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2004年12月20日

いい文章ってやつは。

人の文章に触発されることがある。
飛び切り質のいい文章に、まま、出会うことがある。

偶然であれ、必然であれ、ともあれ。

はっと、目を見開かせられる、
撞着しむるもの。

この世には、限られた数の良い文章しかないのかも
知れないとも考えたことがある。
この世に、限られた数のスフィンクスしかいないように。

そんな素敵な文章に出会えた時は
それだけで、人生が変わることもある。

実際、原田においては、過去に何度か
それほど力のある文章に出会ってきた。

今回のブログでも、言葉に関しては
既に何度かエントリーしているし、
同時、人の良い文章に感化されエントリーを書いたこともある。

思い返せば、身近な人の言葉は
やはりパワフルだったりする。

記憶にのこっているといえば
18歳の時に10歳年上の恋人からもらった
手紙だった。
もともと文章が上手いということもあったけど、
そのときにもらった黄色い10枚のエアーメール。
それは、
アメリカで孤独に生きていた原田の人生を揺り動かすほど
力があった。

「例え、あなたがどんな道を歩もうとも、時は流れ、
 原爆は落ち、世界は回る。好きな道を歩みなさい」

今でも忘れられない文章だ。

話が反れた。

ともあれ。

原田は文章が好きである。

ちょうど、たった今もIMで
よいブログを教えてもらって、読んだところだ。
かなり感銘を受けた。

言葉の共進がどれだけ出来るかってのは
かなりクリティカルなんではないか、と思う
前も書いたような気がするけれど。

いい文章っていうのは
技巧の問題だけでなく、
感性だけの問題でもなく、
なんというか、芸術なのだ。

陶芸のように、あるいは料理のように、
はたまた油絵のように、
それは、あらゆる要素が組み合わさって成立する。

良い文章ってのは、
それだけで価値がある。
世界の財産でさえ、ある。

村上春樹の最新作
「アフターダーク」
評判は散々だが、
個人的には、この中にあった
「人にはみな、それぞれの戦場がある」
という一行だけで、この本は、
買ってしかるべきの価値があると思った。

原田の書籍へのスタンスとして、
1行でいいから、一生覚えておけるべき
一行があれば、それは読んだ価値がある、
という明確な判断基準がある。

それは、例えば、ドストエフスキーの罪と罰。
僕は、この本で1行しか覚えていない
「たった7年!」というラスコリーニコフのセリフ。
僕は、この1行を覚えているだけで、
この本の価値が凝縮された心境になる。

それは例えばカントの純粋理性批判のパンクチュアルなカントの表現だったり、
ジョイスの最高傑作ユリシーズの「YES!」の一言だったり、
コクトオの「我々はどこへ行くのか」という一行であったり。

また、話がそれた。
プロットを考えないまま
一気呵成に書き上げるから、
てんで、ロジカルじゃない文章になる。
困ったものだ。

で、本件として
何か言いたいかというと、
たんに良い文章を読んだ。

涙でるくらい感動し、
IMで教えてくれた人は実際涙を流した。

涙を流させることの出来る文章は、
もう、飛び切りだと思う。

いくら控えめに言っても、
それほどの文章というのは、そうそうない。

特に主観が入らない文章。
つまり、特定の人だけに影響を与える文章ではなく、
一般的に書かれた文章で、
人を涙させることが出来たら、
それはもう、それだけで三度の飯が食える。
それほどの文章に出会えた幸福に感謝すべきだと思う。

昔、Xtadyというサイトをしていた。
最後には80人ほどのメンバーが
個々に日記を書いていた

その中では、かなり珠玉の文章もあった
玉石混合だったが、たまに、みぞおちにガゼルパンチを
打ち込むような文章があった。
感涙、ではなく、激涙的な。

春樹の言葉を借りれば
「人間は誰しも地獄を抱えて生きている」ということになるんだろう。

涙を流させる文章ってのは
おうおうにして、悲しい物語が多い。
良かれ、悪しかれでなく、傾向として。

原田は、悲劇が苦手で、
あまり書くことがない。
ただ、世の中は悲劇で溢れていて
そして、2回目以降の喜劇に溢れる。

手垢にまみれたラブソングも、
大衆迎合的なお涙頂戴文学も、
変色だらけのドキュメンタリーも、
涙する者が喜劇。

某小説家が最近、言っていた
「最近は、お涙頂戴の文学が多すぎる。
容易になける物語が多すぎる。
あれでなける者ってのは、文学に免疫がないからだ。
あんな、簡単なレトリックで涙してしまうのは馬鹿だ
シェイクスピアの時代から使い古されたプロットだよ。
今、あんなもので、涙するのは、あまりにもイージーだ」
というようなことを。

わからないでもない。
涙したいなら、「なける映画」じゃなくて、
四大悲劇を、なぜまず読まない。

なぜ、シドニイシャルダンに手を伸ばす?
浅田次郎に手を伸ばす?
もちろん、売れる者が強者である。
しかし、本当に泣かせる物語
あるいは、なかせる文章ってのは
それとは、別に存在する。


いい文章に出会えた幸福に乾杯。

投稿者 kaz : 2004年12月20日 01:39

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