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2005年01月27日
不可能ということを認めた先の行動
さてさて、
フィーバーフィーバー
ご指名宜しく風邪来る。
yet風邪の原田です。
しかし、だいぶまし。
しかし、ちょっと聞いてくださいよ。
今日ね、朝ね、筆記試験があったんですわ。
大学のテスト違いますねや。
就職★活動の一環ですねや。
でね、外資金融、いわく「美味しそうな名前」の銀行の
筆記がね、朝の10時とかいう
サックスな時間から、スタートしてはりましたんや。
10時ね、10時。
で、今日、起きたら10時5分前やがな。
支離滅裂やがな。
あらー。
ガン寝坊です。
しかし、無理やって。
起きられへんわ。
で、もうダルダルです。
で、まあ、その後も布団でゴロゴロゴロしていて
まじめに起きたのが16時くらい。
坂口アンゴ的ですな。
どんとこいと。
いてこましたれや。
で、その後、小姐と汐留へ
映画を見てきた。
thx!
熱は無視である。
風邪の基本スパンは3日であり
それ以上の風邪は認めない。
ガン無視した。
宇宙の基本原則、
「見えないものは、そこにない」のである。
#宇宙の端というのは認知できる範囲内が宇宙なわけで
その先は存在していても確認できないので存在しないとされる。
※実際は、けっこう熱でヘロヘロので
労わって下さい。
そして、今日、シンタさんの
日記を読んでいると、面白い引用があった。
なぜか僕が漬物の話で書いた「シニフィアン」なんていう「難しい言葉」つながりで。
マラソンの比喩が素敵だし、マンモスと愛の示唆が刺激的。
難しい言葉を使うのは、時に説明しやすいけれど
抜け落ちるところもある、ということ。
で、つい先日、亮の日記でも似た記述を見た。
下記
言葉にする段階が最も厄介でロスが大きいのは、多分個々の 言葉には”意味”と”余韻”があるからなんだと思う。認識の世界 (つまり思考の段階)では観念で捉えていたものを、一つの言葉 に収斂させる。多分それは不可能で(少なくとも小生には無理)、 文脈というものを介して何とか表現しようとする。しかし文脈とは 元々言葉の連結体であるから、言葉を重ねるに比例して元の 観念から乖離していく危険性は高くなっていくわけ。
つまり、概念と言葉(記号)は等号ではないわけで
そういう意味で、概念を記号にした瞬間、抜け落ちるものがある、
という分析。
なるほど。
それ、わかりますですね。
言語とかもそうじゃないですか。
なんというか、例えば英語で
「I appreciate you」っていうのって
日本語で表現しにくいじゃないですか。
直訳すると
「評価できる」ってわけだけど
そうじゃないよなあ、みたいな。
そういう風な一方通行の表現。
これを春樹は
記号と象徴の違いなんかで
見事に切ったわけですが。
記号は等号が成り立ち
象徴は一方通行である、みたく。
で、確かに、このもやもやした概念
つまりいわゆるところのシニフィエが
シニフィアンになったときに抜ける何か。
もちろん、これはソシュールを筆頭に
言語学、ないし記号学がガスガス
研究されているわけですが。
で、ここで言語学の大家ヴィトゲンシュタインの名文句
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
を思い出すわけです
ここで、彼が何を語りえぬものにしたかは
忘れたのですが、(畜生、申し訳ないです。でも彼の本は
エキサイティングだし、箇条書きのものもあり
読みやすいので、ありです。あり)
ここで、思い出したのは、学問の不完全さってやつです。
ちょうど、このころ
背景では、ゲーデルの不完全性定理が出され
完璧だった数学の不確実性が出されました。
で、あとは物理学。いや量子学か、でも
なんていうんでしたっけ?あの場所を特定することのできないやつ。
アインシュタインが「神はサイコロをふらない」と怒った事件が
出てきました。つまり、ある一定の条件下において
ある粒子だか分子だかの現れる場所は、計算することが出来ない、みたいな。
ユークリッド幾何学の限界の先の非ユークリッドの世界もそれですか。
で、宇宙も、ビッグバンの100万分の1秒後は計算できても、0秒が計算できないということだったり。
少しさかのぼれば、カントが、形而上学は、証明することができない
(神はいるいない、空間は限界があるない、は両方で証明できるから、
逆に証明できない)みたいなこともして。
文学では、例えば「魔の山」あたりは時間の絶対性の否定でしたし。
ともあれ、この16~18世紀あたりでは、さわがしいことになっとったわけです。
学問には限界があるのだ、と。
で、そういうのを思い出して
上記2つのエントリーを考えて
再度、現実に戻りました。
で、結局、
やはり「不可能」なことは不可能なわけだけど
さりとて、そこを目指す過程は存在するわけで
それこそ、つまり
「完璧」なんてものはないけれど
「完全(パーフェクト)」を目指す過程はあるわけで
そう考えると、
概念を表す場合に、言葉をいかに使えるかどうかの
努力っていうのは、がんばらねば、という
根性論に陥るわけで、
しかし、昔の人はよくやった、というのは
和歌の「本歌取り」である。
これは、すごい芸術だと思う
つまりたった5文字程度を引用するだけで
引用先の雰囲気とかニュアンス、イントネーションに
リバレッジを効かせることが出来る。
枕詞じゃない方ね。「こちふかば」とか。
現代なら、さしずめ
「ノルウェイの突撃兵のような彼」みたいな表現だろうか。
しかし、これは、共通のマテリアル(c 立花隆)が
あってこそ、できるわざなわけです
つまり、みなが春樹を読でいて
さらにいえばノルウェイを読んでいてこそ
つかえる方法であって、
それが出来ないと、コミュニケーションの断絶になるわけです。
で、何がいいたいかというと
共通のマテリアルは重要だよな、ということで
現代だと共通項の多いマテリアルってのは
本よりも、
「Jポップ」だとか
「テレビ番組」だとか「漫画」なわけです。
そういう意味では、ドラゴンボールとかって
共通のマテリアルとして非常に有効で
これらを利用した小説って
ありなんじゃないかと思った次第
「クリリンのことかー、と怒ったときのゴクウのように
彼は怒った。
ひでぶ、って言うんじゃないかしら。
でも、結局のところ、めぞんいっこく的世界よね」みたいな。
明日テストあるということを今思い出した
ほんまやで。
投稿者 kaz : 2005年01月27日 00:39
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コメント
共通のマテリアルとしての
ドラゴンボールサイコーです。
今のは痛かった。痛かったぞ!!と言ったときのフリーザ以上に
あの張り手は効いたとかね。
イマイチな例ですけど。
投稿者 タカムラ : 2005年01月28日 21:50
わーい
けいただー
ありがとうっ、てか見ててくれたのですね。
貴方なら、スポーツ関連のメタファーのほうが得意では? (:
投稿者 原田 : 2005年01月30日 00:03
こっそり見てました。
プロレスラーは使えそうな人多そうな気がするなぁ。
猪木とか馬場を筆頭に。
最近なんか長州力がお笑いのネタにもされているみただし。
投稿者 タカムラ : 2005年02月01日 01:51
笑
貴重な情報ありがとうございますっ。
投稿者 原田 : 2005年02月01日 03:50