
ジャストアイデア。
=みきりはっしゃ
メッセンジャーで、自分が今
聴いている音楽を公開できるという件に関しては
以前の通り。
で、IRCなんかだと
「自分が今、検索している語句」を公開することもできる。
友人たちに。
他には、アメリカのSNSでは
「今の気分」をアイコンで表明できるものがある。
hotplaceという日本の携帯SNSでは
自分が、いまどこに居るかを教えてくれる機能がある。
「友人が近くを通りました」的なアラートも。
ブログのプラグインでは、
自分が撮った携帯の写真をUPDATEして
公開できるものもある。
それらを勘案すると
自分の行動を伝えることが
すでにコミュニケーションとなっているわけです。
相手が見ていようと、見ていまいと
「見ようと思えば見える」という行為ですな。
あくまでも、レスポンスを強要しない
プル的なアナウンス。
昔から、あると言えば
あったのかも知れない。
例えば、「キスマーク」
これは「私はさっき、ファックをしてきましたよ」という
情報を相手に伝えるわけである。
「目元にクマができている」
あるいは
「目元がはれている」
というような様態から、
「疲れているので休ませて」とか
「悲しいから泣いてきたの」とかいう情報を提示し
「やさしくして」というような情報をアフォードするわけである
(少し誤用なアフォード)。
それが、より明文化されただけの違いなのかしら。
ただ、情報を「口頭」で伝えるという
手段は、「プル的」アナウンスが主流になることによって
少なくなっているのではないのか。
あ、こないだ、町を歩いていて思ったこと。
人々は、より孤独になりたがっている。
例えば、あのipodを見て下さいよ。
町を歩くと、各々が各々の音楽で
各々の世界に入り込んでいるわけです。
カナル式のイヤホンなんて、外部の音を
全部シャットアウトです。
で、ニンテンドーDSの隆盛。
これも、もちろん、自分の世界への逃避ですよねえ。
もちろん、電車の中での行動なら
読書と変わらないのだけど
ニンテンドーDSのほうが「本」よりは
メディアとしての認知度と普遍性が弱く、
また、追体験を原則的には許さない行為ゆえに
よりソリッドな行為なのではないかと。
そして、携帯電話。
言うまでもなく
「時間があれば携帯メールをピコピコ」
あるいは、待ち合わせで
「電話でしゃべっているフリ」などなど。
パーティでさ、手持ち無沙汰なって
ひとりぼっちなときは、携帯は便利ですよ。
「今、携帯で連絡とっているんだよ。
ひとりだけど寂しくないよ ふふん」的な
ナンセンスな情報で自分を保護できるから。
ただ、それってば
旅行者の「煙草吸っている」ふりをしながら
見知らぬ旅人に話しかける行為と代わらないような
気もするわけで、
つまりはどういうことかという
自己欺瞞でありながらも、未必の故意。
そうして、
個々はより自分の世界に下りていくと同時に
友人たちには、消極的な方法で情報を提示する。
というアナクロな分析をするつもりは毛頭ない。
単純に何が言いたいかと言うと
デートとかしているときに
トイレに立って、
テーブルに戻ってくる時に
相手が携帯をいじっているのを見ると
何かしら寂しげな気持ちになるよね、という話。
自戒も込めて。
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コメント (2)
最後の3行、すごくよくわかります。
ついさっき、私も同じようなこと考えていました。
たくさんの人がいる空間の中の一人と部屋に一人の状態はちがいますよね。
最近は、能動的な人が少なくなって、より、受動的な人が増えてる気がするような・・・。
投稿者: うらら | 2006年03月25日 23:20
日時: 2006年03月25日 23:20
おお!コメントありがとうございます!
CMクリエイターの岡さんは
「群集の中の1人ほど孤独なものはない」
ということで、フジテレビはそれのサポートをする、
というようなCMをつくったそうです。
受動能動に関しては、まだ判断つきかねますが、
少なくとも、選択肢が広がりすぎているような気がします。
それゆえに、能動受動のバランスが崩れているような。
投稿者: 原田 | 2006年03月26日 19:24
日時: 2006年03月26日 19:24