« 2008年03月 | メイン | 2008年05月 »

2008年04月 アーカイブ

2008年04月04日

ドリームエクスペリエンスでキャンペーンしてます

さて、ドリームエクスペリエンス周りのご報告。

キャンペーンとブログ、エイプリルフルなどのご報告でございます。

■キャンペーン

もう4月。春ですね!ということで突然ですが、ドリームエクスペリエンス.jpでは「春のわくわく、うきうきキャンペーン」を開催中。春にふさわしい2つのドリームを無料でご提供。

・世界唯一香水

1点目は春のやわらかい匂いを生み出すことができる「オリジナル香水」。あなたのイメージに合わせてあなたのためだけの香水を調合します。



「あなたに贈る、夢のフレグランス」(2名様)

・無双名刺

そして、もう1つは新天地で頑張る社会人さんにぴったりの「クリエイティブな名刺」。こちらも、あなたのイメージからこの世で1枚のオリジナル名刺を制作いたします。



「2枚の時代」(1名様)

詳細は以下よりご覧下さいませ。

» 春のドリームキャンペーン - ドリームエクスペリエンス.jp

■ブログ

なお、ドリームエクスペリエンスブログでも、日々、夢の進捗をご報告しておりますので、もし宜しければご覧になっていただければ幸いです。

kl.jpg

↑ 西川が夢と笑顔を振りまいております。やんばらやんやんやん

たとえば「足が速くなるトレーニング」の夢をご提供くださっているオリンピック選手の山村さんのイカス動画(↓)や、以前、開催された「夢のプライベート・ライヴレポート」などのコンテンツがございますです。

■エイプリル

april.jpg

↑ オリンピクッです。

あと、先日、さりげなくエイプリルフールということで「夢のオリンピクッ出場 」という4月1日ネタをご提供させて頂きました。Yahoo!さんなどにも取り上げて頂けました。ありがとうございました。

今後とも、ドリームエクスペリエンスを何卒宜しくお願い申し上げます!

2008年04月13日

1週間早いなぁ

なんかテーマとかネタを考えている○○もなかったので、雑文。

朝はコーヒーが良いと思います。いや、コーヒーが嫌いな人はあれだけど、世の中的には、コーヒー派というのは多数派だと認識しておりますが、いかがか。朝の紅茶はなんだかパンチが効いていないのではないか。紅茶は昼間が良いと存じ上げます。やはりコーヒーのカフェインが其の差異を生んでいるのかしら。

でも、コーヒーはあれですよ。いろいろ種類があって。日本にあるだけでも、シアトル系のコーヒーから、ファーストフードのコーヒー、自宅コーヒーなどいろいろ。自宅コーヒーも、インスタントからドリップから、自分で豆をひく人だっているわけで。コンビニにも最近はやたらめったらコーヒーが幅を利かせている所存。

そういうわけで、われわれはコーヒーの時代にいきるわけでございます。さりとて、コーヒーでそんなに話をひっぱってもつまらないので、次。

んと、なんだろう。もう春ですね、そうですね。花粉症で忸怩たる思いを味わっている人が多数を占めるこのカンナノワノクニ。僕は2年だか前に手術して少しマシになったけど、それでもひどい。マスクをしている方も数多くさながら、この季節だとアレですかね。強盗とかも、マスクをつけやすくなるということを考えると、セキュリティにはより注力すべきなのでしょうか。でも、夏は夏でサングラスあるし、冬はマフラーでカモフラージュできることを考えると、秋くらいですかね。セキュリティに少し気を緩められるのは。なんて阿呆なことを言っているとイカンので、なんかもっと気の利いたことを考える。

んー、んー。

どうでも良いけど、このブログ、昔は恋愛系だとか、もう少しアダルトな話題をよく書いていて。それってば、単にその辺にニーズがあったので書いていたわけだが、やはり諸般の事情でそういうことにもいろいろ制限がかかってきて。大人になるっていうのは、そういうことなのかなぁ、とつれづれなるままに思うわけです。でも、たまにやっぱり、そういうネタを書けというありがたいお言葉を頂戴することもあり、個人的にもその辺は書いていて楽しいので、望むところなのだけれど、「大人の事情」がいろいろ複雑怪奇に絡み合っていて、そうもいかない。大人って大変ですね、そうですね(棒読み)。でも、世の中を見ても、やっぱりそういうゴシップとか、成人向けのネタってのが、基本は引き合いが強いみたいですね。そう考えると、なんと世の中はアレゲだ。と思うわけですけど、あまり、そういうどうでも良いこと書いてもしょうがないので次にいきましょうか。

最近、なんだか悪夢をよく見るんですよ、というネタフリから思いつきで初めてみる。いや、実はそんなに見ていなくて2回か3回をここ2週間くらいで見ただけなのだけど、まあ、話は基本、断定のほうが話しやすいのでそういうことで。で、今日みたのは確か「プレゼンが30分後なのにネタをなんも考えてなかった」とかいう話で。そこで、30分で仕上げようと思ったら、誰かから恋愛だか就職の相談されて、できなくて。でも、前座の人が話が長かったため僕は適当にしゃべって終了だった、という夢だった。おきて、思わずスケジュールを確認してしまったよ。これを○○的に分析するならば、まぁそういうことなんだろうと思うけれど、まぁ、あれです。がんばれワカゾーということで。

携帯メールが死ぬほどたまっていて。このブログでもしょっちゅう書いているように私は携帯メールを天敵としていて。むしろ、携帯メールフォービアとでもよんでも良いくらいのアレで。そういうことで、基本は形態メールは一週間に1度くらいまとめて返すとかそんな感じ。電車に乗っている時に返してもいいのだけど、どうも電車で携帯いじるのは風情がなくて好きではなくて本を読んでしまうから、返せない。よもやPCメールでさえも破綻している状況なのに(この場でお詫び)、いわんや携帯メールをや。でも、なんかドコモで、PCとの同期が図れるサービスがインしたそうで、それってば興味があるので、またがんばる。

どうでもいいけど、最近、ささくれがひどくて。水仕事なんてしていないのになぜかと考えてみたが、よくわからないので、検索して調べようと思ったフリをしたけど、実際はそこまで興味がなかったので調べてもいなくて、いわんや、人力検索をや、というかなんというか。

なんか、ヤマビコというキーワードが天から降ってきた。いま。光臨した。ヤマビコか。やまびこやまびこ。やまびこってあれですかね。山にしゃべるとスコーンと帰ってくるあれですかね。あんなのしたトキないよ(特攻の拓風)とも思うのですが、なんか懐かしい言葉ですね。ヤマビコ。なんか電車とかでもあるんじゃないですか。ヤマビコ。あかん。話ひろげられへん。難儀なキーワードですね。ヤマビコといえば、そうですよ。最近、なんだか回りがみんな忙しそうなんですけど、これって仕様ですかね。4月だから?11月から師走への忙し成長率をそのまま演繹したような伸び具合で、このまま夏になったらえらいこといなるんではないかとか少し思うけど。メッセの「取り込み中」率も激増して、まぁそれを眺めているだけでも、いとをかし、とか思ってみたり。なんか、メッセのよさってば、そのチャットのコミュニケーション力というよりもむしろ、ステータスやそのオンオフの存在感により暗黙のコミュニケーションのほうが価値があるような気もするのですけど、どうですかね。そうですね。ヤマビコとなんも関係なかったです。ごめんなさい。

明日はですね、朝から食パンを食べようと思っているんですけれどもね、問題は、食パンが部屋にないということなんですね。まぁ、帰り際に買えばいいのだろうけど、食べたいのは1枚であって6枚とか8枚かいう2の倍数ではないわけです。7枚ぎりがあるなら、ギリで認めてもいいけど。7の美しさには私も同意であるゆえに。で、そうなったときに、どうすべきか、というものを逡巡しているわけです。いや、実際は逡巡なんかせず、今おもいついただけなんだけどね。まるでマス目を埋めるための戯言をつぶやくことってば、なんだか冷め切った夫婦間の帳尻を合わせるように向かい合って眠る(C:チルチルミチル)ようなわけでよくないですね。そうですね。で、1枚ギリの食パンってば、それはもはや「切っていない一斤の食パン」なのか「食パンではない食べ物」なのかの答えは議論を要するようなきもしますです。それを考えると、世の中に1枚ぎりの食パンがないのは、哲学者によけいなCPUを使わせないためにも理あることなのかもしれないですね。

ああ、食パン。「食パンに何もつけず食べる」という人がいて。それはそれで、なんか、革命的だったわけです。食パンに何もつけないというのは一歩間違えばコモンセンスに反するというか、公序良俗でひっかかるというか。そういえば、オトンもそんな食べ方をしていた記憶もあるけれど、それはそれでなんというか、バイオレントな香りがする。食パンに何もつけないというのは、なんとうか、風呂にお湯を入れずに入るというようなスレッカラシのニュアンスを含むわけで、そういう人が多数派になればジャム屋さんは困るのではないか、と危惧するわけである。いや実際は危惧どころか、思いもかけていないのだけど、まぁ可能性の範囲としてそういうことは起こりうるなぁ、と思っただけでした。でもジャムはジャムだけにあらず、とも言われているので、コッペパンとかに入れたり、給食につけたりするから大丈夫なのかもしれない。

でも、実際のところ、食パンがひめたる力というのは侮れなくて。あいつはかなり良い仕事をすると思っている。まず第一に安い。1つ100円から200円とか?一斤というわけだけど。すばらしい。しかも、6枚とか入っていてボリューム満天。まさに食パンの別名が比翼連理というのも納得できるわけである。そして、何より可変性の高さ。フレキシビリティと呼んでもいいのだけれど。ジャムとも会うし、マーガリンだかバターでもあうし。そしていわくピザにもできるというわけで。もう少しパワーが欲しいなら、サンドイッチにさえもできる。そのオールマイティさや賞に値する。さらには、ミミと「その中身」という分離性。これによりですね、家に1枚の食パンしかなくても「君はミミが好きだからミミね、僕は中身(字余り」というコミュニケーションをはぐくむことができる。そう考えると、恋人との愛称は血液型や性癖というよりも、むしろ食パンの好みによって決めるのも一案ではないのだろうか。しかし、どっちの法が多いのだろうか。周りではミミ派が与党であり、権力を握っているような気がする。

そうか「人はパンで生きるにあらず」とはそういういみを含んでいたのだった。
(12分)

2008年04月20日

オンとオン

on.jpg

以下、激しく独り言駄文。

集合と補集合がある。そしてオンとオフがある。あるいは、要素Aとその他がある。

何の話かというと、Doの話。つまり、Doに大してはDon'tがある。これは「しない」のか「すべきではない」のかに関しては議論を要するが、いずれにせよ、人は何かをしたという時に何かをしないという選択肢を選んでいる。

これは別に哲学的なことや形而上的なことを言いたいのではなく、最近、考える仕事のリソース配分についての話。

もう少し卑近な例でいうならば。

たとえば、あなたはすごく仕事をする。とてもとても仕事をする。回りが関心するくらいに仕事をする。長時間、休みなく。

そこで周りの人は「休みも必要だよ」と言う。あるいはこういう。「オフを充実させてこそ、オンも充実するんだから」という。

あるいは疲れている人に対しては「今は休めって体が言っているんだよ、休みなよ」と。よく聞く話で、誰しもそのような言葉を1度くらいは言ったり、言われたりしたことはあるのではなかろうか。

そこで思う。それは本当なのか?と。

つまり、常に24時間、100%、オンはありえないのか?と。つまり、オフがなければオンの効果が100にならないならば、そのオフはもはやオンに属するものであり、オフではないのではないか、と思ったわけである。

つまり、オフはオンの従属関数的なものであり(逆もまたしかり)、両輪がうまくバランスが取れるというならば、オフはもはや独立した存在ではない。

そう考えると、オフのパフォーマンスを最大化するチューニングさえも必要になり、それはもはや、オフとは言い切れない。

ただ、勿論別の見方も可能である。オフの力が、オンの何かしらの要素に定数を掛けてパフォーマンスははじき出されるという形である。で、そのオフの定数は、時間や場所、することによって変わる。あるいは、時間の増加に対して、その1時間当たりの効用は反比例し隠遁するというような方程式をイメージする(恐らく二次関数的なものになるか)。そして、人によっては、そのオフの定数が1に限りなく近い。その場合は、オンとオフは独立したものと「みなす」ことができなくもない。

ただ、そうしてしまうと、「オフの効用は人によりけりだよ」という当たり前の話になって、とても詰まらない。まぁ、でも実際の話は、人によりけりどころか、時間や用途、シーンによってよりけりなのだろうけど。たとえば忙しい時に無理に映画にいくと、それ自体がストレスになるようなマイナス効用を生むことさえもあるのだから。

で、まぁ、そのようにケースバイなのは当然としても、じゃあ、逆に考えれば、「常に100%最大時速で突っ走っていて、休憩が必要ない状態」はありうるのか?という命題も検討に値する。

短期間では当然あるだろう。しかし、一般常識で考えて長期間でも成り立つのか?そりゃケースバイだから、「場合によってはYES」になるのは間違いない。で、それのいう「場合」は、どのような要素から成り立っているか、が気になっているような。

たとえば、それは作業内容や時間、期間などの客観的要因(外部要因・環境要因)だけなのか、あるいは内的要因もありえるのか。

内的要因で最たるイメージするものは「意思」である。つまり、個人の意思コントロールで「オフ」というものは必要のない状態まで持っていけるのか。もし、この要素の効用が大きいならば、人間はオフが必要のない状態を作り出せるのではないか。

もし、そうであるならば、「休憩が必要だ」「休息とらなくっちゃ」というようなエクスキューズはまさにエクスキューズでしかなく「私にはオンを続けられる意思が足りません」ということの代弁でしかなくなってしまう。

勿論、たしか実験で「ずっと作業をすると作業効率は落ちる」というデータはどこかしこにも出ていた気がする。でも、それってば「意思がなかったから落ちる」という定理の反証ではない。確かに、物理的に、あるいは人間の肉体的側面から考えて、当然ならば常にパフォーマンスを100にしているのは不可能に近い。ただ、これというのも、近いというだけで完全否定ではない。

そう考える。すると「休憩や休息の効用というのは、ある程度、自分でハンドリングできるのでは(つまりオンに対する影響を限りなく1にする)」という仮説を持ってしまい、それにチャレンジしたくなる。

そして、幸いなることに、その仮説を実証するに辺り、自分の体を利用することでできるのである。

ただ悲しきことに、その実験は個人に属すもののゆえ、「そうでなかったケース」の実証ができないために、実は立証できないという自体。

ふーむ。

夢を見た、というフレーズで思い出すのは

夢を見た、というキーワードで夏目漱石を思い出す人は文学的である。

夢十夜 - Wikipedia

「こんな夢を見た」という書き出しが有名。

夢を見た、というキーワードでユングを思い出す人は心理学な人である。

カール・グスタフ・ユング - Wikipedia


ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。

夢を見た、というキーワードで東京大学物語を思い出す人はマンガーな人である。

東京大学物語 - Wikipedia


物語は終盤、あっと驚く展開を見せ、その当時は多くの批判を受けた。

夢を見た、というキーワードで「目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢 」を思い出す人はシュールレアリスムである。

サルバドール・ダリ - Wikipedia

ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような超現実的世界を描いた。

夢を見た、というキーワードで「牧神の午後への前奏曲」や「夢」を思い出す人はドピュッシーである。

クロード・ドビュッシー - Wikipedia

叙情的散文(Proses lyriques 作曲者自身) - 1892~1893年

* 夢 (De rêve)

夢を見た、というキーワードで電気羊を思い出した人はエイガーな人である。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? - Wikipedia

作品の根源的な思想を、素朴な問いかけに集約したこの一言がそのまま多くのパロディを生んだ本作品の題名となっている。

と、まぁ前フリが長くなってしまったが、以外と夢と文化の絡みは深い。他にも

» Amazon.co.jp: 夢の木坂分岐点 (新潮文庫): 筒井 康隆: 本

» ドリームバスター - Wikipedia

» パプリカ (小説) - Wikipedia

はプッシュしたい。まぁ、意外でもないのか。

いや、最近の悪夢について書こうと思ったら、思わず長くなった。

最近、スコブル体調を崩していて、寝るようにしていた。そして合間合間に寝るものだから、夢をよく見た。それが、そろいもそろってオールスターで悪夢である。

ついこないだもここで書いた気がするけれど。

プレゼン失敗の夢を。

で、先日は、マムシに噛まれた夢を見た。というか、私の急所に飛びついてきたので手で捕まえたら、指を噛まれた。で、病院いったら「ああ、もう無理ですね。死にます」といわれて、びっくりした。しょうがないので、噛まれた指を毒ごと噛み切った。でも、その噛み切った指は間違った指だった、というオチ。

これはフロイト的に分析すれば、いろいろネタが作れそうな話。特に「ヘビ」は夢分析セオリー的には拳銃と並んで代表的なイコン。

別の夢。ある病院で女性と2人でいたら、いきなりテロリストが病室に入ってきて女性をさらった。そこからイキナリアクション映画になって、私がそのテロリストと戦い始めた。で、3回戦って3回逃げた。

多分、最近読んだ三国志の「七縦七禽」の話がネタ元だと思う。ただ、まぁ色々深読みしようとすればできるわけで。

で、まぁ、自分の夢を分析しても詰まらないので(少なくともこのブログで)しないけれど、夢分析は面白い。

筒井氏の影響でフロイト・ユングかぶれになった私が言うわけである。

夢というのは、まさに方程式を解くようなものである。すべての夢が何かしら分析できるという立脚点に立てば、それは、暗号を解くような楽しみ方ができる。もっとも正解はないのがもどかしいのだけれど。

そして、「予知夢」のような非科学的なことは起こりえないとしても、夢から未来を予測することは可能である(ただ本当にできるかはわからじ)。

たとえば、潜在的な自分の意思決定を取り出したり、あるいは自分が気づいていない体の悲鳴が夢に具現化され出てきたり。まぁ、よくあるエピソードですが。

で、よくある夢判断の間違いで、夢で「○○さん」が出てきたから、○○さん関連の夢と考えてしまいがちだけど、確かセオリー的には、その○○さんは何かを表象するものであり、○○さんとは関係のないものだった気がするけど、間違っていたらごめん。

たとえば父親だったら権威や規則だったり、昔の自分だったら別の選択肢だったり(解釈は無限大だけど)。

で、夢を見ないという人も間違いで、夢を覚えていないが正解で(これは有名だけど)。だから、覚えておこうと努力すれば、夢は比較的覚えておくことができる。

具体的には、枕元にノートとペンおいて、起きた瞬間に書くとか、意識して覚えておくとか。

まぁ、そうすれば、夢っていうのは、自分にとって非常にいとしい存在になってくるわけで。もっとも、この辺の夢判断も「可能性」の域を出ないのは事実。その点はご留意あれ。

つまり、せっかく見る夢を夢として終わらせるのは勿体無いのでは、と思った次第。

連絡先

esegentleman.png

関連リンク

注目エントリー

写真

www.flickr.com
This is a Flickr badge showing public photos from kazuhide. Make your own badge here.
あわせて読みたい
track feed