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2007年09月 アーカイブ

2007年09月05日

人は見かけによらない


人は見かけによらない。それは明白たる事実でございます。しかし、その示唆するところはあまりにも多岐にわたる。

たとえば、これは「人の内面と外面は一致しない」という定理を導き出すことにはならない。可能性の問題としては「人の内面は外面に一致しないこともある」という話だけである。

確かにこれだけを見ると何のメッセージもない。つまり「人は明日死ぬこともある」といっているのと同じである。その起こる確率を明記しない限り、こんな可能性の示唆はなんの役にも立たない。

ただ、一点、ここから導き出せるメッセージがあるとするならば「人の外面と内面は常に一致することはない」という事実だけである。

しかし、それでくくるほど、この言葉が意味するものが小さいわけではないことも事実である。なぜなら、長い年月、こうしてある種の慣用句として人口に膾炙するわけであるから、それはそれで何かしらの真理がそこに含まれているのかもしれない。つまり、この言葉が長い年月という淘汰の中でも生き残っていたことには何かしらの意味を考えるのは、やぶさかな話ではない。

あるいは「人の内面と外面は常に一致することはない」という凡庸なる事実が、人の心をひきつけるのかもしれないけれど、それも可能性の域を出ない以上、上記を検討してみることは一考に値する。

たとえば先日、エスとエムの話を書いたけれど、エムっぽい人が実はエスだったり、なんていうのは上記の一例。あるいは泣き虫の人が実は踏ん張りがきいたり、勉強ができそうな涼しい人が実は勉強嫌いだったりとする事例には事欠かない。

そしてこのような「意外性」というものは時に人をひきつけてやまない。それこそ性癖でいうところのツンデレや赤ちゃんプレイなどは、その根拠となりうる破壊力を秘めている。

つまりはそれらの意外性のあまりにも高いインパクトに、人は、つい「人は見かけによらない」という語句で、それを理解しようと勤めるのではないか。つまり緩和剤としての慣用句である。

手垢にまみれた慣用句や常套文句は人間を思考停止するのに最適なツールだと、かの筒井氏は「言語姦覚」で看破した(少しニュアンス違うかも)。

つまり、たとえば人が何か救いがたい失敗をしても「魔が悪かった」という言葉ですべてをなぎ倒すことがある。あるいは「がんばっていればいいことがあるよ」という言葉は平凡な日常のエクスキューズとして使われることがある。あるいはニュースを見たまえ。「痛ましい事件です」「こんなことはあってはならない出来事です」「真摯に受け止めたいものです」などといった文句は、あらゆる悲劇のエンドロールにいつも登場し、それ以上の思考を留めてしまう。

「なぜ」を抜いた慣用句は、便利でありながらも、諸刃の剣として存在しうる。

そう考えると、そのような人間の日常におけるインパクトバッファとしての「人は見かけによらない」が存在するのではないか?

と、ここまで思いつきで書いてきて、あまりにも救いがないので、違う結論を検討。

もう1つの可能性としては「人は見かけによらない」という言葉は人はある種の祈願の言葉として口にするのではないか。

人は多様性を持つ生き物である。しかし現代においては、その「個性」が勘違いされている傾向にあると言われるという(確認はしていないので不明)。もしその仮説が事実ながら、「人とは違いたい」という人々の欲望の発露。

あるいは、「いつか変われるかもしれない」とあるかどうかわからない自分の別の性格や秘めているペルソナを夢見て、人は独白するのだ。「人は見かけによらない」と。

2007年09月12日

秋雨は夏の澱を

#以下、1粒の雨というテーマで何がどれだけ書けるか挑戦したテスト。

気が滅入るほどの雨。台風が過ぎたというに、天からは止め処ない多量の雨が重力に引きづられ地面を濡らす。

アスファルトに溢れる液体。まったくもって「散々」な天気。とはいえ、これが晴れならば「燦燦」たる天気。濁音が1つ入るだけで天気がこうも変わるとは何とも隠微。世の中も捨てたものではない。

しかしながらも天気の価値を決めるのも三軒隣の人である。どこぞも雨だからといって、その雨を嘆くのはその個人の審美眼が悪かろう。

ある人は言う。雨は街の汚れを洗い流すと。

なるほど。そう考えると、雨は夏の入道雲が運んだ陰りや淀みや澱を洗い流しているのかもしれない。いささか情緒的に過ぎるか、と思えども、雨には情緒がよく似合う。まるで季節外れの麦藁帽子に無常の言葉が似合うように。

無数ともいえるほどの不可算性を持った大量の雨を眺めていて思った。この無数への近似値性はもはや哲学的である、と。

年間、世界に振る雨粒の数を人は数えることができるのだろうか。科学がずっと、ずっと、ずっと発展すれば、それ(あるいはそれら)を数えることはできるのかしらん。そうすると、もっと雨にやさしくなれるのではないかしら、社会は。

ある嫌悪すべき対象があるならば、それを受け入れることは、そのものに心像を移しこむことである。そうして、私は空から降り注ぐ雨の1粒に思いをはせた。

天とも呼ばれる場所、高いとしか形容できない場所から落とされた一粒。もしも物に生命が宿るとすれば、それらの1粒の心境はいかなるものか。確か、雨の1粒を具現化した絵本が過去にあった気がするが。それは果たして悲劇だったか、喜劇だったか。少なくとも絵本に悲劇はなかろう。そう考えると喜劇か。

雨の1粒が愉快に滑稽に街中を闊歩する物語はいかなる喜劇を生むのだろうか。ギリシア神話のハデスの物語とどちらが重畳であるというのか。

いずれにせよ、天から地面にたたきつけられ海に帰るその液体に心を移しこむのは難儀。さりとて、その途方もない諦観。雨という定めから逃れられない者(モノ)としての疎外感と不平感は圧倒的なものがあることは比類ない。その心境を汲み取るだに、いささか雨のことが可哀想に思うようになった。慕情とも少し重なったそのセンチメンタリズムはいささか私を憂鬱にさせる。やんごとなき世の中の理の無邪気さと無防備さにただ頭をたれるのみ。

「まるで銀の針のような」と形容された雨もいまは昔。まるでコカトリスの針のような意固地さをもった雨はまだ街を包み込み続け行く。

2007年09月13日

フレッシュミーティング活用中

shoulder.gif

先日、私用で必要があり、フレッシュミーティングを導入してみた(いまさらですが)。

赤松さんのサイドフィード株式会社が提供しているメッセンジャー型Web会議システム。

すこぶる気合なメッセンジャー:フレッシュミーティング

普段は何かしらメッセンジャーを使うことは多いのだけれど、問題はいくつかあって。

1つは、相手が利用していないと話にならないという点。もう1つはログが見にくいという点。あとしいていうならばグループでやりにくいという点(Skypeは最強説があるけど)。

そのため、今回、こちらを導入させていただいた。

以前も少し使用させて頂いていたこともあるけれど、大分機能が増えている感が。現状すこぶる便利。100日プログラミングとかにどうですかね。

で、チャットルームの問題点は更新がわかりにくいというのがあったのだけど、これはポップアップもすればRSSでもチェックできたり、さらにはタスクバーで更新を知ることもできる(ゴイスー)。

[mixi] わくわく(mixi内コミュニティへのリンクでも使えそう。ファイル共有も使えるしなぁ。

ふむふむ。

ルームシェア検討中

いやね、住む場所じゃなくて荷物を置く場所を探していて。

で、やっぱりスタートアップならガレージだろ、とか思ったんだけど、日本ってガレージないのね。あってもくりびつするほど高い。5万とかする。眩暈がした。

そんなガレージ高かったらGoogle生まれないんじゃないかと思うほど、ガレージ高い。

cf 8年前、Googleはこのガレージから始まった

これは由々しき問題。

まぁそれはそれでおいておいて。で、レンタルスペースとか見ても脱腸しそう。1へーベーとかで2万3万するんですけれども。そんなもん脚立置いたらしまいのスペースなのに。

というわけで、じゃあ部屋?となるのだけど、さりとて、部屋を荷物のために借りるのも馬鹿らしい。しかも港区に決めうちして探しているのでボトムが5万。

そういうわけで、ふと思いついたのがルームシェア。というか2人じゃなくて3人とか4人が良いですよね。何かしら、そういうのには少年心を掻き立てるロマンがある。アメリカの寮時代とか思い出してひとりテンションあがった。あと隠れ家とかいう響きね。

そういうわけで、複数人でのルームシェア熱いとか思っているんだけど、誰か興味ないですかね。ジャストアイデアなので、実行に移すかは未定だけど。住む人よりも、むしろ、「すでに家もってるんだけどセカンドハウスという響きにアドレナリン」という感じの。

で、ホームズさんで調べると、こんなのがあった。

賃貸一戸建て 白金高輪駅 港区三田4丁目/賃貸ホームズ

これだと港区の2DKで13万円。しかも一軒家。4人で住めば1人3万ちょいなわけだ(4人がOKかもしらんけど)。6人だと2万ちょい。13人だと1人1万円。130人だと1人千円ですよ!

てか一軒家がいい。そこにとめどないアウラとオーラとカンパネイラを感じる。六本木のミッドタウンに行く途中のペット屋さんで売っているへこたれた犬とかが脳裏をよぎる(ここがペットOKかは知らんけど)。

というかご近所物語かなんかで出てきた倉庫だったっけ?あんなの青春じゃないですか。パルプフィクションのポスターとか張っちゃうの。

なんて妄想中。

2007年09月29日

忙しさについて考えてみた(途中で挫折)

忙しさについてふと考えることがあった。

忙しさとは善か悪か。非常に極端な命題を考えてみた。

何か抽象的なものを考えるときに極論は時に有用である。

ただし「忙しさ」の定義がここでは必要であろう。あえて定義するならば「時間が足りないと感じる心理状況」のことだろうか。もっとも物理的なタイトさと、それは非常にベン図が重なるが、それはそういうものだ。

で、まぁ、仕事で忙しいのか愛に忙しいのか家族のことで忙しいのか、によりその忙しさの種類はわけられると思うが、ここではそれは本題ではないのでおいておく。

さて、そこで再度問う。忙しさとは善か悪か。

日本では「一般的に」忙しいことは美徳だと考えられてきたように思う(主観)。論拠は肌感覚なので、強くはいえないが。もっとも最近は価値観もかわってきたので、一概にもいえない。たとえば、今までだと残業の美徳がワークスマートに代わっているようだし。

しかしながら個人的に「忙しくない状況は不安になる」という心境もある。つい、「ぼーっと」している時間を罪悪と感じてしまうことがある。

これは個人的なものなのか、ある程度、コンセンサスを得られるものかのかはわからない。

いずれにせよ、私自身の問題として「忙しさ」はそれなりに、何かしらの「ペイ」があった。

しかし、そのペイが「善」か「悪」かの判断は難しい。ここで言うならば「忙しくしていると何かしている気持ちになって、とりあえず自分を擁護できる」というものが、その忙しさの価値である。

そう考えると、まったくもって善とは言いがたい。いわばエクスキューズとしての忙しさである。

もっとも、この場合の忙しさも2種類あるので、それは一考に価する。1つは、よく言われるように「忙しいのは自分の能力の至らぬせいだ」というものだ。それはつまり、忙しくないことがベターな状況を前提として、その問題を解決できていないのは自分に落ち度があるという考え方である。

もう1つは「物理的に忙しい」といわざるをえない状況である。いくら能力があるものでも、その状況を「時間が余っている」という状況にもっていくことが想像しがたい場合に、その見方は当てはまる。ただし、そこも程度の問題なので、いわば例外事項として考えていいのかもしれない。

しかし、それでも相対的に「忙しさ」の度合いは測れるわけだから、上記の考え方は、1つのものさしとして留保しておく必要がある(つまり、外資金融は一般的に忙しいと考えられているわけだから、そうでない職業よりも、能力の問題に関係なく忙しくなる傾向が強い。ただ、これは非常に局地的な考え方ではあるが、総体で見るならば傾向は捉えることができよう)。

ということで、「忙しさの善悪」に考える場合は、上記の2パターンで考えるとする。しかし、後者の場合、考えるのは無駄である。善であろうと悪であろうと忙しいのである。そして実は前者にもそれが当てはまる。それが善であろと悪であろうと、能力がなければ忙しいのだから、選択肢はない。

そう考えると、問題は「忙しい状況に身をおいていることが、自分にとって益するか」という点で考えたほうがわかりやすい。

つまり、1日18時間ほど働くことと、1日3時間くらい働くこと、どちらが自分にとって有益か

もっともこの場合、働くの定義が必要だが、まぁ、それはマルクスさんに任せよう。

とここまで頭がウニ状になって書いていたので何がなんやらわけがわからなくなり寝る。

起きた。

えっと、なんだっけ。そうだ。いや、そもそも設問がおかしい。誰しも忙しくないことを望んでいるに違いないという方針ですすめよう。マイノリティとしてはそうでない意見もあると思うけれど、それはさておく。

で、そうなると「忙しい環境」というのは善か悪か、という点がポイントになってくる。いや違う。嘘だ。そんな環境、善ではないという意見が聞こえてきそうだ。

んーーーー。論点がややこしいな。えっと、こうすればどうか。

忙しい環境で得る経験と忙しくない環境で得る経験のどちらがより望ましいか。というところあたりか。善悪の二項対立よりも、同値比較のほうが検討しやすいかも。

でも、それも結局、中身の問題になるのか。

いやね、何がいいたいかというとですね、問題はやはり、仕事の選択肢の問題なわけですよ。

給料が良く仕事の経験もたまるけど、べらぼうに忙しい業界と、忙しくはないけど給料も良くない。でも自分のしたいことをする時間が確保できる。どちらが良いか。

これはどちらが良いものでもなく、きっと価値観の問題である気がする。

いや違う。そういう価値観比較をしちゃいけないんだった。ここに数字を入れればいいのか。つまり、そうねー、ROIを比べればいいのか。

んー。違う。

だめだ。十分に腹落ちしない。また考えます。

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