ライオンの子のブログの
インド旅行記が、激しくエキサイティングであります件につきまして。
ということで、僕もインドを思い出して
インドについて書く。
タイトルは、阿刀田高風。
インドというのは「呼ばれないと行くことができない」国という表現のされ方をする。
というのは、三島由紀夫の言葉なのだが、私自身、インドに行ったときにそれを実感した。
僕は、どちらかというと前者な人、
つまりは、インドに呼ばれてしまった人間だったように思う。
初めてインドに行ったのは
2002年の2月とかだったように思う。
ニューデリーインの、バラナシ。
そしてスノウリ経由のポカラ。
そして、ポカラからニューデリーのコースだった。
ニューデリーは、
首都ではあるが、旅行者にとっての鬼門。
世界で、一番、ぼったくられやすい場所といっても過言ではない。
ジョジョの三部でも、カキョウインが財布を盗まれていたハズ。
ほぼ8割くらいの確率で、
空港から市内までの途中において
ボッタクリの洗礼を受けることになる。
それは、バックパッカーにとってのある種の
通過儀礼である。
どれくらいエゲツナイかというと、
大学の入学式のサークル勧誘に、
岸和田のダンジリ祭の混雑具合をかけて、
さらには、山手線のラッシュの不愉快度を足して、三乗したくらい
エゲツナイ。
まぁ、世界で一番えげつない場所は
マリ共和国らしいですが(体験談)。
ともあれ、インドだよ。
で、僕は、インドにふらふら思いつきで行って
思いつきで、無事帰国したわけだが
そこで3人の女性に助けられた。
(男性には、もっと助けられたが)
それゆえに、インドが僕を呼んだと主張するわけだ。
なぜなら、ヒンドゥーといえば
カーリーだろう、ラクシュミだろう?(謎
1人は、空港で出会った東京の人だった。
彼女は、ヒンディー語が出来た。
インドで留学してたそうだ。
で、たまたま僕と予定が被っていたので、
3日ほど行動をともにした。
彼女の知り合いの社長にご馳走になったり
切符を買いにつれていってくれたり
ボッタクリ旅行店から助け出してくれたり
買い物助けてもらったりした。
そして、2人目は、
ネパールだ。
僕は、ほかの人と同じく一人旅だったのだが
ひたすらポカラではすることがなくて
ぶらぶらしていた。
そうすると、ちょうど同じ年の女性とであった。
女性三人で登山に来ていたそうな。
そこで、ポカラのマウンテンサイドのメッカ
「ジャーマンカフェ」で、時間潰しに協力してもらった。
彼女とは日本でXtadyでお世話になるのだが、それはまた、別のお話。
三人目は、チベット人だった。
ポカラというところから、ニューデリーに戻る必要があった私。
しかし、そのルートは
どのガイドブックにも書いていないほど悪路であり
地元のルートだった。
そもそも、旅行者が通れるものではないのだ。
しかし、ある宿の情報ノートで、その情報を見つけた僕は
それに挑戦。 なぜかというと、ショートカットできるのだ。
分かる人は分かると思うが、そこからニューデリーに戻るには
スノウリ経由のバラナシ経由のニューデリー。
下手すると、4日はかかる。
特に、そのころは、ネパールで、マオイストのストがあって
道路封鎖がよく行われていたのだ
(僕も巻き込まれた)。
で、ショーカットに挑戦したものの、
バスは極悪。
まず、椅子がすべて木なのだ。
腰掛も木。
さらには、リクライニングどころか
腰と尻が、直角90度なのである。
それで、2泊三日、ノンストップバスの旅である。
しかも、満席。
で、バスも、全員現地の人
旅行者は皆無。
そこで、たまたま隣に座ったのが
インドの大学(東大的サムシング)にかよう
ネパールのチベット人だった。
彼女とは、そこから5日間ほど、一緒の旅行をした。
通訳、ルートのヘルプ、
さらには、ニューデリーで、家に泊めてもらいもした。
飯もつくってもらって、観光にもつれていってもらった。
しかし、それ以来、僕は「Free Tibet」に敏感になってしまったわけだが。
s f t j a p a n . o r g
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コメント (1)
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興味の方は連絡ください。
archana@m-piece.com
投稿者: アルチャナ | 2006年09月15日 18:12
日時: 2006年09月15日 18:12