就職活動や、職場などで、議論をすることは多いと思う。
日本は、この「討論・議論・ディベート・ディスカッション」と呼ばれるような
分野に弱いといわれていた。
相対的に、欧米よりも。
欧米では、ロジカルな言語体系というのもあるが、
土壌として、ロジックを重視してきた世界ゆえに、
大学の授業でも、ディベーティングが取り入れられ、
そのようなスキルを学んでいる、というようなことを言われている。
ここで、その是非を問うことはしないし、
ナンセンスである。
しかし、個人的に、議論は、
半分以上がテクニックやコツで、
残りが知識。そして、1割くらいがセンス(頭の回転など先天的なもの)なんじゃないだろうかとも思ったりはする。
しかし、声が大きいだけ、
しゃべりつづけるだけで、論争に勝てるほど
世界は甘くない。
某朝までの「生テレビ」は、テレビ劇場だからの論争で、
あり、あれは厳密な意味で、議論ではない。
そもそも、議論は、プロとコンがある。
賛成、反対というものだ。
プロもコンもない議論は、議論として成り立ち得ない。
よくあるのは、
人数を2分して、片方をプロ、片方をコンにする。
これにより、個人は、個人の意思を除外して、
自分の論陣を張らなければいけない。
これはこれで楽しい。
純粋に、テクニックを学ぶ方法としては最適だろう。
何より感情的に成らずにすむ。
論争をする場合に、
有効なテクニックの1つとして
自分の論陣の反証を自分で唱える、ということがある。
何か自分の意見があった時に、
常にもう独りの自分が居れば、その意見にどう突っ込むかを想定する。
これにより、自分の論陣の弱点や、相手の攻めどころが見えガードしやすい。
さらには、そこに敢えて誘い込んで、カウンターをあわせるという方法もある。
もちろん、これはある程度の客観性(メタ認知)を必要とするが、
訓練でなんとでもなる。
議論に存在する落とし穴なんて、パターンで対応できるような気がする。
(あくまでも大きく分けた場合だけれど)
ポパーだったか?
「反証可能性」を提示したのは。
記憶によると、確か、
「反証が出来ないテーゼは、価値がない」というものだ。
つまり、何かの仮説は、
反対意見が出来て、初めて血が通うのである。
例えば、
推理小説で、現実そのままの事件が描かれるが
前提として、「別の惑星の世界の話」なんてなってみれば
物理法則などが全部無効になるから、
どんな解決やトリックが出てきても反証できないのだ。
物凄く詰まらない。
例えば密室殺人で「犯人は、壁を抜けられるのです」なんていうアンサーだと
拍子抜けどころか、怒りである。
僕が印象に残っている議論としては
ロスに留学していたころ、3、4時間、スターバックスで行った論争だ。
相手は女性三人。
議題は「パンツ(ズボン)のチャックを開けることの是非」だった。
僕は、「リスクヘッジのためにチャックをわざと開けているのだ」という論陣だった。
女性たちは、もちろん、その反論だ。
まぁ、大変だった大変だった。その上に人格まで疑われた。
でも、論争は面白いゲームだよなぁ、と思う。
やればやるほど、コツつかむし。
「チャックを閉めるときに、挟んだらどうするんだ!」


コメント (3)
あんたまぁまたなんちゅうバトルですか!?
そりゃ人格も疑われますな。
俺も以前似たようなシチュエーションで「幼少時に万引きをすることの是非」について論争し、pro-万引きの立場を主張し続けました。
まぁ、大変だった大変だった。
投稿者: よっしー | 2006年02月28日 01:21
日時: 2006年02月28日 01:21
議論って面白いと思います、ほんと。くだらないけど身近なことこそがいいんですよね。間違っても「殺人は是が非か」というのは面白くない。「正しくない」ってのが、どうしても道理として先走るから。
投稿者: Kuni | 2006年02月28日 02:18
日時: 2006年02月28日 02:18
>よっしー
おお、今でも、「チャック全開」が常なので、
いまはみんな「わざとかと思った」って言ってくれる。
「万引きすることの是非」も面白そうだよね。
そういった無茶な仮説も肯定するのって、
新しい価値観が出てきて面白いよねえ。
「セックス関連」とかも。
>kuniさん
おお!同感ありがとうございます。
確かに、身近なのがいいのは、その通りですねえ。
政治とか経済になってくると、知識量がものを言うし。
あくまでも、両方が同じ分量もっている道具を
フルに活用して戦うってのが、面白いような気がします。
コメントありがとうございます!
投稿者: 原田 | 2006年02月28日 06:36
日時: 2006年02月28日 06:36