
以下、激しく独り言駄文。
集合と補集合がある。そしてオンとオフがある。あるいは、要素Aとその他がある。
何の話かというと、Doの話。つまり、Doに大してはDon'tがある。これは「しない」のか「すべきではない」のかに関しては議論を要するが、いずれにせよ、人は何かをしたという時に何かをしないという選択肢を選んでいる。
これは別に哲学的なことや形而上的なことを言いたいのではなく、最近、考える仕事のリソース配分についての話。
もう少し卑近な例でいうならば。
たとえば、あなたはすごく仕事をする。とてもとても仕事をする。回りが関心するくらいに仕事をする。長時間、休みなく。
そこで周りの人は「休みも必要だよ」と言う。あるいはこういう。「オフを充実させてこそ、オンも充実するんだから」という。
あるいは疲れている人に対しては「今は休めって体が言っているんだよ、休みなよ」と。よく聞く話で、誰しもそのような言葉を1度くらいは言ったり、言われたりしたことはあるのではなかろうか。
そこで思う。それは本当なのか?と。
つまり、常に24時間、100%、オンはありえないのか?と。つまり、オフがなければオンの効果が100にならないならば、そのオフはもはやオンに属するものであり、オフではないのではないか、と思ったわけである。
つまり、オフはオンの従属関数的なものであり(逆もまたしかり)、両輪がうまくバランスが取れるというならば、オフはもはや独立した存在ではない。
そう考えると、オフのパフォーマンスを最大化するチューニングさえも必要になり、それはもはや、オフとは言い切れない。
ただ、勿論別の見方も可能である。オフの力が、オンの何かしらの要素に定数を掛けてパフォーマンスははじき出されるという形である。で、そのオフの定数は、時間や場所、することによって変わる。あるいは、時間の増加に対して、その1時間当たりの効用は反比例し隠遁するというような方程式をイメージする(恐らく二次関数的なものになるか)。そして、人によっては、そのオフの定数が1に限りなく近い。その場合は、オンとオフは独立したものと「みなす」ことができなくもない。
ただ、そうしてしまうと、「オフの効用は人によりけりだよ」という当たり前の話になって、とても詰まらない。まぁ、でも実際の話は、人によりけりどころか、時間や用途、シーンによってよりけりなのだろうけど。たとえば忙しい時に無理に映画にいくと、それ自体がストレスになるようなマイナス効用を生むことさえもあるのだから。
で、まぁ、そのようにケースバイなのは当然としても、じゃあ、逆に考えれば、「常に100%最大時速で突っ走っていて、休憩が必要ない状態」はありうるのか?という命題も検討に値する。
短期間では当然あるだろう。しかし、一般常識で考えて長期間でも成り立つのか?そりゃケースバイだから、「場合によってはYES」になるのは間違いない。で、それのいう「場合」は、どのような要素から成り立っているか、が気になっているような。
たとえば、それは作業内容や時間、期間などの客観的要因(外部要因・環境要因)だけなのか、あるいは内的要因もありえるのか。
内的要因で最たるイメージするものは「意思」である。つまり、個人の意思コントロールで「オフ」というものは必要のない状態まで持っていけるのか。もし、この要素の効用が大きいならば、人間はオフが必要のない状態を作り出せるのではないか。
もし、そうであるならば、「休憩が必要だ」「休息とらなくっちゃ」というようなエクスキューズはまさにエクスキューズでしかなく「私にはオンを続けられる意思が足りません」ということの代弁でしかなくなってしまう。
勿論、たしか実験で「ずっと作業をすると作業効率は落ちる」というデータはどこかしこにも出ていた気がする。でも、それってば「意思がなかったから落ちる」という定理の反証ではない。確かに、物理的に、あるいは人間の肉体的側面から考えて、当然ならば常にパフォーマンスを100にしているのは不可能に近い。ただ、これというのも、近いというだけで完全否定ではない。
そう考える。すると「休憩や休息の効用というのは、ある程度、自分でハンドリングできるのでは(つまりオンに対する影響を限りなく1にする)」という仮説を持ってしまい、それにチャレンジしたくなる。
そして、幸いなることに、その仮説を実証するに辺り、自分の体を利用することでできるのである。
ただ悲しきことに、その実験は個人に属すもののゆえ、「そうでなかったケース」の実証ができないために、実は立証できないという自体。
ふーむ。