なんだか、哲学チックなことを今まで避けてきたのだが
(くどくなるので)ふと、書いてみようかしらん、と思う。
今日、ちょうど、スペゴの授業でハムレットの to be or not to be をやって、先生の語る口調のアツサに惚れたのもあるけど。
存在意義というかレゾンデートルというようなものを考え出したのは、中学校のころだったように思う。
もちろん、深くは考えていなかったけど。
で、もやもやしてて、高校に入ってから、さらに悪化した。
まじめに太宰を読んでしまった。
特に「残酷な微笑」という短編が、役者を目指す主人公の日記で、自分に重なり、結構はまった。
僕のHPにも使ったタイトルである。
で、「死ぬために生きている」という
誰もが青春期におちいるニヒリスティックな結論に至って、こりゃいかん、ということで模索した。
「その答えを探すために生きている」という言葉をどこからか見つけ出してきて、自分で納得もした。
しかし、結局、身体で身にしみて感じるってほどまでにはいかんかった。
「意味など、ない」というシニカルな答えも出してみたが、寂しいので取り消した。
「生きる意味は、死ぬときにやっとわかる」というような、なんだか妥協案みたいな詭弁のような答えにもたどりついて、少しがんばろうかしらん、とプロテスタント系の思想にもたどりついた。
そのころにキルケゴールも読んだような気がする。
あと、宗教に少し興味を持ち、「ドストエフスキー」に少しばかり傾倒した。
「罪と罰」で最後、ラスコリーニコフが牢獄に入ることが決まり、恋人のソーニャが「待つ」ということを彼に伝え、
彼の牢獄は7年なのだが、その時に言うせりふ
「たった7年!」という一行が、頭をクラッシュさせた。
人生とはなんぞや、と再び考えさせられた。
哲学書では、やはり、ニーチェが好きだったが、その頃はあまり理解もできなかった。
どちらかといえばシェークスピアの、ベターに
「世の中はすべて舞台。すべての男も女も役者にすぎない。ヒトは人生で何役もこなすもの」のほうがしっくりきた。
そういえばジェームスレッドフィールドの「第9の予言」を読んだ。これには結構影響された。発売当初ベストセラーだったので読んだ。ちょうど、シドニイシャルダンの「天使の自立」が発売されてそれを読んだのと同時期。この二冊は、結構くらった。
天使の自立は、親の娘が事故にあい、生死の境をさまようくらいの状況での、親の心理が延々と上下にわたり語られる。 これによって、生というものの大切さを実感させられた。エンディングには涙までした。
「第9の予言」は運命論的な本で、今でも意識化で影響されてると思う。けっこう、やばめのハマル本。
人生を教えられたといえば「阿刀田高」の本読んで、結構の難しさを知った。まじめに、結婚とはオソロしやぁぁぁ、とぶるった。
村上春樹は好きだが、人生変えられたか?というとそうでもない。
永沢さんは別格だが。
古典にも感謝してます。
やはり「平家物語」は捨てがたいが、一つだけを挙げるなら、方丈記だろう。今でもたまにぱらぱらとみます。彼の生き様に惹かれるのよねえ。
高校んときに、NYに行った時、結構、またもや「生」について悩んでいて、それについて考えるのが邪魔臭くなって、日本を飛び出たというエピソードも実はある。どれだけ、生きることに邪魔臭くなっていたかと言うと、健康サンダルとTシャツ1枚しか持たず(着替えほかにまったくなし)しかも、宿も取ってないからマンハッタンで野宿を2泊したというくらい、生を結構放棄してた。
で、shihoさんに助けてもらった。
そしてもう独り、NYの同じドミトリーで出会った人にこんな言葉を言われた。もう、それは天変地異の衝撃だった。
「そんなグダグダなやむな。
悩むくらいなら風俗トライアスロン(ソープ、イメクラ、ヘルスだったか、ピンサロだったかは忘れた)いきゃ、そんな悩みふっとぶぞ」
これほど、救いになる言葉も、そうそうあったもんじゃない。
結局、深く考えてもしょうがねえなあ、と思った。
それでも、51氏などと夜を徹して色々アツく語ったものだ。
今思えば、青春じゃったのぉ、と思う。
他にも学生紛争に思いを馳せてみたりもした。
野島シンジにははまったなあ。
安田講堂の本は、けっこう集めた。ビデオまである。
危ないやつだ。
で、そのような紆余曲折を経て、
結局いまの暫定結論は
人生とはゲームである、としているのだが、
これは誰かに吹き込まれた記憶はない。
経験則に照らしあわして、そう思ったんだろう。
人生、まじめに考えるのも、非常に良いと実際思う。
9年ほど悩んだ経緯を思い返すと。
でも、やっぱり、真摯に考えていると、最近は
何もできなくなってくる、という恐怖もある。
結局、人生って「やったもん勝ち」だよなあ、とも
勝手に自分で思っている。
他者の意見は知らない。
ただやっぱり思うのは、いくら能天気そうに見える友人たちでも、各々が心に地獄を抱えている、というのは
実感する。
その地獄にはまっちゃうと、やばいのよね。
鬱になるどころか、廃人になる恐れあり。
誰しもが。
だから、無理やりでも、今日も犀を振ります。
ちんちろりん、と。
GOGOGO、と、叫ぶ日々でありまする。
付録
中原中也の詩で、くらったやつを一発おまけ。
盲目の秋
Ⅰ
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思つて
酷白な嘆息するのも幾たびであらう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛へ、
去りゆく女が最後にくれる笑(ゑま)ひのやうに、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでゐて佗しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
あゝ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
Ⅱ
これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういふことであらうと、あれがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。
人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ。
ただそれだけが人の行ひを罪としない。
平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填めて、跳起きられればよい!
Ⅲ
私の聖母(サンタ・マリア)!
とにかく私は血を吐いた!……
おまへが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまゐつてしまつた……
それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
おまへもわたしを愛してゐたのだが……
おゝ! 私の聖母(サンタ・マリア)!
いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい--
ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
そんなにたびたびあることではなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。
Ⅳ
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披いてくれるでせうか。
その時は白粧をつけてゐてはいや、
その時は白粧をつけてゐてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射にてゐて下さい。
何にも考へてくれてはいや、
たとへ私のために考えてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
--もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径を昇りゆく。
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