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dawn.bmp

イスラエルとパレスチナの地において、
戦火が轟々と燃えている。

私は、パレスチナ人の肩を持つ気もないし、
あるいはイスラエルに肩入れするつもりもないけれど、
この問題は無視できない理由がある。

1つは単純に私がこの地の民に非常にお世話になってしまった事。
そして、その地で命を懸けながらこの地を伝えようとするジャーナリスト達に会ってしまった事。

世の中には、よりヘビィな、あるいはより複雑な問題があるのかも知れないけれど、
自分にとっては、やはり自分の触覚が触れる事の出来る範囲で動くしかなくて。

このような問題は、
全然対岸の火事ではなくて。

それこそ北にある国がミサイル云々という話が先週あったけれど、
これは「怖い」とか「危険」とか言う話ではなくて、
やはり、戦略政治の文脈で語られるべきもの、
「是非」どうこうではなく、どのようなアクターが
どのように振舞うべきかのチェスさながらの思考が必要となってくる話である。
でも、旧来なるパワーポリティクスの延長上の話とは少し違う気もするけれど。
それこそ、亮とか、ちっひーとか、なおと君とかは
この辺りの問題をずっとしてはるわけで、もしかすると数十年後
(ある種の)アクターにさえなっている可能性もあるわけで、うーん、と思うわけです。

ともあれ。

ちょうど周りのブログで似たような話を先週、散見し改めて思ったわけです。なおと君のブログとか、WARとか173.新興宗教とかデリヘルよもやま話とか。あ、マリさんのは関係ないけど興味ぶかかったので張ってしまった。

ああ、そうそう。
改めて国際政治に少しちらっと頭がうごいたのは
数日前、近しい人に指摘されたからであった。
「そんな事じゃ大切なものを失うよ」と。

自分にとって大切なものとは何かというのは、
ギリシア神話的命題といっても言ってもよいような(勝手に僕がいま命名した)もので、
幸せとは何か、大切なものとは何か、優先順位とは何か、
とは人によって異なり、あるいは定義によって異なり、
あるいは時間軸によって大きく異なるものである。

ただ、定義としては、
いつも呟くように、幸せというのは感情であって目的ではない。
その為、幸せが人生における、何かしらの優先順位1位になる事は
少し違和感がある。

小学校で学んだ一番大切なものはフレミングの法則と答えられたような
違和感を感じるわけである。
ともあれ、そんなこんなで、確かに、世の中には
様々なる選択肢があって、個々人は、その分岐における時点で随時
選択肢を選び取っているわけで、そこには当然、
個人の選択基準があり、それがある種の優先順位と呼ばれるものであるが
問題は、それが絶対的なものではなく、流動的で、あくまでも限定的条件下における相対性でしか
ないということである。
つまり、「眠い」と「腹減った」という選択肢がある場合に、
「まずは飯より寝る」という人が、常にその選択肢を取らないのと同じ問題である。
また、同時に、そこにも分水嶺がありまして
例えば人生における大切な何かの一番は金ではないといっても
金がなければ、電車にも乗れないわけで、ある程度の水準が確保される必要がある。
まぁ、ともあれ、でも私の場合には大切なもの、ということで
「夢」が浮かんできて、そういう思考になったわけです。長い前文。


あ、そういえば、戦争。
昔はさ、戦争は、「避けられざる仕方ないもの」という感じだったわけですよ。
軍事力も仕方ないな、と。
だから、戦争も、あるケースにおいては必要な何か、だと思っていたわけです。

しかし、最近考え方が変わりまして。
得にブランド国家論を学んでいるあたりから。
あるいは、大人になったからかも知れない。文庫本を大人買いが出来るようになってから
物事に対しての考え方が変わってきた。

ということで、
例えば、北朝鮮の問題しかり、パレスチナの問題しかり、
これってば、極論は気持ちいいわけですよね。
「潰すべきだ」とか「融合しちまえ」とかね。
でも、それってば、リアリティが何もない。
気持ちよさっていうのが学問においては、得に
非常に足をひっぱるわけです。
特に社会学全般においては。

そして、正論も、どこにも進まないという点で、ふどまりになります。
つまり「戦争はいけない」「ミサイルはいけない」
当然ながら正論は、どこにもたどり着かない。
so what? なわけです。

で、お年どころとしては、
結局、「正論」と「極論」をブリッジするところなわけですよね。
距離的中間的ではない。

だから、「戦争はいけない」けれども「起こっている現前」に対して
「戦争を出来ない程に弱らせてしまえ」という極論を
実際にオペレーションまで落とし込める前提条件の構築というかなんというか。

そこで一句。
前戯を触感というをんな、つーるつる

季語はつーるつるで初夏である。
さっき思いついた。

あ、そうだ。
何が言いたかったかというと、フェアネスっていう問題なんですよ。

戦争っていうのは、あまりにもフェアじゃない。
もっとも、公正、いや、むしろという所の「公平」。
少し言葉が違うな。フェアネスですよ。

そのバランスが圧倒的におかしい。
世の中ってのは不条理や不合理で満ちていて
フェアなものなんて、何もないけれど
(万人が生きて死ぬというフェアネス以外は)
それでも、何かしらの許容できる範囲で、世の中はバランスを
たもって回っているわけだけど
戦争は、その許容できる範囲を飛びぬけて超えているわけです。

殺人が「やむなし」として行われているというのは、
法律から、倫理から、道理から、世間体から、種の保存から言っても
やはりバランスがおかしい。


で、情報の非対称性はしかしながら、許容できるかという
設問に突き当たる。
情報の非対称性ってのは、どこにもあるもので。
でも「力」の非対称ほどには問題にならない。

例えば、セックスなんて、寝てみないとわからないわけで。
それは、売り手と買い手の情報格差は大きすぎる。
ちょうど、先日見た「sex and the city」の6-1で
そのエピソードが触れられていて。

まぁ、ともあれ、情報における完全市場ってのは、ナシだ。
詰まらない。力はなしでも情報はありという理論は血の観点から正当化される。

レモンを手にしたくはないが、檸檬を丸善に
おいてくるのは、フェアだと思う。
だれが、その檸檬が物語を生むと思うだろうか。
もごもご

たとえばポーカー。
ポーカーなんて、非対称性かそうでないかというと
明らかに前者で。

相手の心理がわかる者には
わかるわけで。
とはいえ、これは厳密な意味での非対称ではない。
まぁ、いいや。

で、なんだっけ。

ダンスダンスの話。

そういう風に彼女と寝るのはフェアじゃないんじゃないかという思いが、
頭の隅からどうしても去らなかった。

と主人公は帰りのタクシーで考える。
「部屋にあがって」という女性の誘いを断った帰りのタクシーで。

そして、彼は考える。

そんなのは、しるしのついたカードでトランプゲームをしているみたいなものだった。
フェアじゃない。

でもセックスの領域でフェアネスというものがどれだけの意味を持つのか、と僕は自問してみた。セックスに公正さを求めるんならどうしていっそのことミドリゴケにでもならないんだ。
その方が話がはやいじゃないか、と僕は思った。

ということである。

つまり、ここでは「フェアネス」という彼が好きな「公正」の言葉が出てくるが、
結局「やりたいけど、しない」という選択肢を彼は選ぶわけである。

世の中では、
こういう場合に、この選択肢が逆に
「not polite」という場合もあるだろう。
(そもそもセックスにpoliteというものがどれだけの意味を持つかは知らないとしても)

それでも、まぁ「しない」わけである。

もっとも、後日、彼女が働いているのを見ながら、

僕は彼女を見ながら、あの子と寝ようと思えば寝られたんだ、と思った。時々そういう風に自分を勇気づける必要があった。

言うのだけれど。

個人的には、「勇気付ける」という意味では、この公式は意味を持つかも知れないけど、
この方式は彼女にとってフェアではない。

寝る、寝ないの事実は別ではないけれど、
「寝ようと思えば寝られた」かどうかは、
別のスライディングドアの選択肢であって、主観としての解決策としての効用を持たない。
本来ならば。

物凄い全力で話がそれている気がする。

何がいいたいかというと。
公平っていう価値観ですよ。

ガルフ会長のウィリアムKホワイトフォードは言うわけです。

機会均等とは誰もが無能になる公平なチャンスを意味している

あら素敵。
あ、丁度昨日「人生を放棄する者に是非を問う事は誰にも出来ないか、あるいは誰が出来るのか?」議論を
していたような気がして、
相手が言うには「タフな人生を押し付けたくはないから、出来ない」という論理で、
なる程、と思ったものの、やっぱりそれは世界のリソースの観点
あるいは、尊敬する氏ブルデューの社会的資本の観点から言って見れば
やはりそれは誰かが言うべき権利を留保しなければいけないのではないかともごもご。

で、中国の偉い人老舎さんは言う。

雨は金持ちの上にも降れば、貧乏人の上にもふる。善人のうえにも振れば悪人の上にも振る。
とはいえ、雨はけっして公平とはいえぬ。もともとが不公平な世の中の上に降るからだ。

いい事言った。

で、ブログをざっと見返してみたが
ぬおー
物凄い論理が全力で破綻している上、
何が言いたいのか、ちっとも解からない!意味がわからん!
なんじゃこりゃ!何が言いたいんだ俺!


師曰世界是不条理也
好的?不好的?

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コメント (3)

kitano jr:

もうちょい構造化してくれないと、仕事中に時間とられすぎるYO!ま、俺も人のこといえないけど。

気持ちはある程度同じ部類な気がした。

ErIC:

うおー!
全部読んで(?)になってから
最後の

何が言いたいのか、ちっとも解からない!意味がわからん!
なんじゃこりゃ!何が言いたいんだ俺!

を読んだぞ!!
ぐへー。

原田:

>エリックさん

おお、ありがとう!
はてなになるよね。申し訳ない!

>kitanoJrさん

構造化は仕事の中だけに
押さえておきたい所存。
でも、やっぱり新聞とかでも
構造化されていない項目あれば
気になったりしちゃうよね。
もう職業病か。イクナイ

コメントありがとう!

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