情報の価値。
情報の価値ってのは人様々である。
つまり、一行の情報が数億の価値を持つこともある。
例えば、携帯の裏番とかもそうだろう。
人により価値の違いがあることもあるだろう。
加藤ローサの住所とか
好きな人には、pricelessだろうけど
興味ない人にとっては、どうでもいい話である。
で、先日、某氏のエントリーで
新聞の話を読んだ。
新聞を購読すること、と、
購読しないけれども読む(ウェブや図書館なりで)は
同義であるかどうか、という問題が
私の頭に浮かんだ。
別段、その比較が思い浮かんだだけで、
それ自体の差異に良いわるいもない。
個人的な意見とすれば
この二つは異なるものなのである。
なぜなら、「血は流されなければいけない」からだ。
何を意味するかというと、
何かを得るには、犠牲なしでは、得ることが出来ないという考えである。
ま、簡単に言えば、ノーリスク、ハイリターンはありえないという
ような話ですな。
すなわち、何を言いたいかというと、
「無料の情報は、原則としてクズである」というスタンスである。
これがまさに、ウェブでの、ジャーナリズムの存在を揺るがしている問題である。
つまり、無料原則のネットでは、
ジャーナリズムを頑張っても、金が入らない。
つまり職業にすることは出来ない。
しかし、新聞やテレビのジャーナリズムは、それで
金が入る。
この差がある限り、ネットのジャーナリズムは、
他のジャーナリズムと同じになることはない、という考えである。
つまりそういうことである。
誰かが言っていた。
学者だったと思う。
「僕は、本を買うときは、全部、自腹です」ということだった。
つまり、彼は経費で落とそうと思えば
いくらでも本を経費で買えるのである。
しかし、そうではなく、彼は身銭を切る。
これは、辺見ヨウも言っていたような気がする。
何かをしたいならば、まず身銭を切ることだ。
というような。
で、これで言いたいのは、
同じ内容の新聞記事を同じように読んでいたとする。
しかし、一方は、月に4000円くらい払って読んでいる。
一方は、無料で読んでいる。
内容は同じでも、その差が
決定的な差を生むのである。
なぜなら、心理学的に
「pay」したものに対しては、元を取ろうという心理が働くのである。
(当たり前だけど)
これは、養老たけしも言っていたような気がする。
和田英キ だったかも知れない。
それゆえに、何か勉強したいときは
図書館などではなく
あくまでも身銭を切れ、というモットーが生まれるわけである。
というのが僕のふと思い出したことであって、
別段、ウェブで新聞を読もうが、図書館で読もうが
あるいは読まないでおこうが、どれも問題ないと思われる。
(第一、他者の情報の取得の仕方は人それぞれだし)
ただ、「血は流されなくてはいけない by 村上ハルキ@スプートニク」
は、ある種の真理を含んでいる側面はありえる。
(三重のリスクヘッジした文章)