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2005年02月17日
目が覚めると、目の前に。
こばんわ。
原田です。
覚えている限りでは、
昨日、寝たのは一人で寝た。
で、今朝、目が覚めたら
彼女の顔が目の前にあった。
ぬお。
動物的反射として、
右フック(寝たまま)か、目潰しするか、
パンツ覗くか、どれにするか
脊髄がゆれたが、
出てきた回答は
「おはよう」だった。ふむ。
ぬるい自分。
チェシャ猫的世界。
なんというか、昨夜寝る直前
IMで話して、そのまま即寝して起きたら
IMの相手が、横にいたわけで
一種の瞬間移動ともいえるわけで、
激しくどうでもいいですね。
ごめんなさい。
今日は、あれだ。
水を飲んだ。
100円だったよ。
うん。
そういえばさ、
昔むかし、ジュースが100円だったときあったじゃないですか。
かなり昔だけど。
でさ、
いきなり110円に値上げされたじゃないですか。
agree?
で、そのころに論議された題して
「110円にあげるくらいなら、ジュースの容量を10円分
減らせ!」というクレームがありました。
至極もっとも。
しかし、実はそのオファーはナンセンスでした。
なーんでか?
ジュースの容量は10円分、パッケージが90円分だったから。
ふむ。
今日は、麗しのみか嬢とお話する機会があったのだが、
やはり、姫君はあれですな。
今後の日本を動かす女性ですな、と改めて実感。
なんというか、半端ない。
さて。
むごいほど眠たい。
なんというか、あれだ。
非国民的睡魔。
面白いエントリーを発見しました。ママン。
で、あ、そうだ。
そういえば、先日、シンタさんの日記でも
書かれていたが、
SYNTAX ERROR * BLOG = 脳髄の失禁
日経新聞朝刊に「デジタルと著作権」と題した林紘一郎氏*1の連載が始まった。
とのとおり、我らがハヤシ大先生の論文が乗っていた
残念ながら、林先生は初回のみだったみたいだけれど、
面白い記事だった。
去年は、先生の授業を履修していたのに
一回しか参加できなかった。
しかも、レポート作成したのに、提出日の締め切り5分前に
思い出し、忘れたという過去がある。
で、先生に詫びメール入れたのに返信くれず
社会人として、どうかと思ったけど
まあ、こっちが悪いので、何もいえない。
でも、やはりメールを返さないというのは
個人的に、非常に不愉快なことのひとつとして
あげてもいいのではなかろうかしらん。
個人的には携帯の履歴を見てコールバックしないより
たちが悪い
あ、再度、ここでもご連絡
(こういうとき、ブログって便利ね)
もし、原田がメールレスしてなかったら、再送お願いしますです。
最近、メーラーの調子がわるかったのです、とほほ。
原則最悪でも3日以内にはレスしているはずなので。
Think negative, act positive | マイクロ・テロリズムの時代
「希望格差社会」という本を読んだあと、この本で書かれているような現実がさらに進行していった場合、社会がどう変化していくかを考えてみた。
沿岸部と内陸部の給与格差が最大100倍程度も開いたという中国の内陸部各地や出稼ぎ労働者の多い地域では、そろそろ暴動がおき始めているという。香港資産運用奮闘記さんのところでもこの話が地図入りで取り上げられていた。それでは、同様な収入格差が、部分的な形ではなく、広い範囲で日本でも顕在化してきたらどうなるのだろうか。
非常に重要な指摘だと思う。
希望格差社会とは、流行語程度まで
使われている言葉だが、
いずれにせよ、これはある種の日本の未来を映し出している。
給与格差、身分格差、その先には遺伝子格差があり、
それらを貫く希望格差。
それが日本に蔓延した場合、どうなるのか。
上記のエントリーでは、マイクロテロの可能性が示唆される。
つまり、本来ならば徒党を組んで、体制への反発を行う
メカニズムが、日本の都市部では成立せず
個々が、テロルに走るという筋書きである。
確かに、そう考えると思い当たる事件は
いくらでも、脳裏をよぎる。
しかし、あまりにもしっくりくるロジックというのは
往々にして、落とし穴があるため、早急なる同意は
避けたいが、一理あるとは思う。
アメリカでは、ロビーが強いし、何より、権利団体が無数にある。
それに何より、ロールモデルという存在が、
このような希望格差へのセーフティネットとなっている。
つまり、ひとつは
「希望を持てる社会」であり、
よしんば、もてなくとも
「対抗するすべを正当な意味でもてる」社会であるということである。
日本で、対策を急務とするならば、
やはりロールモデルの確立であろう。
たとえば、低学歴でも、大成できる土壌。
母子家庭などへの十分なケア。
奨学金などの教育インフラの充足など
おそらく、いままでずっと騒がれていた問題だが、
まだ、十分に確立されているとは言いがたい。
問題は、むしろ、精神的なところにあるのかも知れない
大企業というブランドの存在は
最近でこそ、崩れてきたとは言え、
まだまだ、強く残る。
それゆえリストラや窓際の問題が
中高年の自殺ピークにまで押し上げているのだろう。
彼らも、リベンジ、つまりは転職できる余地は
十分にあっただろう。しかし、あまりにの
圧力とストレスに絶えられない。
このような中高年へのロールモデルも必要だろう。
40才からリストラされてから、成功した人々のような。
このようなロールモデルは政府とメディアが
協力すれば簡単に生成することができる。
無論、偽りだろうか、筋書き通りだろうが
何でもかまわない。
そもそも、「nation」自体が共同幻想なのだから、
その上に、何が起ころうとも無化される。
急務である。
投稿者 kaz : 2005年02月17日 23:39
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