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2008年05月 アーカイブ

2008年05月06日

石よ。嗚呼、石よ。

たまに無機物になりたくなる。

たとえば石。ifもしも、の世界ではないけれど。

あの静寂性には、何かしら心を揺さぶられるものがある。寡黙でハードボイルドなガイだ。

やはり町中にある石よりも、人気の少ない山などにある石がいい。海も好きだけど海にある石は、なんだか苔と共存している分、ずるい気がする。もちろん山にあるそれも例外ではないけれど印象論としていうならば。苔むすまでの石という悠久の年月にはロマンがあるけれど、でも、やっぱり凛と孤高を感じさせるスタンドアロンの石の方が、なんだか心を引かれる。

石はいい。

石は何も言わないのがいい。でも、何かじっくり考えている雰囲気を持っているのが哀愁を感じさせる。路傍の石を思い出すまでもなく。

石をペットにする話を聞いたって、そんなに驚かない。あの無骨さは、犬や猫が持ち得ないアウラを感じさせる。しかもタフだ。弱音をはかないし、負けない。

ローリングするストーンズでもいいけれど、おとなしい石の方がいい気がする。ただ、これは指向性の問題であり、趣味の領域だから、それに関して反論されても、別段、上訴する予定はない。

何年存在しているかの推測さえも拒絶するような永続性。もはや永遠さえも想起させる石のその表情には、何かしら人間という存在の対にある無限の締念を感じさせる。ジョジョのカーズを思い出してみれば良い。

無限という存在は人間を否定する存在なのだ。しかし石はそれを何も言わない。ただ存在として語っている。

石に職業があるならば、やはり僧侶か哲学者であろう。あるいは漁師やコンサルタントな石もあるのかもしれないけれど、それは短期的に見たもので、いわば、なぐさみ程度のかりそめ姿であろう。短期と長期では、その定義さえも異なるのだ。つまり、漁師を1万年続けていれば、もはやそれは僧侶といっても差し支えないだろう。原田の認識で言うならば。

ストーンサークルは邪道だ。何かしら顕示欲がそこに見えて、石の存在意義を否定している気がする。石は、やはり、隠者のほうが王道だろう。もっとも万人が万人、王道の道を選んでいると、王道の道はあふれてしまうので、そう考えると確率論としては、そのような「石の格差社会」も認めざるを得ないのだろう。

いつか小説を書くことがあらば、石を主人公にしたものをかいてみたい。猫やネズミ、木などが主人公の物語は読んだことがあるけれど、石が主人公の石はあるのだろうか。ただ無機物が主人公のものはなくもない。宮部みゆきはサイフを主人公にしていたし、短編ではパンツだか車だかが主人公の物語を読んだ記憶もなくもない。

石が登場する。そして、考える。二人称や三人称ではいけない。石の思いを伝えるのはやはり一人称でないといけないだろう。その石は、自分の生まれを覚えていない。なぜならそもそも石には死がないからだ。物事は必ず対称性を必要とする。脱構築したって、そこにはフレームがある。死がない石には生もないのだ。

ゆえに、石は考える。腹も減らないし、性欲もないが、石はずっと考える。時には蹴飛ばされ、時には雨に流され、時には日照りで割られ、それでも石は分裂症になることもなる、愚直に考える。

無限というものを考える。死なないということは、そもそも生も定義しえない。この星がなくなるまで石は存在し続ける。人間の認識で言えば、それは永久(半永久)といっても差し支えないだろう。リセットさえできない石。

風景はいずれ変わることなく、ただ水か砂の世界となる。相棒もおらず、ただ一人で永久なるものに思いを馳せる。

石はしゃべらない。他者とコミュニケーションをする必要がないからだ。石は笑わない。笑ったところで永遠が減ることはないからだ。

そして石はあらゆる可能性を検討する。無限の時間があるのだから、森羅万象に大しても思いを馳せることは可能だ。無限の時間があれば、無限への帰納法的思考が可能になる。フェルマーの定理だって石にお願いすれば、すべての解を計算して証明してくれるかもしれない。もっとも永遠に大して永遠で回答はでないから証明はできないのだけれど、それでも非反証性の論理を行使すれば、いい勝負だってできるのかもしれない。

石は恋をしない。ネズミは恋をしないけれど、それよりもずっと恋をしない。革命的に恋をしない。もはや、生を否定する存在には恋など必要はない。その世界には戯曲もなければ音楽もない。死神に音楽は必要でも、石には音楽が必要がない。なぜなら耳がないからだ。

それでも石は考える。

もしも私が石ならば。

2008年05月11日

感情移入というのは特殊技能ではないかしら

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ふと思ったのだが、感情移入というのは、ある種の特殊能力ではなかろうか。

無論。ないし、勿論。人は、感情移入をする。それに多少の程度はあれ。しかし、その程度こそが問題である。たとえるならば、「お金は誰にしも必要」であるけれども、資本主義の現代を見る限り「その程度」が重要であるのと同様に。

たとえば、人は生まれながらに所与条件をもっている。たとえば人種や性別などの遺伝子レベルのものから、国籍や親の職業など後天的環境まで。これらは有る程度、客観的に見えるが、もう少し見えないもの、たとえば「空気を読む力」「音感」「IQ」などなど、有る程度、フレキシブルに変わるけれども、初期数値がある程度パラメーターとして変わったものが与えられている。

これらの中にはいかんともしがたいものもある。努力でカバーできるものもあれば、難しいものもある(代表的なものが、やはり、差別問題でよく出る人種や性別、身体障害などだろうか。ただし不可能とは言わない)。

しかし、である。この「感情移入」という特殊能力さえ持っていれば、それらの所与条件をすべてひっくり返すことができるのではないだろうか。いわば、トランプゲームの「大富豪」における「革命」のように。

どういうことか。

つまり、他者になりきってしまえばいいのである。自分以外の誰かに。ロールモデルでもいいし、近い人でもいいし、あるいは架空の人間でもいい。そうすれば、自分は空を飛べる。

昨今、二次元を対象に恋愛感情を持つという話もネットでよく見るけども、よく考えれば、それはそれでとても合理的なことではないだろうか(説明はしないけれども)。あるいは、多重人格だって、あれは合理的に(あるいは人間の防衛本能的に)生まれたという説を信じるならば、そのような「感情移入」の力は想像することができよう。

いわば、「空想」や「思い込み」という言葉で言い換えてもいいのかもしれない。もっとも、言うまでもなくこれらは度が過ぎれば、社会的い「不適格」というような烙印を押されて、周りの人から病院イキをすすめられる。しかし、人の幸せ度のようなものは、絶対的な指標でも計れるものであり、そう考えると、他者がなんといおうと、自分の世界の中で自分が自己完結して幸せならば、それはそれで、1つの生き方である。

なぜこんなことを思ったかというと、映画を見てなく人と泣かない人がいるということをふと考えたからである。で、映画を泣ける人はいいな、と思っていて。それは泣くのは「泣き虫だから」というような理由もあるのだろうけど、やはり「何かしら」に感情移入をするからという理由もあるだろう。

あるいは自分と似た境遇の話を見て、それを自分に重ねてなくということもあるかもしれない。いずれにせよ、これらは想像力がなせる業であり、いわば感情移入の力である。

そして、小説や映画、舞台、あるはあらゆる物語。それらは、あなたに別の人生を提示する。あなたが自分の人生に不満があっても、それらの他者の人生に片足を踏み入れることだって、イマジンな世界では可能なのだ。そして、その間は、少なくともあなたの中では、別の人生を生きていることとなる。

マトリクスの世界ではないけれども、脳というのは非常に深遠であり、簡単にいえば、それが「自分が体験していること」と「他者が体験したことを自分が体験したことと認識していること」の差というのは、思ったほどない可能性もある。

たとえば、ピアノを弾いている人を見ていると自分の脳のある一部が、そのピアノを弾いている人をトレースするために自分がピアノを弾いている時と同じ効を得ることができるという検証がある。

通称、ものまね細胞(ミラーニューロン)とも呼ばれるもので、これは人間のあらゆる可能性を示唆するものである。

で、うろ覚えだが、これを応用すれば「リラックスしている人」に感情移入すれば、自分もリラックスできるというような効用もあるとかないとか。下賎なたとえでいうとアダルトビデオを見て興奮するのも、このような作用(自分が体験しているかのような作用)が脳内で起こっているからという説も読んだことがある。

» 心の理論 - Wikipedia

まぁ上記間違ってるかもしれない。過去に養老孟司 さんや、河合隼雄さんにはまっていた青春の残滓であり、もう昔のことだから変わっているのかも。

いずれにせよ、つまりはそういうことである。

自分の境遇に不満があるならば、努力をするのも1つであり、同時に他者に乗り移ってしまうのももう1つである。

そして、より多くの人生を自分のものに取り込めるほうが、より人生は「多様」になるとも考えられる。せっかく生きているのに、1つの人生だけというのは、あまりにも味気ない。というか、詰まらない。もっとも、他者の人生ばかり生きていると、自分の人生が後回しになるので、それはそれで問題だけれども。

「わがことのように喜ぶ」という慣用句があるが、まさに、他者の幸せも自分の幸せと認識できれば、それはそれで世の中の幸せ総量が、幾何学的に広がってよいのかも。

というような上記の概念をサービスに落とし込もうとちょっと考えている。

よんだ本いろいろ

献本頂戴していたのに、ここ数ヶ月着手できてませんでした。一気に拝読。失礼しました。そして献本に深く御礼。

われらが豊田さんの新刊。なんと4冊目。

今回のテーマは行動(と認識)。読めばテンションがあがる系の一冊です。以下いくつかメモや気になったところ。

「計画的偶発性理論」

キャリア形成 コンセプト編 / PROMATE株式会社 技術者のキャリア形成 システムエンジニア プログラマ ネットワークエンジニア

キャリアの80%は本人も予期しない偶然の出来事によって形成されていると結論付けました。
「計画的偶発性理論」ではその偶然の出来事がキャリアの好機となる場合、その偶然を「計画された偶然の出来事」と呼びます。

確かに、これは自分を思い返しても、納得する点が多いような。

あと「留学をしたかったのにできなかった」という人のエピソードがありますが、これも、確かに。周りでも、「海外にいきたい」という声はよく聞いていて。

で、私もきっと過去に留学していなければ、そう思っていただろうなぁ、と。実際、高校3年の時に思い立った時は、翌週に出かけていたからなぁ。学校を2週間だか3週間だか休んで。先生に「俺は何も聞かなかったことにする」といわれ。それがきっかけで卒業後はアメリカへ。まぁ、色々ありましたが良い思い出でございます。何が良いというと、一番良いのは「留学したこと」というトートロジー的よさなのだけれど。

またエピソードでチュニジアの話があります。豊田さんがチュニジアで人と待ち合わせたエピソードが。

で、私もまさしくチュニジアで人と待ち合わせた思い出が!実際は、イタリアのローマのはずだったのだけど、相手がまだチュニジアにいて。仕方がないので、ローマからチュニスに向かって。シチリアから1日、船で向かいましたですよ。

でも、チュニスの現地につくと、待ち合わせた宿で相手がいない。その宿もひどくて、客が僕だけで昼間は鍵がかかっているというすさまじいロックな宿。そして夜まで待って空けても誰もいない。

どうでもいいけど、ここの国の電車はドアが閉まらないという、これまたハードなロックな乗り物だった。

仕方ないので、そのまま船で戻ると、間違った船に乗ってしまい、なぜかマルタ島で。ここでも事件だったのだけどどこかで書いた記憶があるので割愛。

そして、ジェノバでメールをチェックすると、相手からメールが。「どこ!今、○○」とチュニジアの奥地からメール。なんと、スターウォーズの舞台を見に行っていたとか。

アチャーと思いながら、ヴェニスを経由してローマに戻ったのだけど、暇だからナポリへ。ナポリでまっていたら「ローマについたよ!」という驚きのメール(もっともこの最初の待ち合わせから一週間くらい経っている)。

そして、まぁローマで無事に落ち合うことができたのだけど、まぁ大変だった。チュニジアは鬼門。現地人と仲良くなったら「日本のビザくれ」と無茶な、これまたロークな頼みごとされたし。

まぁそんなことを思い出しました。

本自体では豊田さんのエキサイティングなエピソードてんこもりで、それが読んでいるだけで楽しい。やっぱり、このような実際の話はどれもこれも愉快です(バイトの話、カヤックの話、旅の話、仕事の話などなど)。

実際、豊田さんの行動力を何度か拝見している私としては、実際のほうがさらにパワフルでないかなぁ、とかお世辞ぬきで思ったりもするのだけども、いずれにせよ行動力なお方です。

ちなみに、原田もちょこっとエピソードで登場させてもらって、恐縮でございます。

なぜかパッカーに戻りたくなった一冊でしたとさ。

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Webプランナーには欠かせない一冊。必要な情報がわかりやすく、同時にコンパクトにまとまっていてかなり便利。

特に絵や図がうまく活用されているので理解しやすい。ただプランナーというよりも、Webの戦略と実行をする人全般的に有用な気もします。個人的にはインタビューの箇所が特に参考になりました。

あと、SNSやソーシャルメディアに関しても解説されているので個人的にその辺りは改めて勉強になった次第。

「みんなの知識」をビジネスにする
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今後のWebトレンドを考えるに参考になる一冊。概念や哲学が包括的に展開されているのではなく、6者との対話から手探りで概念を掘り出しているので、そのアプローチが逆にわかりやすい。

ただボランティアな精神をマネタイズという箇所があるのですが、そこは少し違うような気がしていて。いや、多分、このボランティアという言葉が私をミスリードさせるだけかもしれないのだけど、ネットではやはり価値のシフトは明らかにおこっていて。正確にいうと古来よりあったものだけど、それがより顕在化、集約化、構造化されやすくなっているために見えやすくなってきていて。それの概念というのはボランティアというものとは少し違う、もう少し泥臭くてなまくざいようなものの気もする。

この「おもてなし」の概念は最近、よく見かけていますが、前半はそのような話。Appleが中心。ただスタバの例はどちらかというと少し違うような気がしないでもないけど些事だから良いか。スタバは環境というものに力点を置いたのであって、それも確か副次的な戦略としておいたものであるような記憶があるけど、まぁ、いずれにせよ、それも含めておもてなしなのかもしれない。

いずれにせよ中島さんのキャリアは非常に刺激的。それだけでも読む価値あり。

以下、メモ。

「床屋の満足」理論:メーカーがユーザに提供する逆方向に作用する配慮のこと

2chがdat落ちさせるのはインフラコストの理由から。広告をつけるとまかなえるが、広告は下方硬直性が低いのでランニングコストがそのままリスクになる。なるほど。

VCからお金を調達できるのは、1,000社のうち6社だとか。ほー。

熟練工のクラフトマンシップ=アジャイル

サンマイクロシステムズのSUNが「スタンフォードユニバーシティネットワークの略」

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)
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ブランド国家を8年学ぶ私にとっても、参考になるデータが多い。ただ、個人的には、日本の分析でナイのソフトパワーの概念が欲しかったところだけど、それは単に自分が信奉者だからです、はい。あと、日本向け映画が増えてきたのはマーケットという意味もあるけど、背景にはアメリカ政府の意向もある程度あった時期のような気もするけどきのせいかも。

で、日本は鎖国化しているというトーンで、それへの解決策としていくつか提示され、最終的には個人よがんばれという落としどころが定石通り。でも、なぜかアメリカセントリックだし(米国にいらっしゃるから仕方ないけど)、経済という一元基準のフレーム以外は提示されていないし、日本の社会構造もさておかれているしととブランド国家論的には色々思うところがあるけれど、まぁ、でもこういう本が増えて、元気出す日本人が増えるのはいいことなのかも。

日本はこういうところの柔軟性は凄いと思っていて。たとえば「ゆとり教育」して「すぐに戻して」とやってみたり。あるいは、なんか問題おこったらとりあえず騒ぎ立てて施策を考えてみたりと(時間はかかるけど、一応、打ち手はいろいろやっている)。何より、この識字率というインテリインフラ層の厚さの強みを活かせば、こういう流れというのは変わっていくのだろうなぁとも思う(最近の政府の動きなどを見ても)。

で、おそらくここ10年は、日本はアメリカをベンチマークにして色々まねていくのだと思う。新たな税制の施行や、各種ネットの法律の緩和、あるいは再雇用インフラへの対策などなど。で、ただ、問題な「メンタル」というものだけは、仕組みや時間によって変わるわけでもないので、果たしてその変容に日本人が付いていくかどうかというのがキーな気がする。上記の柔軟性が起こるトリガーがどうなるか、という点だけど。動き始めれば早いとは思うのだけれど。政治学の定理として「経済はジャンプできるが民衆はジャンプできない」というようなものがあった気がするがそれ。

つまり、リスクをとるということをDNA的にあまり持っていないような民族性に対して、今のアジテーションは「リスクをとれ」というものが大半で、だからこそ、それこそ戦争したいとかいう反作用がひどく大きくなってしまうのではないかしら。

その辺りはまぁ時間をかけてみないとわからないけれど、テレビというマス媒体が力を持たなくなってくれば、そのようなメッセージを伝達するインフラさえも分散されてしまうので、その点はインターネットはどのような立ち居地になれるのだろうかしら。

および、以下も宜しければで御座います。


2008年05月19日

「言われた仕事はやるな! 」の言葉に秘められたもの+プレゼント

つい先日上場されたネットイヤーグループ石黒様より献本頂戴しました。

無理お願いしてプレゼント用にももらったので詳細は末尾にて。

言われた仕事はやるな! (朝日新書 109)
石黒 不二代
朝日新聞出版
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おすすめ度の平均: 4.0
4 情報化社会の主流の考え方になるのかも
4 yoshioo

前半が石黒氏の半生、後半が会社の組織の話。経営者として後半も気になるのだけれど、よりぐっと来たのは前半。

シリコンバレーを中心とした舞台でのイカスエピソードが色々つづられています。いくつかご紹介。

■起業

氏は、スタンフォードMBA卒業後、アドビで働くか起業するかの選択で悩んだ。そこで、こう判断。

私にとっては自分の力でコントロールできないこと=リスクである。

結果、自分で起業した。起業というのは、何かとリスキーに言われているけど、ある観点から見るとそれが、リスクが少ないという道。

これを書いている時にふと思い出したのが、新卒で入ったコンサルティング会社での研修におけるケーススタディ?的サムシング。

人気のない山奥にあなたの乗っている飛行機が墜落した。あなたは生き残った。さぁ、あなたはどうする?というような話。

この場合、大きく分けて、救助を待機するか、近くで人があるところを探しにいくかという2択。答えは、正解はないので、人によりけりですが、この場合、ベターなのは前者の方が可能性は高いという意見がでる傾向にありました。

そんなことを思い出しましたとさ。

■シリコンバレー

今は起業家製造工場のシリコンバレーだけど、さすがに1980年代まではそんな風土じゃなかった。

でも、80年代に登場した起業家たちが、新しい起業という風土と文化を創った。そして、

成功の要因と失敗の要因を学んだ新しい起業家がそれに続いた。

つまり、恐らく一握りの成功の裏には、無数の屍があることだと思われます(失敗、倒産など)。でも、それらがある種のデータベースとなり、それらを乗り越え、あるいは踏み出しとし、新しい起業家が生まれる土壌ができた、と。

なんかその新陳代謝とダイナミズムはやはり浪漫があるなぁ。それと関係しそうなのが以下。

■失敗

MBAの授業のエピソード。事業に失敗した人が授業に呼ばれ、スピーチをする。そして彼は言う。失敗はしたけれど、自分を信じている、と。続けてこう述べる。

「最後にある人を紹介しよう。彼は私よりも失敗している。もちろん君たちの誰よりも失敗している。その君たちもこれから大いに失敗するだろう。その時に彼の人生を思い出せばいい」。

そして、紹介されるのが、うんざりするほど失敗失敗失敗したある男。そして、それが実は・・・、という話。

ふと思ったのだけど、失敗というのは、どう定義されるのかしら。客観的事実により?あるいは主観により?その場合、期間は設定しなくちゃいけないですね。そして、誰にとってか、という定義も必要な気が。

よく言われるように、人生における成功か失敗かは死ぬ時点で考えるべき命題というものがあり、つまり短期の失敗は、ロングタームでは成功への礎になるということもあり、そう考えると、失敗という言葉自体がナンセンスなのかも。あるいは失敗という言葉自体が言外に「現時点で判断するならば」という条件付きなのかもしれない。もちろん、これは成功への懐疑というものも生み出す諸刃の剣なのだけど。

つまりは人生、エンドレスランということですね。合唱。

■失敗2

失敗に関する話の続き。

ある子供が運動会だかで、サッカーをする。初めてのサッカー。ある少年がゴール前にフリーでボールを得る。

そこで、彼は無人のゴールにシュートをしようとする。背後で応援する親たち。

しかし、彼は初めてのシュートということもあって空振りしてこけてしまう。しかし、そこで親たちはこう叫ぶ。

「グッドトライ」

と。

結果云々よりも挑戦することが価値がある、と。グッドトライって改めていい言葉だなぁ。

■テスト

舞台は石黒氏の学生時代。テストの前日。その時に父の方が部屋に入ってきて映画にいこうと言う。そこで石黒氏は「明日がテストだ」と返す。そこで父の方がこういう。

「2時間や3時間の勉強で結果が変わるようでどうする」

だとか。

んー、かっこいい。わたくし自身、なんか持っている時間をすべて1つのことに投下しがちで、プライベートが色々大変(洗濯物が1ヶ月分貯まったり、友人や近しい人より不義理を怒られたり)になったりもするので、この言葉は耳が痛い。

■シリコンバレー

ここではシリコンバレーの魅了が思う存分記されている。

個人的に以前いった時の記憶では「空が青かった」という印象が強い。もっともこれはLAにいた時も感じていたことだから、カリフォルニアの風土というだけなのかもしれないけれど。

恐らくこの魅力というのは住まないとある程度、わからないのだろうなぁ、など思う。単に外面だけならば、マンハッタンやアムステルダムの方がエキサイティングそうだし。ただ逆言えば、風土で言うならば、ケープタウンやビーニャデルマル、モロッコなどの方が気持ちよかった気もするし、さらに言えば、もしかすると、キガリやイスラマバードの方が住んでみると心地よいのかもしれない。

でも、やはりそれでも絶対的な魅力として、このネット業界の聖地としてのブランドはシリコンバレーは追随を許さないものであり、その意味では、シリコンバレーは独特の意味をもっている。

それはいわばパッカーにおけるカオサンやフンザの意味合いかもしれないし、あるいは、金融におけるウォールやシティや広告におけるマディソン、アニメの秋葉原のようなブランドがそこにはあるような気もする。

ふむ。

■タイトル

さてタイトルの「言われた仕事はやるな」というキャッチーでインパクトなものですが、これの意味するところは後半の組織論に記されているので割愛。

でも、最近、ちょうど聞いた話で、わたくしもお世話になっている方の話。その方は業界では有名で、力もあるという評判。

で、その方に近い人からその人の話を聞くことがあって。「あの方がとくに優れているのは、人の話を受け流せることなのよ」とのこと。

どういうことかというと、大きな組織において物事を動かすには、現場に近い人間が動かなければならないことがある。上層部は下が見えていない時があるからだ。そこで、新しいことをすると、上部からストップがかかる。

しかし、タフな方は、それを「了解しました」と聞いておきながら、聞かないところは聞かず、すべきことは推進する。だから物事が動く。

なるほど、と思った。それはリスクを見積もる力と自分の圧倒的な信念がないとできないことで、簡単には言うけど、「言われた仕事をしない」というのは、かなりヘビィなことなんじゃなかろうか、と思った(いい意味で)。この本の趣旨とは少しずれますが。

失敗しても言われたことをやっていれば言い訳がきく。しかし、違うことをやっていると成功しても、糾弾される恐れがある。

ちょうど先日、諸般の事情で見た「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」でも、アフガニスタンへの米軍介入を自分のリスクで行っちゃうハンクスオブトムが描かれているけど、やっぱりタフガイだよなぁ、とか。

歴史ってのは、往々にして新興勢力によって作られることが多いけど(宗教しかり、革命しかり、ネット業界しかり)、まぁそれはロジカルに考えれば当然なのだけど(もしそうでないとすれば、常に世界はスケールアドバンテージが働くことになって、永遠に未来は過去に勝てなくなる)、ただ、場合によっては既得権益層や保守派(わかりやすく言えば大企業)などにいる、そのようなリスクをとる人によって動かされることもあるような気がする。

なぜなら大企業な分だけ、動き始めるとリバレッジがかなり効くので。ただ普通はそのようなリスクをとっても評価されないことが多いため、なかなかそういうメカニズムは利きそうにないですね。

■そんな感じ

そんな感じで、色々この本を読んで思ったわけですが。

いち起業家として、「元気がでる本だなぁ」と思ったので、思わず、石黒さんに「プレゼント用に本下さい」と言って頂きました。ありがとうございます!

ということで、この本が欲しい方は、kazuhide@gmail.comまでメールください。でも、起業家のテンション上げに向いている本だと思ったので、起業家な方か、起業家を志す方しばりにさせてもらえると嬉しいかと思いました。10冊ほどありますが先着順にさせてください。

シリコンバレーのごとく日本も、起業家は多い方がいいのである。なぜならその分、失敗のデータベースも濃密になり、それが轍になるのだから。
(注:ブラックジョークです)。

ではでは。

===

#書評が続いてしまいましたですね。もしよろしければ、以下でも記事書いてますのでどぞ。会社用のブログです。

» アルカーナな日々

および、以下も宜しければで御座います。


2008年05月27日

食事

「何食べたい?」

「何でも良いよ」

「嫌いなものは?」

「セロリ」

「他には?」

「セロリみたいなもの」

「多分、料理にはセロリ入ってないから大丈夫だね。お肉?お魚?」

「サラダ」

「何サラダ?」

「パンチ効いたサラダ」

「洋風?和風?」

「美味しい方」

「じゃあシーザーで」

「グッドチョイス」

「角煮いいね」

「間違いない」

「他は?」

「ご飯」

「ご飯?」

「ご飯」

「エビは。エビの春巻きあるよ」

「エビは良いですね」

「しんじょうあげもあるよ」

「エビは素晴らしいですね」

「お肉は?」

「ほどほど」

「あ、これ食べよう」

「どぞどぞ」

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