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写真の2つの効用と写真が上手な人の世界の違いに関して

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最近、再び、写真熱が上がりだしてきていて。ついでに久々にポラ風写真をつけてみた。

いつでもカメラを持ち歩いている。撮るチャンスはあまりないのだけど、飲み会で友達などを撮影させていただいたり。あまりに撮りすぎて顰蹙かったり。

そこで、ふと思ったのが、カメラの、ひいては写真の魅力ってなんじゃらげと思った。つまり写真には、どのような価値があるのだろうか?と考えた。

1つは言うまでもなく思い出保有装置としての媒体価値だろう。人間の記憶はあいまいで適当で忘却の定めにある。しかし写真はまじめにちゃんと「それ」を覚えていてくれる。50年前の写真でも、そして100年前の写真でも、あるべきものはずっとそこにある。たとえ色あせようとも、その存在感は変わらない。

もう1つは、日常異化効果なのかも、と思った。1点目と矛盾が生じるのだが、「カメラが撮影したそのシーン」とは、ありのままのそれではなく、写真として切り取られた一瞬でしかない。つまり、連続的な時間を分断するツールとしてシャッターが存在する。そう考えると、カメラで写し取った世界とは、現実の社会とは異なるものと捉えることも可能である。そうすれば、現実社会を異化されるものとしてカメラは存在することとなる。

村上春樹の小説の1文で、確かこのようなものがあった。「どのような陳腐な日常だって、手紙に書いてみると、とても魅力的なものに思えた」というような。(ノルウェイでヒロインに手紙を書くシーン)。カメラにもそれと同等のことが言えるのではないか。

つまり、「何気ない日常」であろうとも、カメラが介在し、写真になったその世界は、まるで「新しい日常」として生まれ変わる。つまり、革新的なルーティンとでも言うべき、世界の見え方がそこにある。

実際、写真撮影がうまい人は日常を撮影するのが上手だ、と個人的には考える。ものめずらしいものではなく、事件性のあるものではなく、素晴らしい自然でもなく、何気ない誰にでもある、どこにでもあるような日常を、彼らは、新しい見方で見ている。

たとえば、いつもと変わらない彼のポートレイトが、ある人の手にかかれば見違えるようになるように。あるいは、単にテーブルにのったいつものミルクポッドが、あたかも実在的存在として生まれ変わるように。または、道端に咲いている雑草が息吹を吹き返すように。

そのように、撮影者は、世界を違った目線で見ることができる。そう考えると、写真の良い、悪いは技術的なものよりも、「どうやって世界が見えているか」というほうが大事だと考えることもできる(もちろん技術も大切だけれど相対的なものとして)。

確かアーティストの草間弥生さんも、あんな独特な世界を作り出せるのは彼女の見ている世界が、実際そのようなものだから、という話を聞いたこともあり。また高木君によると、なんちゃらというカメラマンの写真はこれまた色彩がすごい独特だが、彼にとっての日常はそのように見えているから、だとか。ちなみにこれは以前書いたアウトサイダーたちの物の見方とも通ずるところがあるような気がしないでもない。

そう考えると、写真が上手な人というのは、世界が違う風に見えている人なのかもしれない。そんなことを思った今日この頃。

※本文と関係のない募集

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コメント (4)

今井 たってん:

 最近人気の梅佳代という女性カメラマン。彼女の写真は、はっきり言って“下手”。ピントも合ってないし、粒子も粗い。でも、「面白い」。

 彼女がある雑誌の企画で、小学生や幼稚園児に「写ルンです」を手渡して自由に写真を撮って来てもらうという試みをしていました。で、出来上がったその写真がめっぽう面白い。5歳児の少女が写す、驚異的な低アングル! 普段見えない「世界観」を提供してくれます。

 アラーキーはこう言っています。「写真とは、撮影者と対象物との『関係性』を映すもの」。「他者の撮った写真を見る」という行為はすなわち、自分自身とは異なる、他者が保有する「関係性」を学び、楽しむ行為。「自身で写真を撮り、それを見る」という行為はすなわち、自分自身と対象物との「関係性」を知る・確認する行為だと僕は解釈しています。

 そんな風に考えると、写真の良い悪い、というか好き嫌いは、「上手いか下手か」ではなく「面白いかつまらないか」に帰結するという気がしますね。


 とかなんとか、たまたま自分が撮った写真を編集していた時にこの日記を読んだので長々と書いてしまいました(笑) 申し訳ない。

原田:

わぉ。ご無沙汰しています!

情報ありがとう!梅佳代さんの写真みたー。いいなー。これ。なんだか日常なのに日常じゃない。素敵ですね。

関係性を知る行為というのは、言われて納得。確かに、「恋人を撮った写真」とそうでない写真はやっぱり違う気がします。そう考えると、人の写真をそう見るのは面白いのかも。

面白い情報をありがとうございました!

mego:

ムフフ。
うっかりこっちにもコメントを。

ってことで、いつかあたしのモデルになってくだ、さい。w

(ってことでって。?)

原田:

おお、写真撮るのは好きなのに撮られるのは嫌いな人間としては、死ぬ気でがんばります!(違

ありがとうございます!

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