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Run with the Wind

gooon.bmp

「昔はもうちょっと若かったように思う」

という何かで使えそうな言葉を急に思いついた。
そうすると、こういうフレーズを思い出した。

「その年の春は、まさに春という春だった」

これは何かの入試の問題で、小説の一文としてある設問に提示された。
「この二度目の春はどのような心境を表しているのか、選択肢の中から選びなさい」
というような。

これが言葉のマジックである。
数学ならば「2=2」の2つ目の2は、歴然たる2であり、純度100%の2である。
もっとも、これが重要な方程式として存在する場合もあるとは思うが。

ともあれ、ブログを書くテンションではなかったのに
こんなフレーズを思い出したが為に書き始めてしまった。

トートロジーねえ。
Who I am? ってのも、ある種の自己言及というかなんというか。

まぁいいや。
話を変えて。

三連休の最後の日は、どっぴーかんでゴキゲンな天気で。
乗客に日本人はいませんでしたよ。

それで今、思い出した。
今日、腹の奥底に衝撃を受けたニュースを見た。
livedoor ニュース - [米学校乱入射殺]死亡の少女「私を撃って」と哀願

そして、この事実を思い出した。
パレスチナで起こった数年前の事件だ。
レイチェルさんという米国人。

レイチェルフォーエバー

ガザ地区ラファハの町で民家を破壊するイスラエル軍のブルドーザーを阻止しようとして全面に立ちふさがり、
その下敷きになって死亡した。

イスラエルでジャーナリストから聞いた事件だ。
バックパッカーの溜まり場「タバスコ」で。

この2つの事件が、どちらも米国の人々だったからとて、
これが米国の底力というつもりもない。
何かしらのイデオロギーを振りかざすつもりはない。

ただ、この事件には、何の色もつけなくとも
頭に記憶しておかねばいけない事件だと思った。

そんなこんなで、
他にも色々考えなければいけないことがあって、
今日は久しぶりに走ることにした。

半年前からジムにシフトした為に、
屋外を走るのは、かなり遠ざかっていた。
恩師がフルマラソンを完走したという話も聞いて
走ろうか、と思った。

何かを考えたい時、
あるいは、何も考えたくない時に
走るということは、最適の方法である。
二律背反に見えるようなことでも、
これは、同時に両立しうるのだ。

夜の芝公園を45分ほど、
ゆっくりと走る。
ipodを片手に、東京タワーを左手に。

観光客は相変わらず、どこにもたどり着けない写真を
タワーに向かって撮り続ける。
まさに、自由の女神がそこに居るように。「

軽く汗をかき、
部屋に戻り、じっくりとストレッチを行う。
20分、じっくりと筋肉を伸ばす。

バスケ部のストレッチや、某所で習ったもの、あるいは書籍/雑誌からの情報を
もとに自分用にミックスさせたストレッチである。
父親から譲り受けた肩こり解消ストレッチも含まれる。

筋が伸びる間隔は非常に心地よい。
大げさに言うならば、身体が悲鳴をあげ、
同時に、快活と笑っているように思える。
大げさに言うならば、なのだけれど。

そして、筋トレ。
プッシュアップ20回、背筋50回、腹筋40回(ひねり20回)を3セット。
高校時代から、これ以上、数字は増やしていない。
数字を増やしていくと無駄に筋肉がつき、
あるいは際限なく筋トレの時間が奪われる。
何事にも適度なところがある。余計な筋肉は必要ない。
 軽くなったと思えば、細部に気を配れば、簡単にウェイトなんて
コントロールできるはずなのだ。

この背筋や腹筋も経験者やインストラクターなどから教わって
数年を経てどんどんチューンナップされた。
今では、半年振りでも無意識で全てをやり遂げることが出来た。

筋トレの前に風呂に湯を入れ、
全てが終わったころには、丁度、湯が溜まっている。

走るのは良い。
調べて見ると、以外と過去に色々書いていたようだ。忘れてた

100キロマラソン
走る、ということ
MOVE ON!
走りつづけるんだ


まぁ、じゃあ、新しいことは特になし。
あ、いや、走るとかいうよりも、身体を動かすということは
Good For Youなわけです。
最近は、めっきり健康ブームでヨガやフットサルなどなど隆盛で。

しかしいわゆる「球技」とか「ジムナスティックス」と走ることが違うのは
「とりあえず前にすすみゃいい」という点が
違うような気がします。

球技は前だけ進んでいたらオフサイド取られるし
ヨガは前というか、複雑多岐になる必要があるし。

しかし、走る、あるいは歩くというのは
とりあえず前に進めばいいんですよ。

フォームが何だって、
靴が何だって、
あるいは、背筋がどうだって。

誰も点数つけてないし、
誰も時間は計っていない。

そして、何より失敗したところで
誰にも迷惑かけない。

ただ前に出れば良い。

そんなシンプルで、そしてタフなものが
走る、ということである。

無論、これに人生のメタファーを絡ませることは可能である。
悩む前に、踏み出してみなよ、 Just Do it スラムダーンンク、と。

でも、言いたいのはそういうことでもない。
寧ろ、走るということの裏にある何か。

つまり、こけても、迷惑をかける相手がいないということは
逆に、何を失敗しても、自分でケツをふかなきゃいけないということである。

そして、そのシンプルさには言い訳さえも許されない。
難しいも、覚えられないもない。
しかし、同時に、迷子になることも可能で、
気が向けば、横浜まで走ればいい。
あるいは何時に帰ってこようともマラソンに時間制限はない。

その自由さ、そこに潜む深淵なる恐れ。
その怖さこそがマラソンの妙味ではないかと思うのだ。

走るで検索したらデリダちゃんが。

僕は古代の使者、メッセンジャーボーイに似ている。
~略~
僕はある知らせを彼らに伝えるために走る。それは秘密のままでなければならない知らせだ。
そして僕はいつも転んでいる。
郵便配達人が転べばいうまでもなく行方不明の郵便物が生じる

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