり、女が輪だと輪姦(漢字が)で、半々だと合コンで、1人だとセクハラであるので要注意。で、そんなこんなで、色々ヒアリングしているわけだが、男の性癖というか好みも多種多様である。女性のソレと同じく。しかし、多分に、男のほうが単純化されているような気がしないでもない。「乳だ」と豪語する人もいれば、「指の細さ」という謎のディテールの人もいれば、「しゃべり方」というジャッジが難しい人もいれば、「乳綸だ」というリリーさんもいれば、「やさしさだ」という偽善も居れば、「性格だ」という理想論もいれば、「しわだ」というハードコアもいれば、「金だ」というMrヒモもいれば、「マゾだ」というサドもいれば、「上だ」という下もいるわけであり、一般化は不可能。悪女に惚れる人もいるわけで、それこそ、ソクラテスの妻のような悪妻がいいという人もいるわけで、それこそ、もう、あばたもえくぼ、好きなものこそ上手なれ、たで食う虫も好きづき、上づき下づき神無月。そういえば、世の中には「賢い女性」が好きな人と「馬鹿(ちょい馬鹿も含む)な女性」が好きな男性もいる、という話を先日聞いて、「ほう、そげなものか」と思ったのだが、よく考えると、それは非常に相対的なもののような気もして、まぁ、なんらそこから別の結論にはたどり着けないのに勢いで書いてしまって反省。んと、ということで、あれですよ。一般化される「男に好かれる点」というのはないので、相手の好みをリサーチ→分析→対策→オペレーションなわけですよ。
■NG
男性が好む「普遍的」な点というものはないが、逆に「男がすべからく許せない」点というのは、存在するように思う。これも、長年によるヒアリングの結果で、適当な話ではあるが。リリー先生は「臭い」のは、絶対に許せないと言っていたが、まぁ、それは別問題として、「ゆるすぎる女性」というのは、すべからく問題が発生しているように見受けられる。それは、まぁ、某サークルの言葉で言うならば「打つ」だけなら問題ないらしいということらしいですが(伝聞推定)、彼氏にするならば、ゆるいのは、往々にして問題になる可能性が多いそうである(伝聞推定)。ゆるい、というのはどういうことかというと、「頭がゆるい」という点もあれば、「性に関してゆるい」というのもあれば、「性格が、なんかふにゃふにゃしてゆるい」というケースもあるが、どれにおいても、まぁ、ゆるい感じなわけであるが、もう、あれですよ、もごもご。よくわかりません。
■ツンデレ
昨年末よりツンデレが流行った時期がありまして、まぁ、なんというか、いいんじゃないでしょうか。でも、問題は、付き合う前にツンデレという過程が入るのか、あるいは付き合ってからツンデレという状況に萌えるのか、その辺がよくわかっていないのですが、多分後者だと当たり前すぎるので、前者なのでしょう。普段は、ツンツンしておりまっせ、なわけで、でもごく特定の人にだけでれでれする、と。そのギャップが、ちょべりぐマッハゴーゴーゴーらしいです(伝聞推定)。ただ、ツンデレは振舞うものではなく、生まれるものだ、と誰かが言っていました。
■結論
結論としては、ベタなヲチで。
命短し 恋せよ乙女
紅き唇 褪せぬ間に
赤き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の 無ひものを
投稿者 kaz : 20:09 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月04日
叙述トリック
叙述トリックというものをご存知でしょうか。
「叙述トリック」という表現は、日本だけにしかない貴重な語彙です。
それゆえ、日本人としては、この言葉は必ず知っておくべきかと思います。
しかし、この言葉は、なぜ日本にしかないのでしょう。
そこには、深い謎があるのかも知れません。
タネ明かしは最後に。
さて、叙述トリックの解説。
はてなによると、
ミステリー作品において、文章の言い回しなどを用いて意図的に読者のミスリードを誘う手法。
とある。
ピンと来ない人もいるかも知れない。
本格トリックというものは、
事件を解くための
「小説の中の事実」は提示されているのに大使
叙述トリックは、
事件を解くための
「小説における構造」がトリックとなっている。
ここが詳しい。
「叙述トリック講義」 香澄 遼一
ここによると、
「読者をだますための仕掛け」とでも言えばよい。
例えば、このようなものだ。
文章の中では一人称で「奴」と表現するから、読者は男だと思い込んで読む。
そして「奴」は殺されるが、死体は女性だった。
しかし、実は「奴」は、女性だった、というトリックのような。
このようなトリックを使った本は、
比較的多い。
一時期、かなり傾倒した。
主観で述べるが
日本で、この分野の第一人者といえば
「折原一」だろう。
彼は、ほとんどの小説が、叙述トリックを利用している。
あまりにも複雑しすぎて、わけのわからなくなったものも多い。

また、海外でも数多い。
有名どころでは
ミステリの大御所、アガサクリスティの「オリエント急行の殺人
」や
同じく大御所エラリイクイーンの「Xの悲劇
」の四部作のうちの最後の作品が
確か、それだったように記憶する。
日本での有名なものは、
生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術は
「叙述トリック」とは少しずれるが、広義では、それに入る。
文章というよりも、本に物凄い仕掛けが施されていて驚愕した。
最近読んだ中では、
「ダ・ヴィンチ・コード
」や伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー
」などがそうだった。
映画で言うならば、
「シックスセンス」を思い出せば
「ああ、こういうものか」とも解かってくれるのではないでしょうか。
で、なぜこんなことを言い出したかというと、
森博嗣さんの本にちょうどそれが出ていて思い出したからである。
その中に出ていた話はこのようなものだ。
(原田が勝手にアレンジ)
ある田舎のローソンに入った。 そこで、ウーロン茶を買って、レジのねーちゃんに お金を渡すと、受け取らないという。 そして「なぜ、だめなんだ」というと、 相手は何も言わず、クビを振る。 そして、わけのわからない言葉を発する。 いくら、金を渡そうとしても受け取らない。
さて、これはどういうトリックだろうか。
慣れた人にはピンと来るだろうが、
これは、つまり「海外のローソン」の話なのである。
例えば上海の田舎にもローソンがある。
しかし、そこで日本語は通じないし
向こうがしゃべる言葉もわからない。
金を受け取ってくれなかったのは、
札が大きいからで、お釣りがないからだった。
というようなオチ。
あるいは、簡単なものも紹介されていた。
「私は宇宙人だ」という本を出したとする。
それは事実である。地球人も宇宙人だから、というトリック。
あるいは、「この階段を降りれば死ぬ」。
そして、それは事実となった。
なぜなら、人間はいつかは必ず死ぬから命題としては真、
というようなもの。
他にも、くだらない程度のものだと、
「私は、死んだ」と書いて、「私(わたし」さん」という名前の人だったり。
このような簡単なものだと、
星新一さんの「ショートショートの広場」(今は阿刀田さん編)に
数多い。
あるいは、こないだ某方がmixiの日記で書いていたので
笑った叙述トリック。
彼は結婚していて、素敵な奥様もいらっしゃる。
しかし、いきなり日記に、
「今日は人妻とセックスする」というような記述。
まぁ、単純に奥様とのセックスなのだが
確かに「人妻」ではある。
見事な、叙述トリック。
そういえば、「認知科学」の本でも、そのようなものを
読んだ気がする。
例えば、Timesの表紙に出たプロ野球選手は
その後、必ず打率が下がる、という謎がある。
そして、それは事実である。
しかし、その背景は、
「表紙に出る人」は、人気の絶頂期なのだから
その時点で、打率がとてもよいわけである。
だから、人間にはバイオリズムがある以上、
下がることも確率的には必然多くなるわけである。
あ、これは、叙述トリックとは少し違うかも知れません。
2chでのコピペだとこのようなものが。
18 名前:名無しのオプ[sage] 投稿日:2005/06/16(木) 16:45:26 ID:oK2t6NUE 「アンナカレーニナ」の上・下を買ってきて読んだ。感動した。
トルストイっていい!と思った。
ある日、本屋に行くと、中というのがあった。
あるいは、これもよく見る。
さっき、2万4千円のヘッドホンが突然壊れた。
音楽を大音量で聴き過ぎたせいか、いきなりプチッと音が出なくなった。
俺はムカついて思わずわざとテレビを床に落とした。
ズドンとテレビが床に落ちた振動を感じて俺はふと我に返った。
何やってんだ俺は。このテレビは15万もしたじゃないか。
たまたま落とした場所には布団が敷いてあって、落ちた振動は多少あったが落ちた音は全くしなかった。
たぶん壊れていないだろうと思いながらテレビの電源を入れてみた。
映像は普通に映るのだが、音が全く出なくなっていた。
最悪だ。15万円のテレビまで壊れてしまった。
それにしても今日は外が不思議なくらいに静かだ・・・
気晴らしにちょっと散歩にでも行ってみようかなぁ。
何が言いたいわけでもないエントリーですが、
だらだらと書いてみました。
で、最初の謎を、叙述トリック的に回答すると、
「叙述トリック」という言葉は日本語のため
日本にしかないのは当たり前、というのが答えでした。
つまんないですね。失礼。
つまらないものを、つまらなくなさそうに書くのも
叙述トリックかしらん。
投稿者 kaz : 16:47 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月03日
Time goes on

時間は複利計算である。
先日、血を流す、ということ。のエントリーの後半で、
時間に投資することの効用に少し触れた。
それに関して、さらに補足。
時間は複利で増えていく、ということを言いたい。
どういうことかというと、
今、貴方の睡眠時間が6時間だったとする。
それを、5時間にした場合、
1年で、365時間(+1/4=15分)増えるわけである。
しかし、実際は、それ以上であることがある。
もし、その浮いた1時間分に
「情報に関する処理・対応・アウトプット速度を向上する改良」や
より「時間の短縮化を伴う取り組み」を行った場合である。
具体的に言えば、
「速読」や「タイピング速度UP」、「速聴」「語彙の増量」
「PCのチューンナップ」など、様々考えられる。
それにより
「その1時間」で、さらに将来の「1時間」が生まれるわけである。
わかりやすく言うと、
「今日から1時間睡眠時間を減らす」とする。
その1時間で、「速読」を学ぶとする。
その速読のお陰で、「明日の読書の2時間が1時間」になったとする。
そうすると、翌日は「1時間短い睡眠」+「半分になった読書時間=1時間」の2時間が浮くことになる。
翌日は、その2時間を使って
「タイピング速度向上」を学んだとする。
その結果、
「物書きをしていた2時間が、タイピング速度向上により1時間に短縮できた」とすれば、
2日目は、
「1時間短い睡眠」+「半分になった読書時間=1時間」に加えて、
「タイピング時間が1時間減った」ということで、3時間も浮くことになるわけである。
つまり、
最初の1時間を、翌日の2時間を1時間にする方法に投資したとすれば、
n日目は、2の(n-1)乗時間浮く計算になる。
累計だと{2の(n-1)乗}{2の(n-1)乗+1}/2だったっけ?
ともあれ、365日後だと、
「37576681324381300000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 」時間。
累計
「75153362648762700000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000」時間
(Excel調べ)
つまりは
「3131390110365110000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
」日分、
さらには、
「8579150987301670000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
」年分浮くわけです。
区切りを入れると
「8,579,150,987,301,670,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000
」年。
もう謎なわけです。
1年の中に、
「8,579,150,987,301,670,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000
」分の処理時間が入っているという不思議(でも、ありうる)。
まさに、ドラゴンボールの「時の部屋=1日で1年分」
もちろん、こんな投資効率の良い方法なんてありませんが
極論すれば、そうなるわけです。
さらには、
「睡眠時間を削る」と、他の効率が落ちる、という副作用も想定できるわけで、
原則的には、計算どおりには行きません。
ただ、なんというか
時間をうまく使って、その時間に、より時間を効率的に使える方法を得れば
複利計算で、時間は増していく可能性があるということを言いたかったですのです。
とはいえ、「そんなに急いでどうなるの」という突っ込みも有名な話で、
2chでよく見かけるコピペも思い出す人もいるでしょう。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚を捕ってきた。その魚はなんとも生きがいい。 それを見たアメリカ人旅行者は、 「素晴らしい魚だね。どれくらいの時間漁をしていたの?」 と尋ねた。 すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。惜しいなあ。」 と言うと、 漁師は自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。 「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの?」 と旅行者が聞くと、漁師は 「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで 女房とシエスタ (昼寝) して、夜になったら友達と一杯やってギターを弾いて 歌をうたって・・・ ああ、これでもう一日終わりだね」 すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。 「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、君にアドバイスしよう。 いいかい、君は毎日もっと長い時間漁をするべきだ。それで余った魚は売る。お金が貯まったら 大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻3隻と 増やしていくんだ。やがて大漁船団が出来るまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。 自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃には君はこのちっぽけな村を出て メキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 君はマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮を執るんだ!」 漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」 「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」 「それから?そのときは本当に凄いことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、 「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 「それで?」 「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり子どもと遊んだり奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら 友達と一杯やってギターを弾いて歌をうたって過ごすんだ。どうだい。素晴らしいだろう!!」
とは言え、
時間を無駄に使うと逆に、デフレスパイラルに陥ることもあるわけで、
(例えば、1時間分を太るのに費やしたとすると、翌日の移動時間が、少し増える可能性がある)
まぁ、でも、はい。
ただの独り言でした。
投稿者 kaz : 16:21 | コメント (4) | トラックバック
2006年03月02日
旅の醍醐味を知るなら、この12ヶ国(都市)

旅の醍醐味を知るなら、この12ヶ国(都市)
前回は、
刺激を浴びるなら、この12ヶ国(都市)
というランキングをしました。
いわば、これは万人向け旅人のランキングです。
故に治安が比較的良い点や、常にポテンヒッツを打てる都市を選びました。
(いつ誰がいってもそれなりに楽しめる)
今回は、より玄人向け。ディープ。
つまりは、「裏:刺激を浴びるなら、この12ヶ国」的なもの。
行っても楽しめるかどうかは甚だ疑問。
その人次第。
いくタイミング、出会える人、あるいは、感性などによって
変わってします。しかし、はまりさえすれば
「旅の裏の側面」を味わえる場所を。
(政治絡みで、語るのがとても難しい都市があり、
その辺は、思うところをかけませんでしたので、
興味ある人は、またどこかで)
■12位 サンクトペテルブルク(ロシア)
ロシアは、ここしか行っていないのですが。
とりあえずピロシキは美味かった。
あと世界三大美術館のエルミタージュは良かった。
何が良いというか、なんか良かった。
ルーブルとかより人は少なかった。
あと、宮殿とかの建築物がでかい。
多い。奇麗。
共産圏の名残が色々あるように思えた。
タバコが安かった。
■11位 バマコ(マリ共和国)
マリは、ぼったくりで有名だったりするのですが。
あと、国境のエグさが有名。
さらには、ダカール(セネガル)からの2泊だかの列車が
地獄特急だった。
熱いし、砂はいりまくりだし、
水は井戸水みたいなのが拾ったペットボトルで売られているだけだし
ハイビスカス水を、ヨーヨーみたいなのに入れられているのを飲むしかなかったり
食べ物は、焼き鳥メインだし、しかも、まさに鳥を焼きました的存在だったり。
飯は米がうまかったような気がする。
ただ、かなり熱かった、時期にもよると思うけど。
見所は、バマコよりも地方の自然とか遺跡とかかなぁ。
それでも、やはりオシャレな飯屋(一食1000円とか)があったりして、
混沌とした町だった。
■10位 アジスアベバ(エチオピア)
アフリカの中でも、もっとも物価の安いの1つ。
宿が、100円しなかったりする場合もあった。
ただし、日本の戦後の刑務所独房よりもひどい感じだった。
うちっぱなしのコンクリで2畳くらいの部屋で
窓は、空いている穴という存在。
扉さえもない場合があった。
虫だらけ。
でも、もちろん良いところも沢山。
人が良かったり、独自の文化を守っていたり
遺跡があったり。
あと、珈琲の生まれた国とも言われていて
「ティーセレモニー」は一見の価値あり。
■9位 パレスチナ自治区(イスラエル)
少なくとも、物見遊山で行くところではないです。
日本では、さほど情報が入ってこない(構造的に)この地区を
実際に見ることが出来、考えさせられることがありました。
あまりに難しい問題すぎて、多くは語れない。
とりあえず人は、かなり良かった。
■8位 サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
内戦の跡が生なましい。
惨劇や銃弾の跡がそこかしこにも。
町自体は奇麗。でも、民族により分断されていたりするので、一概に言えない。
ここも、難しい問題なので、説明するのが難しい。
■7位 ギコンゴロ(ルワンダ)
チツ族フツ族の出来事があったことを跡に残す記念館がある町。
ここも簡単には語れない街。
町としては、ルワンダはフランス語と現地語しか通じないので
コミュニケーションがしんどい。
ただ、人は良い人が多かった。
道案内とかもちゃんとしてくれた。
■6位 ビーニャデルマル(チリ)
リゾート。
海が近い、町も奇麗。
日本人宿もあり、沈没多し。
アイスと魚が美味い。
みながチキンや魚をさばけるという旅人にとっての通過儀礼。
麻雀をしていた覚えがある。
あるいは、犬にかまれたのもここ。
■番外 アムステルダム(オランダ)
なぜ番外編かというと、誰でも楽しめる街ゆえに、「ディープ」的ではないので。
ただ、「裏」の世界ではあります。
そして、この国では、限定的に大麻が合法化されている都市で有名です。
マリファナは、多数の代名詞を持つ言葉です。
(cf 大麻、マリファナ、ガンジャ、ボン、葉っぱ、ハーブ、ポット、ヘンプ、カンナビス、
グラス、ウォードなどなどなど。Fuckの隠語と同じくらい数が同じそうです。
蛇足ですが、その人が呼ぶcodeによって、どこで吸っていたかが解かる傾向もあるそうな)
cafeのような場所で、普通に10ユーロ前後で煙草のように、
皆さんは買っています。
あと、「レッドディストリクト」も有名です。
飾り窓、と呼ばれるものですね
いわゆる赤線的な。吉原的な。
奇麗に言うならば遊郭地帯でしょうか。
(cf 飾り窓 - Google イメージ検索)
主に白人女性たちが赤くライトアップされた窓の向こうで、
客を待っています。客たちは、その通りを歩きながら、窓の向こうに
想いを馳せるわけです。
もっともアムスはそのような側面だけでなく、
ゴッホや印象派の美術館なども豊富です。
あとテクノも強かったかしら。
友人と夜中に外で寝ていたら3回ほど怒られました。
■番外 中東の、とあるとても暑い街
保身のために、都市名は控えさせて頂きますが、
色んな意味で、刺激的な町だった。
思わせぶりをしているわけではなく、
この都市は外せないという点を言いたかったのです。
(旅行記を送らせてもらった方々などは、大体ピンと来るかと思われ)
個人的には2位に入れたかったのだけど。
■5位 ヘラート(アフガニスタン)
カブールよりもむしろヘラートが良かった。
武装した兵士たち。
子供たちが元気。
英語できる若者が多い(他国に逃れていた時の名残)
■4位 アンマン(ヨルダン)
中東は、かなり楽しい町ばかりです。
人もいいし、治安もいいし。
その中でもアンマンは、かなり居心地がいい。
まず、イラクやイスラエルなどの国に行くときの拠点。
あるいは、南下するカイロへや、北上するイスタンへの。
宿も、有名なクリフホテルがある。
サミールという有名な従業員がいる。
イラク事件の時は、日本のテレビにも出ていた。
信じられないほどの善人。
僕が生まれてきて会った中で、
S級の善人に思えた。
食事も安いし、色々ある。
見所も沢山。夜景スポットもあり。
死海や、インディジョーンズのペトラ遺跡などもあり。
■3位 ハバナ(キューバ)
共産というものの意味。
コイーバの葉巻はマストバイ。
コッペリアのアイスクリームも有名だが、2、3時間並ばないといけない。
でも、1スクープ10円とかだったような(曖昧)。
スピードが、とてもスロウ(日本からすれば)だった。
通貨などのダブルスタンダード。
踊りという意味でのキャバレー。
治安はとてもよい。
音楽関係ではまる人が多かったような気がする。
チェゲバラ記念館は、とても感慨深い。
時間ぎりぎりに入ったのに入れてくれた受付の人もいい印象だったなぁ。
■2位 ブダペスト(ハンガリー)
ゲイ温泉が有名。
公衆浴場なのに、ゲイの方々が全員エレクトのお風呂。
日本人宿も3つある(僕がいったときは)。
石の古い町並みは、歩いているだけで楽しい。
ブダとペストの町です(実話)。
マクドもあれば、古着屋もあり、コンビニに準じたものもあり
都会な側面も。
かなり居心地が良い。
■1位 ハラレ(ジンバブエ)
大好きな町。
独裁だったので、経済破綻。
闇市や闇両替が跋扈。
ガソリンさえも一週間街の世界。
ガソリンを得るために、車の後部座席に死体を乗せる人が出た。
「じいさんが死にそうなんだ、早くガソリンをくれ」というために。
その死体を売った医者が捕まった。(ゆーき情報)
治安はかなり悪い。
メシは、ササという米のサムシングがとても美味い。
とうもろこしも最高。
楽器を習う人も多い。
ムビラなど。
僕は向かいの宿で、ひたすらゆうきとビリヤードをしていた。
(ゆうき君は、たまたま、この町で出会った同じ慶應の3年生という奇遇。
しかも二人とも休学中)
投稿者 kaz : 08:43 | コメント (5) | トラックバック
2006年03月01日
物事の中立化
漠然と思うだけなのだが
最近、物事が中立化しているような気がしないでもない。
中庸ではない。
ジャストアイデアなので、別段、
論拠があるわけでもないのですが、肌感覚として。
例えば。
例えば、「ネットで偏ったこと」を書いたとする。
その場合、他者からの批評が入り、
偏っている部分は、丸くなる余地がある。
(余地があるだけで、なるかどうかは別)
つまり、極論は、極論として言っている人以外に置いては
「それは極論ですよ」と
修正される余地が生まれている。
昔と比較するのもあれだけど
やはり、ネットというものは「誰にでも見られる可能性」があるという点で、
ひと昔前の紙メディアとは
可能性の程度において違いがある気がする。
つまり、昔だと
「極論で御座います」とチラシの裏に書いていたものが
今はオンラインになることにより、
それが修正される余地を生む。
とは言え、敢えて偏っている人は別だけど、
あくまでも「無意識で偏っている人」における場合は。
で、まぁ、それは単に卑近な例だけど、
政治ではどうかしら。
昔から、裏の業界との近接性などは言われていました。
しかし、昨今は、さらに圧力団体が強いように思えるのは
気のせいかしら。
ロビイストだけでなく、NGO、NPO、あるいはプロ市民などなど。
それらが増えてきた理由を、ざっくり考えると
昔より、メディアの量や質が変わった可能性と、
あとは余暇時間が増えた人が、増えた可能性などが
思い当たるわけですが、証拠はない。
で、それにより、政治も、常に「監視」の目があるために、
極端なことは出来ないようになってくる。
レイヤーをずらすと、
Google先生による中立化はどうでしょうか。
Google先生以外のサイト検索だと、
(例えばカテゴリー検索だけに限らず、手動のものや自動のもの)偏りは偏りとして
存在していたわけです。
んーと、なんというか、
「フィッシングサイト」的なあくどいサイトが自分で登録することも出来たし、
しかし、Google先生に代表されるアルゴリズムだと
リンク数からPVから経過時間からドメインから重みからと
様々な点で、そのサイトが持つ特徴を数値化して
客観性をもたせるわけです。
そうすると、極端なサイトは、排除されてしまうわけで御座います。
ネットで言うならば
Wikipediaもそうですね。
オンラインの辞書ですが、
みなが編集できるために、
ある言葉に偏った意味が付与されれば
それは他者により修正される。
中立化。
オープンソースとかもそうではないかしら。
極端なコードは、それがデフォになることにより
分布図の中央が、そこにずれて、
そこが中心になり、結局、中立となってしまうパラドクス。
イデオロギーとかも、
メディアの翻訳機能により、
よりわかりやすく=中立化している感じがする。
昔は、例えば共産主義を知るには、
テレビ見るのではなく、
資本論読んで、毛さんの本(修正共産)を読んで、って感じなわけですよ。
しかし、今は、そのようなメッセージは
メディアというまさしく媒体により、
「より普遍化」されてしまうわけで。
そこで、中立化が始まり、
もしかすると、それを利用しようとするイデオロギーにとっては、
そのフィードバックにより、中立化されるスパイラルが起こる可能性が。
原理主義は、流行らないのかねえ。
でも、同時に中立化が起こると同時に、
メディアの多様化や、「資金、時間的余剰」の増加による原因で、
価値観の分散化も起こっているわけで、
そこでは、より深化されるから、
そこは非常に大きな偏りにはなるような気もする。
ゆえに二極化しているという結論は
あまりにもイージーだし
So What?だからなぁ。
「中立」という言葉が悪いのかしら。
凡庸化?違うなぁ。
標準化?違うなぁ。
うーん。
まとまってないのに、ごめんなさい。





















