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2005年12月23日

ルールを決めるということ

これは、肌感覚であり、論理的なものではないのだが。

一般的に言われる「優秀な人」「仕事ができる人」「信頼できる人」などの
ポジティブ評価を多く受ける人の多くに共通するものがあるような気がする。

そのうちの1つが
「己にルールを課している」ということではないか、と思う。


例えば、資本論のマルクスはイギリス時代に
毎日、図書館に何時に行くというルールを定めていたらしいし(伝聞)、
純粋理性批判などのカントは、時間に完全にパンクチュアルだと聞いた。
(町の時計台よりも正確だったと言う)
吉田松陰も、「女には手を出さない」というルールをガチで決めていた。

最近の例では、
ソフトバンクの孫さんは、どれだけのメールにおいても原則としてレスをする
という話を聞いたことがある(人からの伝聞)。
村上春樹も毎朝、どれだけの距離を走って、そして執筆にかかるというリズムを作っている。
DIの堀さんは人と会うときは原則として新聞の切り抜きを運ぶ。
おちまさとは「否定的な意見」は絶対に言わない、という。

身近なところでは
恩師の辻先生は読書をするときは必ず平行して読むという。
GFPの大木兄は、二次会は行かないというし、
tagboatの岡さんは週に一冊の読書を義務づけているという。
そして、師匠は毎日のメルマガ(ブログ)更新を欠かさない。

このようなものは
ルール、と呼ばれるものではないかも知れない。
ある種の規制、または、システム、と呼ばれるべきかも知れない。

例えば、ライブドアの堀江さんは、毎日5000通のメール処理をするらしいが、
それにはシステム的な処理をしないと、絶対に対応しきれない。
物理的に。

コミュニティを育成するには、ある種の鉄則がある。
それは、システム化するということである。
つまり、アナログな対応では限界があるのである。
アナログというか、マルチ対応だと。
あらゆるケースを処理するスキームをつくる必要があるわけである。
それによりコミュニティの拡大における問題の幾何学的増加も処理しうるわけだ。

つまり、そういうことである。

仕事をするには、あらゆるProblemに対応しないといけないわけだが
それを、いちいち個別に対応しているときりがない。
そこで、それを適時テンプレート化し、適切なコストとパフォーマンスの計算結果により
処理していくわけである。
いわば、ある種のトヨタのかんばん方式なわけである。
(あくまでもある種であり、厳密な意味では、まったく異なる。
より正確に言えば、モジュール的対応かも知れない)

なんかの本で読んだが
平均の社長は、
4分に1回、何かを決断している
 という謎のデータがあったような気がする。

認知科学の本だったような気がするが。
ヒューリスティック関連。

で、つまりはそういうことである。
4分で、問題を解き続けるわけである。
そこには、経験則も勘も存在する。
いわば、そこには、ある種のシステムが存在するわけである。

で、そのような問題解決するための
システムを、顕在化させている具体的な何かが
ルールになるわけだ。

つまり、村上春樹であれば、
毎日、物凄い体力を使う執筆業といういうものを
スムーズに行うために、
その体力保存と意欲の安定というシステムづくりのための
ランニングと作業時間の一定化というルールを課しているわけだ。
言うならば。

なんか、書きながら
方向が大分ずれてきて
つじつまあわせの感がなくもないが、
ともあれ。

で、何が言いたいかというと、
「ルールがありますか?」ということなのである。

んと続く。

投稿者 kaz : 2005年12月23日 17:28

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コメント

ルールってこだわりに近いものがありますよねー。
おいらも、なにかルール作りたいですね。

投稿者 えがちゃん : 2005年12月25日 19:57

おお、良いと思いますよう。
でも、知らない間にルールって、できているもんなんだよねえ。

投稿者 原田 : 2005年12月26日 20:03

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