« 予定調和な女 | メイン | メールの作法 »

夢見る頃を過ぎても

wirrrr.bmp


遠く、それも遙か遠く。
ずっと遠くで汽笛の音がする。
長く、ずっと永く響く音。
悠久たる大地に染み渡るような重厚な響きだった。

どこの街で私はその音を聞いたのかを
はっきりは覚えていない。

イスタンブルと思ったのだが
スーダンだったかも知れない。
しかし、スーダンには汽車は走っていないので気のせいかも知れない。
いや、寧ろどこにも汽車なんて走っては居なかったとは解かっている。
ただ、ふと、あの朝焼けの中で、虚ろな目覚めの中で聞こえた
汽笛を思い出す事がある。

慌しい日々に追われると、その音は
ふっと私の耳に蘇ってくる。
そして、きまって私は旅情をかきたてられる。

ウガンダの首都、カンパラから私はルワンダの
キガリに向かっていた。
そのバスには当然、現地の人々しか乗っていなかった。

たまに止まる休憩所では、とうもろこしが美味しそうに焼かれていた。
そして油にまみれたドーナッツを売り子がバス内に売りに来る。
バスは、国境で止まる。

国境が開くまで私は近くの宿で夕食を取りに出かけた。
どしゃぶりの雨が降っていた。

この国に知り合いは当然誰もいない。
ある国で、自分を知っている人が誰もいない、
という上に雨という事実は、何かしら自分が踏みしめている大地を
やわらかくした。
その上に、私が今ウガンダに居ることさえも誰も知らない。

完全に孤立した自由。
ルワンダでは言葉でさえも通じない。
食事さえもままならない圧倒的過ぎる程の孤独感。
そして、翻して、何からも放たれた自由。
その両面であえぎながら、私は国境でパスポートを提示する。

雨が降りしきる。
客が誰もいないうらびれたレストランでは
バナナとご飯の混ぜた料理が出される。
メニューなんて当然ない。
虚ろに壁を眺めながら、私はそのバナナをスプーンで救い上げた。

そして、再度スプーンを下ろした時に
圧倒的な恐怖が自分を支配した。

気を抜いては消えてしまう、と。
アフリカでは死はいつも身近だった。

あるいは逸脱への道は、常に冥土への道として開かれていた。
事故、事件、ゲリラが横たわる危機として身を取り巻いていた。
もし、スリに現金を盗まれれば、言わばウィルス対策ソフトをせずに
アングラサイトを見るような世界に突入する。
ホテルの部屋の鍵なんて何も当てにならなかった。
シャワーさえも浴びたくなかった。
パスポートと金だけが自分を身を守るものだった。
マリファナや買春、注射器が観光客を取り巻き、
いつも冥府はドアを開けて待ってくれていた。

日本人と会わなくなってから数週間となり、
名もわからぬ食べ物を食べ続けて数ヶ月になり、
地図さえもなかった。
ただバス亭で目的地を叫ぶしか方法はなかった。
ぼったくられようが、間違われようが、何だって良かった。
少しでも道の先に進む事が重要だった。

立ち止まってしまえば消えてしまう。
電話もできずインターネットという言葉さえも忘れ、
そんな時に、唯一自分を現世と繋ぎとめていたのは
書く、という事だった。

ひたすら書いた。エジプトで買ったノートに
徒然もなく文字を書きなぐった。
その時の私にとって、まさに書くことは生きる事だった。
大げさではない。
 あまりにも巨大で広大で深遠な自由と孤独の前に
個人はあまりにも無力だ。
ただ言葉だけは、その世界を切り取る力を持っている。
剥ぎ取り、削り取り、理解しうる為の武器だった。

金とパスポートが防具ならば
持つべき武器は言葉だった。

 旅よ。
嗚呼旅よ。

青年よ、淑女よ。
書を持って街へ出よう。

村上は「神の子たちは皆踊る」でこう記述した。

「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。
順ちゃんが火を見てひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや

それは火だけではない。
旅も同じ事だ。

旅も人によって見る景色は異なる。
そして、見える世界も異なる。
それは、貴方/貴女の心情を映す反面鏡となる。

そして鏡に映ったその世界を自分に取り返す、という作業が
書く、という事なのだ。

ルソーは言った。

恋文を書くには、何を言おうとしているかを考えずに書き始めよ。
そして何を書いたかを知ろうとせずに書き終わらなければならない。

それは恋文だけに限らない。
いや無論。
勿論、論文や企画書をそのような無鉄砲なチキンレースで書いてしまえば
大事件になるのは火を見るより明らかに業火に包まれる。

しかしある場合においては
何事も考えずまず書き始めなければいけない。
シュールレアリスムの手法で、実際、そのような芸術が存在する。
確か筒井氏が卒業論文でも手がけたはずだ。
#今ざっと調べたら「心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作 心理の精神分析的批判」だった。

つまり、無意識下の何かを水面から引きずり出すには
意識をせずに手の赴くままに書かなければいけない。
これは文章だけではなく、アート等でも使われている用法だ(確か)。
現在では臨床心理学でも使われている。
有名な所では、映画アルマゲドンでそのシーンがあった。

蛇足だが、何度か書いたが
私のブログは基本的に見切り発車で書き始めているので
いつも論理性が破綻している。言い訳だが。人の言葉やエントリーに
影響受けて書く事が多く今回も、多分、3人のブログのエントリーや言葉に感化されている。
かなり無意識下の辺りで。
まぁどうでも良いけど。

これは聞き古された話題ですが、毎日の話題なのです

 by William Shakespeare


■ 関連記事


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kazlog.jp/blog/mt/mt-tb.cgi/874

コメント (7)

裕:

詩的日記にいつも釘付けです。
久しぶりに心が熱くなりました。

「自由と孤独」「協調と群れ」

自由な一人と 同調された群れ。

自分は群れることも一人も好きですが、
気がつくと創作の原点において
自由で孤独な時間の方が大半を占めます。

強いて言うならば

自由と孤独そして無である時
何かがおりてきて手が勝手に動きます。

更に

プアーな(金銭・物質的な貧しさ)状況
は更に心を裕福にし発想意欲をかき立てます。

最近まではある程度お金が入っても使い切るような事をして、危うく職業が浪費家になってしまうところでした。笑)

裕:

会社レベルだと
「拘束と群れ」になるのでしょうか。

恋愛レベルだと
「束縛と二人」

恋愛に自由を求める場合だと、いろんな見解があると思うのですが

たとえば
自由な恋愛をしたいならばフランスに行け。w とか
自由な恋愛レベルでも孤独はつきまとうでしょうし…。

なんかハマってしまいすいません。


「自由と群れ」の場合何が生まれると思いますか?

「束縛と孤独」の場合人間はどうなると思いますか?

原田:

コメントありがとうございます。

非常に興味深いテーゼをご提示多謝です。
自由と群れ、ですか。
人間は社会的動物ゆえに、「群れ」は欠かせざる何か、ですよね。確か、あかごが食事を十分に与えられても
肌が触れ合っていなければ死ぬという実験結果があったように、人間は、「人間」と共に生きなければいけない定めです。良かれ悪しかれ。
しかし同時に、フロムは人間が自由を欠かせざる権利として定義し、ニーチェは確か、人間は自由である事に呪われている、と喝破しました。

その点から考えれば、人間はまさに自由である事を欲しながらも、群れざるを得ないというジレンマを抱えているのでしょうね。そのハザマで人間は何が出来るかというと、結局の所、そこで悩む事が人間たる事なんでせう。

もし完全に自由ならば、それは物であり
そして完全に群れるならばそれは動物を意味します。

そして、「束縛と孤独」としては
確かに恋愛のメタファーがわかりやすいでしょうね。
束縛したい/されたいのに、されると嫌になる。
孤独は恐れる。
これも結局、自由と群れ、ないし自由と拘束の問題と同じものがそこにあるような気がします。

ただ、さりとて、群れや拘束だけに甘んじるのではなく、「スプートニクという衛星は完全たる孤独」と誰かが言ったように人間が原則的に孤独であるという前提に戦わなければならないのでせう。

やっかいな生き物ですねぇ。
とりあえず、自由な恋愛したいならフランスってのは明言ですな。笑

あと裕さんが仰るように貧困が芸術を生むという示唆はまさしく正鵠を得ているような気がします。
駄文になってしまいました、すいません。

ありがとうございますー。

:

ありがとうございます。
感無量です。

感化され刺激をうけ一句できました。

内訳は、自分哲学40%  + ピカソ10% + 原田さん表現術50%

最後の占めはお互いの共通点だと。

すいません、自分、不器用ですので…。

駄目だし、若しくは、いじってみてください。

題名:「何事も」

模倣ではなく盗むべし。
決して悟られるなかれ。
盗み得たテーゼは己と深く向き合い、再設計されるがゆえに、
装飾という名の水を与えれば、
やがて種は芽を出し華開き、進化するであろう。
さりとて何事も経験なり。

裕:

気になったところは

盗んだテーゼがいつのまにか、種になってるところが
辻褄合わないような気がするのです。

あと「装飾」という名の「水」

演出やデザインする、飾るを示してるのですが
水 = 命 生命の源 とか表すので

表現的にちょっと無理があるように思います。

あと、「学び」という語も入れたいと。

文章が歌のように流れてほしいです。

なんとも、分散してしまいすいません。

裕:

はまってしまって、眠れません。

自分哲学 MAXです。

題名:誠実
誠実とは全てを語る事なのではない。
大事なのは、いかにセンスよく相手に伝えられるかどうかだ。


とりあえず、寝ます。

原田:

コメントありがとうございます。

なるほど。

大事なのは、いかにセンスよく相手に伝えられるかどうかだ。

この言葉非常に共感します。
広告好きとしては。
いかに良いものがあったとしてもそれを伝える媒介がなければそれはないものとなってしまうなぁ、と最近つとに思うゆえです。

ありがとうございますー!

コメントを投稿


アルカーナという会社をしておりますです。

連絡先

esegentleman.png

関連リンク

写真

www.flickr.com
This is a Flickr badge showing public photos from kazuhide. Make your own badge here.

注目エントリー

あわせて読みたい
track feed