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いつも思うこと

ロンドンでテロが起こった。


そのニュースを見ていて、
いつも思うことがある。

なぜ日本は、その出来事を対岸の火事と
見ているのだろうか。

無論、そう見てない人もいるのは知っている。
わがことと、全身で受け止められている人もいる。

しかし、多くの人は
このロンドンテロに、あまり注意を払っていない。

それは、例えば、ソーシャルネットワーキングでの
日記具合から、あるいは、メディアの報道時間や
紙面の多さ、あるいは、飲み会での話などから
思っていることである。

スペインの列車テロでもそうであった。
イラクで、イタリア人や韓国人が殺された時もそうだった。

しかし、対して
日本では、
やれ、高校生がどこぞの誰かを殺しただの、
おっさんがおばはんに殺されただの、
そのような、ニュースが騒がれる。

無論、人名に貴賎はない。
日本の田舎のオバハンの死でも、
英国紳士の突然の悲劇でも、
どの死だって、等しく扱われてしかるべきだろう。

しかし、日本では、
あまりにも、国内の
事件に重きをおきすぎる。

今回の事件でも
「日本人の被害者はいませんでした」
と、お決まりの文句が流れる。

それが日本人であろうとなかろうと
流れた血の量は同じである。

しかし、その心はわかる。
別に感情論に訴えようというのではない。

確かに、知り合いがロンドンに居れば、
安否が気になるだろうから、
日本人で関係者がいるかどうかは
流すべきだろう。

しかし、それも結局、程度の問題である。
なぜなら、なぜ、アメリカ人に友人がいないと
限らないのだから。
それは、どの国籍にも、どのセグメントにも
おける。
たまたま日本人が多かろう、という理由で
日本人だけ、ピックアップするのは、
不可解である。

ないし、日本のニュースを取り上げるのは
日本の社会科学的にバリューがあるという視点もある。
例えば、オウムなり、高校生の一連の事件などは
日本に潜む闇を暴くという理由で
ニュースの価値が高いと考えてもいい。

しかし、それも、結局は程度の問題である。
日本と、ひとくくりできるほど、
日本の土壌は、狭くない。

そこに根ざしている問題は
地域性が存在するかも知れないし、
あるいは、国際レベルかも知れない。

そう考えると、ドメスティックバイアスは、
程度の問題では片付けられない理由がある。

それは、結局
視聴率のジレンマであろう。

結局、ニュースは、ロンドンの事件が
視聴率を稼げないと思うので
時間を割かない
ページを割かない。

それゆえに、市民は
問題意識を喚起されない。
ないし、市民はニュースの時間量によって
ニュースの重みを判定している可能性さえ
反論は出来ない。

視聴率偏重は
いまさら、糾弾すべきではない。
それは、それとして認めよう。

しかし、その先にあるものは
問題である。

結局のところ
メディアが視聴率を取れないと思うのは
おそらく、市民がそれに注意を払わないと
思うからであろう。
それは、前提や仮説なしの施行ではなく、
そこには、それなりの理由が存在するのだろう。

そうした場合、
国民は、このような国の外の
ニュースに関心を払っていないのではないかという
仮説が成り立つ。

無論、これは、
どの国にもおけることかも知れない。
アメリカ人は、日本人が何人知ろうとも
興味がなく、イラン人は、他国を知らないかも知れない。

しかし、これは
相対的に解決する問題ではなく
絶対的な問題が、そこには存在する。
民度の問題でもなく、
単純に、問題意識のメカニズムも問題だ。

なぜ、国内と国外で
これほどまでに温度差があるのだろうか。

血の重さに違いはないはずなのに
濃さには違いが存在している。

無論、これも昔から言われていたことで、
今更、目くじら立てて、起こることではない。

しかし、さりとて
看過できる問題でもない。

今後、ますます、国境というものが
物理的にであれ、スピリチュアルであれ、
薄くなる側面が出てくる限り、
その問題意識におけるメカニズムで
国という判断基準が大きな重みを持っているのは、
合理的ではない。

メディアのニュースの価値を
ミクロから見た場合、
いつもこの問題を考える。

++++++++

そういえばわれらが劇団ブサイコが
スタッフ募集です。
どーよ。

メンバー募集-劇団ブサイコロジカル。

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コメント (2)

すいません、生意気かもしれませんが、こんな私の意見にも耳を傾けていただければ幸いです。

私には、あなたの言う問題意識がわかりません。
国内と国外に分けて考えることの問題点もわかりません。

太古の昔から人間の営みに違いがあるのかと考えた時に、たいした違いがない事に気づくはずです。

また人間社会は良くなっているのか、悪くなっているのかを答えなければならないとき、私は迷わず良くなっていると答えます。

太古の昔から、いや、生命が誕生した時から生命はグローバルスタンダードを目指して競争を繰り返してきたと思います。
人間もようやく地方予選が終了し、世界大会が始まろうとしています。
この数千年は世界大会が何度か行われていたのではないでしょか?
最近の世界大会は第二次世界大戦かなあ?
それ以外は地方予選といったところでしょう。

つまり、国内のニュースに関心が高いのは、地方予選レベルの人がそこに多く住んでいるからであって、全員が全国大会レベルであると、大会そのものが成り立たないということです。

また、事件の大小についてのあなたの考えがわかりません。
人の命に関わることを比較論で語ると大変な誤解を招く可能性があるが、あえて言います。

ヒロシマの被爆と比べれば、イギリスのテロなどはニュースではないのです。
殺人事件などは、太古から日常的なできごとです。
つまり、あなたの言うニュースが問題意識に直結するものであれば、殺人事件程度の話はニュースにならないのです。

最低でも数千人か数万人規模の虐殺でもない限りメディアでは議論する必要がなくなります。
そのクラスの虐殺は古今東西、頻繁にあったはずです。
最近は近所で戦争が少ないので、目立たないが、日本でもつい数百年前までは毎日が戦争でした。

なので、今まで語りつくしていない虐殺が沢山残っているので毎日メディアはその虐殺について激論を戦わせることができるのです。

しかし、だれもそんなものは見たくありません。
見たいのは、近所で起こった日常の一コマです。

でも、問題意識を持つことはいいことですね。
また、他人に過度な期待をすると疲れるだけですね。

以上 わけのわかならい文章になってすいません・・・

なるほど。
ご意見ありがとうございます!

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