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夏と雨

最近のブログ欠落をカバーするかのごとく3連発目でございます。「虹」「花火」ときたので、なんとなく「雨」。そして夏と雨。

さっこん、雨が多い。梅雨が明けたというのに、まだ雨が多い。誰かが「梅雨に入って明ける」というのはこれいかに?という記事を書いていたけれど、さもありなん。「入って明ける」のは、救助隊の仕事であろう。火事の中に人を助けに入って、そして禁断のドアを明けるのだ。あるいは、オペラ座の怪人だっていいかもしれない。

しかし、梅雨は「入って明ける」である。英語でいうならば in and openであり(直訳的にいえば。あるいはupかもしれないけど)、なんというか、ピンとこない。「in and out(LAとかで良くみかける美味しいハンバーガー屋)」ならまだしも、入って明けるのはなんぞや、という禅問答のような世界がそこには待っている。本来ならば「始まって終わる」だろう。ただ「明ける」ものは、他に「夜」がある。「夜のとばり」が降りて、そして「夜が明ける」。それはそれで何だか情緒的で悪くない。ただ、おそらく「あける」という言葉には、人が「明けた先を渇望している」というニュアンスがあるのだろう。つまり「梅雨」や「夜」というのは、人にとって忌むべき存在で(農家の人にはあれですが)、それが終わるということを、古来、人は「明ける」と表した。天照大神をも髣髴される味わい深い表現であることがわかる。

しかし夏である。

夏が良いというのは「夏だから」という簡潔かつ、何も意味を持たない常套句が時候の挨拶として使える点にあると誰かが言っていた。

個人的に、ゆーみんの歌にあった「台風がいくころは涼しくなる」という言葉が、とても印象に残っていて。つまり、夏の終わりというのは、台風の去来によって表される。あるいは、桑田佳祐は、「麦わら帽子が風に飛ばされて夏が終わる」と表現した。あるいは「一夏のアバンチュール」という死語があるように、人によっては恋が去り、あるいは、一夏の経験とよばれるように、通過儀礼を得ることによって何かしらの澱とpurenessを去らせることになるのかもしれない。

夏は少なくとも「明ける」ものではなく、去って行くものだ。それは台風と一緒に去るのか、あるいは麦わら帽子と一緒に去るのかの違いはあれど、いずれにせよ、夏は、何かと去っていく。

そして、夏が素晴らしいのは、また1年たてば戻ってくるということだ。去ったものだけの空白を残して、そして夏はまた巡り変える。何かしらの輪廻を秘めた季節がいままたそこに訪れる。


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コメント (2)

大学生:

過去のブログを見させてもらったんですけど、最近ランニングはやっておりますでしょうか?

原田:

ランニングしてますよー。最近はどうしても週1回とかになってますが(時間とれるのが日曜日夜とか)。さっきも走ってきました。芝公園を二週くらいなので、そんなに長くないですねー。

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