遺伝子に
「名前を覚えるスキル」が備わっていないのではないか?
と思う程、人の名前を覚えることが出来ない。
原則として、基本的に、根本的な意味で、
名前を覚えることが出来ないのだ。
昨日もブランニューな方々と
曰く、
「自分のすでに居る友人の名前とリンクさせて
覚えればよい」ということだが、
自分の友人の名前は、そもそも
「コードネーム」として頭に入っているので、
それが名前とリンクしないのだ。
最近は
苗字と名前を聞くことは諦めて、
「通称なに?」ということで
コードネーム・ニックネーム一本やりで
覚えようという努力はしていて、
それは、それで、
ややこしいニックネームだと
海馬にカスりもしない。
そもそも親友や恋人の名前でさえも
何度も間違っているわけだから、
これは、もう遺伝子的に覚えることが
出来ないと判断しても良いのではないかと思う。
そもそも、
認知言語学的に言うならば
「認知」する前に言葉が出ているわけで、
つまりは、反射神経的に錯誤が発生しているわけである。
言語学的に言うならば
シニフィエ(記号)とシニフィアン’対象)が一致していないのである。
むしろ、そこに接合性は必要ないと思っているからかも知れない。
なぜなら、呼び名とは、往々にして
「オプショナル」であり、それがなくても話は通じることがある。
つまり、ある話の中で人の名前というのは
そのコードが何であれ、「文脈」から把握することは
難しくないからである。
もっとも、確かに、そこからほころびや誤解が
生ずることは多いにあるが、
しかし、「効率性」を重視するか、あるいは
「正確性」を重視するか、という場合に
折衷するとしても、どちらに重きをおくかによって
その誤差を想定の範囲内に収めることが出来るならば
速度を優先するのも、ある種の合理性を持った
対応であるように思えるのである。
すわなち、私の場合
「名前」を絶対に間違わないようにしゃべるならば
話がいっこうに進まないのだ。
よって、ある程度の間違いは許容するにしても、
そのまま突っ走るほうが、パフォーマンスは高いと
主観的に判断しているわけである。
で、何が言いたいかというと
名前を覚えることができないということの
言い訳をしたかっただけ。
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